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演劇・ダンス

「役者・武谷公雄がみんなから愛される理由」 — その魅力と愛すべきポンコツ力に迫る —

「役者・武谷公雄がみんなから愛される理由」 — その魅力と愛すべきポンコツ力に迫る —

今、数々の新進演出家から、ラブコールが相次いでやまない役者・武谷公雄さん。MAGCUL.NETでは、そんな武谷さんが”CoRich舞台芸術賞2013″で俳優賞を受賞したと聞きつけ、早速取材を決行しました。受賞作品である木ノ下歌舞伎『黒塚』でのエピソードや、幼少時代から役者になるまでの経緯など、舞台上での武谷さんから私生活での(自称)ポンコツな武谷さんまで、その魅力をよく知る大学時代の友人を聞き手に迎えたロングインタビュー。
 
「なぜ、役者・武谷公雄がみんなから愛されるのか」
 
このインタビューを通してその魅力がより多くの人に伝われば幸いです。また、今回のために特別に披露してくれた「マグカル版 武谷公雄、ものまね掛け流しショー」も同時公開!インタビューの後はこちらもお楽しみください。
 
会場協力:急な坂スタジオ

 
Interview:Tomoe Ooshima  Photography:Masanobu Nishino  Text:Akiko Inoue
 

ー CoRich舞台芸術賞2013の受賞について ー

 
ー今回はCoRich舞台芸術賞 俳優賞受賞おめでとうございます。
 
ありがとうございます。
 
ー率直な今の心境はいかがですか。
 
CoRich舞台芸術賞は、インターネット上で開催される舞台芸術フェスティバルなんですが、全国から100演目くらい公募があって、そこから審査員によって10演目まで絞られるんです。その中で、出演させていただいた木ノ下歌舞伎の「黒塚」がグランプリを受賞して、僕も俳優賞をいただいて…。それで2年以内に再演をする機会を得ました。これを機に前回観てもらえなかった方にも「黒塚」を観ていただけるのがすごく嬉しいです。それと、14年間くらいずっと泥水のように俳優をやってきて(苦笑)、なかなか評価されることがない状況だったけど、一ついい結果が出せてよかったです。
 
ー本当によかったですね!
 
でも、結果っていうよりは、この鬼婆の役をいただけてよかったという感じですね。打ち込める役に出会えたっていうのがすごくよかった。歌舞伎の完全コピーを2ヶ月やったあと、2~3週間くらいでそれを壊して現代の演劇にするっていう作業をずっとひたすらやってました。毎日整体にいって膝をなおしてもらってから本番にいったり、髪も真っ白にして…。
 
●TAKETANI_1
 
ー今までいろんな舞台をやっていたけど、歌舞伎に挑戦するのは大変でしたか?
 
歌舞伎は前からやりたいなぁと思ってたんです。杉原さん(木ノ下歌舞伎・杉原邦生)から何回か声をかけていただいていたんですが、タイミングがあわなくて。でも今回はうまくあったんでやろうってことになったんです。
 
ー舞台では、追いつめられるシーンがあったり、表情もすごくて、お客さんも大変なんだろうなぁ…て思いながら観ていたと思うんですけど。
 
肉体的には大変だったんですけど、歌舞伎は型がきまっているので、精神的には全然大変じゃなかったです。普通の舞台とかだと、いろんなやり方があるじゃないですか。
 
ー感情から行動をおこさなきゃいけないから。
 
そうそうそう。でも、歌舞伎にはひとつしか正解がない。市川家の伝統芸を先代と当代の芸を見比べて、「ここは、こっちにしましょう」みたいな感じに演出家と相談しながら決めていきました。日舞の師範の方に2ヶ月くらい稽古してもらったんですけど、結局本番3週間前くらいになると全部ぶち壊すんです。例えば音楽も日舞の曲から、急にディズニーの曲で稽古することにになったりして。
 
ーこのシーンは好きだなとか、自分の中で見所だなと思うところはありますか。
 
歌舞伎の『黒塚』は、お坊さんが良くてお婆さんが悪いという勧善懲悪の単純な話なんだけど、今回は、何でお婆さんが鬼になったのかというところまで掘り下げて、お婆さんの感情を描いているんです。ずっと罪を背負って生きてきた孤独な老婆を照らす月のあかりの照明もシンプルで、あかりも凄くきれいでまるで老婆を見守ってるようで、結構感情が動きました。
 
ー確かに、私も月とおばあさんが踊るあのシーンは好きです。ラップと一緒に絡んでたシーンですよね。
 
そうそう。孤独なお婆さんは、月影に自分が移った姿を見て、その影と一緒に踊るんです。だから、照明もここにいたらこういう影、ここにいたらこういう影、というふうに全部影が映るように工夫されていたんです。それで、杖を持ちながら踊るんだけど、後ろに持っていったときにそれが影に移って、その影が鬼みたいに後ろに大きく映ったりして…。
 
黒塚1
 
黒塚2
木ノ下歌舞伎『黒塚』公演の記録写真より Ⓒ鈴木竜一朗
 
ーきっと大変だったと思いますが、今から再演が楽しみですね。
 
大変だったけど、それがおもしろくて。賞がうんちゃらっていうよりも、大変だったことが楽しかった。でも、批評家の方やいろいろな方々から、作品がよかったみたいなことをいってもらえて、それは本当に、よかったなぁ……うん。
 
Twitterとかでも「武谷さんすごい」みたいなコメントがいっぱいありましたね。
 
私はただ、のせられた舟から落ちないように動いただけで・・・皆さんのおかげです。
 

― 役者への道 小学校~高校時代編 ―

 
ーでは次に,武谷さんが演劇にどのタイミングで出会ったのかっていうのも知りたいので、そこに向かうまでの幼少期からのお話をすこしうかがいたいと思います。
 
このインタビューの企画書をもらったときから、生い立ちについて考えてみたんですけど、19歳ぐらいまでは演劇を意識して生きていなかったんですよ。でも、よくよく考えたらけっこう道筋がたっていたなとも思っていて・・・。例えば、親は僕の芝居をほとんど観たことがないんですけど、賞をもらった時に初めて報告したら、「そういえばあんたは七五三の時に扇子持ってよく踊ってたよ」とか言われたり。母方のおじいちゃんが俳優になろうと思っていたらしいとか。母親も実は横浜で教員をやっていて演劇部の顧問だったから、小さい時によく小道具を作らされていたのを思い出したり・・・。演劇に通じる経験はけっこうあったんですね。それと、小さい時は鍵っ子だったので、外で遊んで帰ってきてからは一人で「ニューヨーク恋物語」とか、再放送のドラマを観てたんです。よくよく考えたら、田村正和のものまねは今みんなやってるけど、あの当時小学校低学年でいち早く一人でやって遊んでました。(笑)
 
ー生まれは大分で、育ったのは神奈川のどこですか?
 
おばあちゃんが戸塚で、自分たちは旭区に住んでて、引っ越して海老名に住んで、そのあと座間に住みました。海老名にいた時は、中学から高校にかけてくらいなんですが、美術が好きだったので、芸大に入りたいと思ってました。神奈川県少年少女絵画コンクールみたいなので最優秀賞を獲ったことがあって。ちなみに、それがこのCoRichの賞の前の賞です(笑)その絵が「第8回カナガワビエンナーレ」という国際展で銀賞になって、全国巡回したりして。その時、海老名の文化振興賞をいただいたんです。海老名市役所に呼ばれて、写真撮って、アディダスのバックをもらって(笑)その時描いた絵は、今思うと病気じゃないかっていう感じの絵なんですけどね。その頃流行ってたラッセンを真似して、魚をすごい細かく書いたりして。
 
中学時代
 
写真左:当時の武谷さん / 右:最優秀賞を獲った作品
 
でも、生半可に賞もらっちゃったからその後全然努力しないんですよ。結局、ちゃんと会社員にならなきゃだめだって思って、普通の公立の高校にいきました。大学も絵の大学に行こうかと思ったけど、神奈川大学に入ったんです。それで、神奈川大学は白楽だから、渋谷にも横浜にも遊びに行きやすいし…と思っていたら、自分の受けた学部が伊勢原の方の学部だったことに気づいて辞めました(笑)一浪して早稲田を目指したんですが、これもまた努力しないで、結局専修大学に行くことになりました。
 

ー 風間杜夫に憧れて 大学時代編 ー

それで、たまたま通学中に電車内でばったり昔の友達に会って、早稲田のサークルに入ってるっていう話をきいて、その足で早稲田に行くことになったんです。それがテニスサークルかなんかかと思っていたら、演劇のサークルだったんです(笑)そしてパッとドアをあけた瞬間「ここはお前のくるような所じゃない!」と怖い先輩に言われて、びっくりしたのを覚えてます。そこから急に台本渡されて読まされたり、肉体訓練とかもやらされました。肉体訓練で、けっこう身体が動いたみたいで、「人数が足りないから俺の芝居に出ろ」みたいな感じで、いきなり出演がきまりました。その怖い人は第七劇場の鳴海康平さんなんですが、このヒゲの人(鳴海さん)に、なんか認められたい、というかこいつをギャフンといわせたいみたいな気持ちで毎日早稲田に通いました。
 
ーそれが早稲田大学の演劇サークル“劇団森(げきだんしん)”との出会いですか?
 
そうそう。でも、やってみたらすごく合ったんだと思います。それまでの経験とか、小さい時、テレビドラマの影響で風間杜夫がすきだったの。
 
風間杜夫も早稲田大学ですよね。『スチュワーデス物語』とか?
 
いや、多分誰も知らないと思うんですけど、そのときね、『グッドモーニング』っていうのがやってて(笑)モーニングは朝ではなく喪(Mourning)の方で、葬儀屋を舞台にしたコメディタッチのドラマなんですけど、長男が草刈正雄で、だめな次男を風間杜夫がやってて、すっごい面白かったの。風間杜夫。
 
ーでも中学生で風間杜夫すっごいおもしろいって思う感性ってすごいですね・・・。演劇との直接的な出会いは浪人後の大学一年の初期ということですね。
 
そう、その時は人数が足りなくて三本くらい掛け持ちしてました。稽古場がないから戸山公園で稽古して、面白くないから裸になったり土食べたりして…(笑)
 
●●TAKETANI_17
 
ー鳴海さんはどちらかというと前衛的な演劇だったと思うけど、私が大学時代武谷さんに出会った時は、結構コミカルな演技をやっていたような記憶があって。その当時から、いろいろな作品に関わっていたんですか?
 
そうそう、もう風間杜夫。
 
ーあー、シリアスもできるし、コミカルもできるみたいな(笑)でも、自分の中で、そのあと「バングラッシー」っていう劇団に参加すると思うんですが、やっぱり作品が魅力だったんですか?
 
本当は青年団とかにも入りたかったし、文学座にも入りたかった。それで、ある老舗の新劇系の劇団にも実際に入ったけど、それはすぐ辞めちゃいました。あとその頃は、シティボーイズの脚本を一部提供していた作家と一緒にコントもやってました。だから、きたろうさん・大竹さん・斉木さんとかの稽古を見にいったりとか、大竹さんと少しコントをやらせてもらったり。
 
ーよく「芸人やったらいいんじゃない?」っていう話もしてたけど、決して芸人の道に進むわけでもなく、かといって新劇系の正統派演劇の方に進むわけでもなく、その頃から、武谷さんの言う“風間杜夫的な演劇”を目指してやっていこうみたいな気持ちはすでにあったんですか?
 
あったかもしれない。風間杜夫もそうだけど、小学生の頃から、伊丹十三とか昔の映画ばっかり見てたから、自分はもう森繁久彌になりたいと思ってた(笑)そういうのを伝承していきたいって。
 
ー”役者”になりたかったんですね。最近だと岡崎芸術座によく出てると思うんですけど、そこに至るまでの間にはどういう動きがあったんですか?
 
バングラッシーが気がついたら解散してて、僕の方は保険の仕事を始めました。その時ホリプロの知り合いから誘われてある大物ミュージカル俳優の付き人になりました。それで、ホリプロの方から一人芝居をやらないかって誘われて、全財産をその舞台につぎ込み、会社も辞めて『マネーロンダリング』という舞台をやったんです。
 
ーある意味一人武谷公雄ショーでしたよね。
 

 
『マネーロンダリング』ダイジェスト映像
※この映像は元データがテープのため多少音質が悪い部分がありますがご了承ください。
 
 

― 新たな一歩  若手新進演出家たちとの出会い ―

 
「マネーロンダリング」を、神里(岡崎芸術座・神里雄大)が観にきていて、『三月の5日間』(岡田利規作)に誘われたんです。
もう、お金も全財産使い果たして、会社も辞め、しかも会社の人から騙されて50万とられる詐欺にもあっていて、そんなどうしょうもないところを、一人芝居でいちからやり直そうと思っていたら、神里が拾ってくれました(笑) それからは、その舞台を観てくれた柴さん(ままごと・柴幸男)が『川のある町に住んでいた』という電車内での芝居に誘ってくれたのをかわきりに、今関わりのある若手新進演出家たちとどんどん出会っていきました。
『キレなかった16歳リターンズ』で、白神さん(モモンガ・コンプレックス)や中屋敷君(柿喰う客)、杉原さん(KUNIO,木ノ下歌舞伎)、篠田さん(当時・快快)らと出会ったり。自分の代より少し下の代になるんだけど、彼らの世代はすごく元気のある世代なんですよね。
 
ー私はてっきり『マネーロンダリング』からコメディ系とか物語ベースの演劇に進むのかなぁ、と思っていたら、どちらかというと前衛的というか、不条理演劇みたいな方向に進んだんだなと実は意外だったんです。もっとコメディ劇とかに出てほしい、みたいな個人的な思いもあったんですが。
 
時代というか演劇の流れが、ちょうど変わって来た時期だったんじゃないかな。うちらの時代は、テキストがあってドラマがあるみたいなものも多くあったけど、今は、あまり台詞とか感情とかいらないっていうか、ポストドラマみたいなのが多いから。
 
ーこれまでに様々な作品に出演していますが、印象に残っている作品や、転機になった作品はありますか?
 
転機になったのはやっぱり。『三月の5日間』と『キレなかった16歳リターンズ』ですね。早稲田界隈の演劇ではないところで、もう一回スタートするきっかけになりました。その流れで『黒塚』までやってきたので、『黒塚』では今までやってきた身体の使い方とか何から何まで全部を注ぎ込みました。だから、自分の中では、この『黒塚』からもう一回スタートしたいと思ってます。
 

岡崎芸術座「隣人ジミーの不在」Ⓒワタナベカズキ
 
ー武谷さんが演劇や役者を続ける原動力ってなんなんですか?
 
多分いろんな考え方の人がいて、自分くらいの歳になると結婚して辞めちゃうっていう人もいると思うんです。でも、例えば公園で紙芝居作って読むだけでもいいんですけど、何かを作って行く過程ってすごくおもしろいっていうか…。私生活とかだと本当にポンコツだから、舞台の方がちゃんと生きていられる、すごく濃密な時間を感じることができるんです。
 
●●●TAKETANI_14
 
ー稽古では「こんなんじゃない!」とか言われることもあるだろうし、苦しいことも多いと思うんだけど、それでも?
 
作っているときが一番楽しい。本番よりも楽しい。それから、やっと30歳過ぎたあたりから身体がついてくるようになったというか。身体は衰えているんだけど、こういう時はこうしたらいいんだなと言うのがわかってきたというのはあります。それはいろんな演出の人ともやらせてもらって今何が求められているのかがわかるようになったんだと思います。
 

― ものまねは「やる勇気」! 武谷さんのもう一つの芸 ―

 
ー一方で、武谷さんは”ものまねショー”に呼ばれたりもしてますよね。
 
そうですね、それは楽しくやってます。表現のバランスだと思うんです。マキタスポーツさんが「細かくてわからないものまね」とかをやっていて、椿鬼奴さんとかがいる中で、前座で「何かやっていいよ」って言われたんですけど、事前にものまねやる人たちの前でネタを披露したら、ことごとくかぶっていて「その領域はだめ!」ってなって(笑) 唯一認められたのは、草刈正雄だけだったんですよね・・・。
 
ーちなみに草刈正雄のものまねはどんな感じでしたっけ?!
 
―ここで、「サスペンスドラマに犯人役で出たときの、やっぱりこの人には外国の血がまざっているんだなぁと思わせる草刈正雄」「娘がハンバーグを作ってくれてそれを食べているときに、やっぱりこの人には外国の血が混ざってるんだなって思わせる草刈正雄」の2つを披露(後ほど動画でゆっくりお楽しみください)―
 
(やり終わって)でもちょっと質が落ちてますけどね(笑) ものまねっていうのは「やる勇気」。しーんとしてもどんどんどんどんやっていく勇気なんですよね。
 
ー(笑)そうですよね。ものまね百連発みたいなこともやってましたよね。ちなみに、武谷さんのものまね十八番、映画『Wの悲劇』の三田佳子の長ゼリフを完全コピーするっていう、あれの動機はなんだったんですか?
 
あれは、台詞がめっちゃおもしろかったんですよ。自分が演劇をやっているから、演劇をちょっと馬鹿にしている感じが面白くて、三田佳子が台詞を噛んでも、長回しで撮ってるからけっこうオッケーにしちゃう、みたいな感じもよくて。あのセリフ、演劇人にはグッとくるセリフなんですよね。
 
ー最近はちょっと違ったタイプの演劇で名前も知られてきて客演もしてきているとは思うけど、私は武谷さんのコミカルな面もすごく好きなので、これから収録するものまねショーも楽しみにしています。
 
 ここで場所をスタジオに移して、「マグカル版 武谷公雄、ものまね掛け流しショー」の収録へ! 武谷さんの珠玉のものまねレパートリがつまってます!是非動画をお楽しみください。
 

「マグカル版 武谷公雄、ものまね掛け流しショー」
 

― 武谷公雄のこれから―

 
ー最後に今後の活動予定を教えてください。
 
今『紙風船』(作・岸田國士)ていう二人芝居を、役者は変えず演出家がどんどん変わって行くっていう企画でずっと続けてやっています。この前、西尾佳織さんと山本卓卓(すぐる)さん演出のものが終わって、今後6人くらい続くんです。それこそ白神さん演出の回もあったりして。それと、久しぶりに年上の演出家の方との公演にも出演予定です。それから、最初に話した木ノ下歌舞伎『黒塚』の再演も2年以内に予定してます。
 
ー今後はどんなことに挑戦したいですか?
 
ご縁があれば何でもやりたいです。あとは、もうちょっとものまねをやりたい(笑)
 
ー寅さんとか日本の昔の映画も全部見ていて、好きな俳優さんをあげるとしたら誰ですか?
 
杉浦直樹ですね、あと杉村春子。と、風間杜夫。
 
ーみなさん個性豊かな。
 
好きな俳優さんはだいたい亡くなっちゃってますけど…。木ノ下歌舞伎の木ノ下さんとは昔の映画や昔の俳優さんの話で盛り上がります。
 
ーでも、みんな元ネタ知らなくても、なんか面白いっていう。そういうわからない人にも伝える能力って言うのは武谷さんの魅力だと思うんですよね。
 
今の20代の人とか全然誰のことかわからないみたい。
 
ーでもそういう武谷さんの役者的な魅力はいろんな人に伝わると思うので。
 
そうそう、先生(木ノ下歌舞伎主宰・木ノ下さん)と昭和の芸を伝承していこうって言ってます。
 
ー是非、今後も多方面で活躍していってください。最後になりますが、武谷さんの神奈川県内おすすめスポットはどこですか?
 
野毛の亀ちゃんですね。女将さんが倒れちゃって、今、一生懸命伝承されている亀ちゃんのポテトサラダがおいしいです。それと島らっきょや魚系はすべておいしいです。
 
●●●●TAKETANI_22
取材の日は、猛暑といっていいほどの夏らしい気候で、急な坂スタジオへ向かう坂道を汗だくになってのぼって行きました。中に入るともう既に到着していた武谷さんがそっとアイスの差し入れを手渡してくれました。さりげない気配り、そしてちょっとのことでいつのまにか人を幸せな気持ちにさせてしまう、そんな不思議な空気感も武谷さんの持ち味のようです。ここには書ききれず、やむなくカットしてしまった数々のプライベートなおバカエピソードなども、なぜ、そんな不思議な事件に巻き込まれてしまうんだろうというものばかり。しかしそれらは確実に、役者・武谷公雄の絶妙な風味を醸し出すのに一役買っているに違いありません。
 
何の答えにもなっていませんが、最後は昭和の名役者・森繁久彌さんの名言をお借りして、この記事を締めくくりたいと思います。
 
「二枚目と三枚目の違い、脇役の人生は味のある人間味。」
 
見た目は二枚目ですが、その独特な“味”を持ち続けて、これからも多方面でその姿が観られることを楽しみにしています。

 
 
■ 今後の活動予定 ■
シリーズ岸田國士 「紙風船文様」〈このイベントは終了しました。〉
会場:アトリエセンティオ(東京都豊島区池袋本町4-29-10)
詳細は下記URLにて9月中にアップされる予定です。
http://www.katorihidetoshi.com/kk/
 
 
(編集後記)
 
武谷さんオススメの野毛の”亀ちゃん”に行ってきました。
がらがらと引き戸をあけると、昭和の香り漂う空間に仕事帰りのサラリーマンたち。そこには、一人で入った私にも気さくに話しかけてくれる常連さん、そして美人若女将がいました。店内を見渡すと数々の有名人のサインが。それらは年月がたってちょっと黄ばんでいて、この店が長い間たくさんの人に愛されてきたことを感じさせてくれます。武谷さんオススメのポテトサラダ・島らっきょ・お刺身はどれも本当においしく、特にポテトサラダは山盛りで思わず声をあげてしまいました。
その日はたまたま常連さんで、とある映画監督の親戚の方がいらっしゃいました。少しおしゃべりをして、再訪の約束をしたのです。「ここにくれば、また会えるね!」という感じがたまらなく素敵な下町風情で、きっとまた、私は亀ちゃんに通ってしまうことでしょう。。。
 
kamechan
 
■「亀ちゃん」
横浜市中区野毛町2-71-12 エスターホテル1F
TEL 045(243)2510
http://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140102/14022088/

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