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【本牧】海は遠くなっても、今も昔も人々の憩いの場

【本牧】海は遠くなっても、今も昔も人々の憩いの場

『冨士三十六景 武蔵本牧のはな』 歌川広重(初代)
*画像提供:神奈川県立歴史博物館

横浜港内最大のコンテナターミナルとして知られている「本牧(ほんもく)」。かつては風光明媚な漁村で、浮世絵師・歌川広重もこの地に遊び、風景を描きました。
富士山の下に淡いピンク色で描かれている一帯は、明治まで梅林で有名だった杉田(現・磯子区)でしょうか。 船が浮かんでいる海には、1960年代ごろまで海水浴場もあったといいます。
幕末に日本を訪れたアメリカ合衆国海軍提督ペリーは、この海を「ミシシッピィベイ」と名付け、海図にも記載しました。

その後、1960年代に埋立て事業が進められ、現在は、自然の海岸線は残っていません。海はなくなってしまいましたが、屏風のように切り立った崖は「本牧市民公園」の中に残されています。

海は首都高速に阻まれ、遥か遠くになってしまいました。けれど崖の周囲はテニスコートや野球場もある緑豊かな公園として整備され、市民の憩いの場になっています。

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