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神奈川を愛した歴史的著名人たちゆかりの地 9選

神奈川を愛した歴史的著名人たちゆかりの地 9選

神奈川県内には、「文人墨客」ゆかりの地が点在しています。

初代内閣総理大臣伊藤博文や戦後に内閣総理大臣を務めた吉田茂、夏目漱石、北原白秋など、歴史に名を残す著名人が愛し、居住・滞在した神奈川。
ここでは、現存する著名人たちゆかりの地を紹介いたします。

著名人たちゆかりの地を訪れ、その人物や当時の歴史などに思いを馳せつつ、神奈川の魅力を再発見してみてはいかがでしょうか。

《1》戦後の代表的な政治家・吉田茂が住んだ
[旧吉田茂邸宅](大磯)


吉田茂(等身大)

吉田茂は身長155cm(欧米歴訪時使用パスポートの記載による)

吉田茂(明治11年(1878年)~昭和42年(1967年))は、戦前に外務官僚として諸外国での領事、書記官、大使などを歴任し、戦後は通算5期(6年2ヶ月)にわたって内閣総理大臣を務めた戦後の代表的な政治家です。

大磯城山公園内にある旧吉田茂邸宅(大磯町郷土資料館別館)は、明治17年(1884年)に吉田茂の養父・健三が土地を購入し、別荘として建てたもので、吉田茂が昭和20年(1945年)頃から、その生涯を閉じる昭和42年(1967年)まで過ごしました。邸宅は、平成21年(2009年)3月に焼失してしまいましたが、その後再建工事が行われ、平成29年(2017年)から一般公開されています。


日本庭園から望む旧吉田茂邸

玄関

楓の間(応接間)

応接間として使われており、吉田茂の執務机やソファーセットがありました。

展示・休憩室

愛用のコートやステッキ、シガーケース、資料などを展示。

「和製チャーチル」とも呼ばれた吉田茂。洋装はイギリス・スタイル。イギリス・ロンドン仕立てのスーツや鼻眼鏡、ステッキや帽子、葉巻がトレードマークでした。

金の間(居間)

賓客をもてなした応接間。箱根の山々と富士山、相模湾を一望できます。


吉田茂は、この部屋から見える富士山を大層気に入っており、毎日のように眺めていたそう。

旧吉田茂邸地区に所在する国登録有形文化財
以下の「兜門」・「サンルーム(温室)」・「七賢堂」は焼失を逃れ、建てられた当時の姿を残す貴重な建造物として、平成31年(2019年)3月に国の有形文化財に登録されました。

兜門
サンフランシスコ講和条約締結を記念して建てられた門で、別名「講和条約門」とも言われています。軒先に曲線状の切り欠きがあり、兜の形に似ていることから「兜門」とも呼ばれます。

サンルーム(温室)
吉田茂は植物好きで、サンルームには「ブーゲンビリア」などの熱帯植物が植えられていました。

七賢堂
岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允・伊藤博文・西園寺公望・吉田茂の7人が祀られていました。正面の扁額「七賢堂」の文字は、佐藤栄作元首相が書いたもの。

吉田茂銅像

サンフランシスコ講和条約締結(昭和26年(1951年))の地、アメリカ合衆国の方角に顔を向けて立っています。天気がよい日には、銅像付近から、伊豆大島、伊豆半島、相模湾、房総半島などが一望できます。

[旧吉田茂邸宅(大磯町郷土資料館別館)]
〈住所〉神奈川県中郡大磯町西小磯418(県立大磯城山公園内)
〈TEL〉0463-61-4700
〈開館時間〉9:00~16:30(入館は16:00まで)
〈休館日〉月曜日・毎月1日(休日の場合、次の平日)/年末年始(12月29日~1月3日)
〈観覧料〉一般¥500(¥450)/中・高校生¥200(¥150)※令和2年3月まで※カッコ内は団体料金
※令和2年4月1日以降 大人¥510円(¥460)/中学・高校生¥210(¥160)
〈URL〉http://www.town.oiso.kanagawa.jp/oisomuseum/


《2》伊藤博文が命名!100年以上の歴史・各方面の著名人たちが訪れた
[元湯 環翠楼](箱根)

本館外観


早川から本館を望む

別館外観

元湯 環翠楼(かんすいろう)は、慶長19年(1614年)に箱根塔ノ沢で湯治場として開湯した歴史ある温泉宿です。江戸中期に登楼した水戸光圀からはじまり、激動の幕末を彩った皇女和宮、天璋院篤姫、文明開化直後の日本を主導した伊藤博文、桂小五郎、東郷平八郎、近代文学を代表する夏目漱石や島崎藤村などが環翠楼を訪れ、定宿としました。

現在の建物は、大正8年(1919年)に建てられた木造3階建ての本館と、大正13年(1924年)に建てられた4階建ての新館となっており、国内でも数少ない木造による高層建築として、国の登録有形文化財にも指定されています。

館内には、杉・桜・桐などの銘木を使用した格調高い大広間が3つ

大広間「神代閣」

箱根山中で発見された最上級の神代杉※を使用した大広間。天井は二重折り上げの格天井。
※神代杉・・・地中や水中に1000年以上うもれていた樹齢数百年以上の杉材。

館内では環翠楼を訪れた各方面の著名人が残した名書や名画なども展示

伊藤博文の揮毫による「環翠楼」の書

伊藤博文が、当時の楼主である鈴木善左衛門に贈った漢詩「勝驪山 下翠雲隅 環翠楼頭翠色開 来倚翠欄旦呼酒 翠巒影落掌中杯」のなかに表記された「環翠楼」の三文字がその名の由来とされます。

江戸時代最後の皇女「静寛院宮 和宮」ゆかりの調度品(三つ葉葵の紋)
静寛院宮 和宮(弘化3年(1846年)~明治10年(1877年))は病気療養のために登楼。その後薨去。ゆかりの調度品には、三つ葉葵の紋が印されています。第13代将軍御台所 天璋院(篤姫)は「和宮終焉の地となった環翠楼に行きたい」と明治13年(1880年)頃に登楼。流れる早川を眺めながら、亡き和宮を想い号泣したと言われています。

お部屋

(画像提供)元湯 環翠楼

お部屋は、銘木をふんだんに使用した古式スタイルのお部屋から、露天風呂の付いたお部屋まで。職人の技巧とこだわりが光る個性と情緒あふれる造りで、古き良き日本建築の雰囲気があります。

大正風呂

(画像提供)元湯 環翠楼

温泉は、源泉掛け流し100%、泉質は美肌効果の高いPH8.9のアルカリ単純泉で、お肌に優しく、体の芯まで温めてくれる良質な天然温泉です。その他、露天風呂、貸切専用風呂、岩盤風呂ヒーリングストーンスパがあります。

懐石風料理(一例)

(画像提供)元湯 環翠楼

お料理は、箱根の山の幸、相模湾や小田原の海の幸をふんだんに用いた、月替わりの懐石風料理です。

[環翠楼]
〈住所〉神奈川県足柄下郡箱根町塔之沢88
〈TEL〉0460-85-5511
〈URL〉https://www.kansuiro.co.jp/


《3》伊藤博文が風光明媚な景色を好んで建てた別荘
[旧伊藤博文金沢別邸](横浜市金沢区)

玄関正面

野島公園内にある旧伊藤博文金沢別邸は、初代内閣総理大臣であり、大日本帝国憲法を起草するなど、立憲政治の黎明期に大きな役割を果たした伊藤博文により、明治31年(1898年)に建てられた茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別荘建築です。伊藤博文が、風光明媚で、故郷の山口にも似ている金沢の地を好んで建てたといわれ、大正天皇や韓国皇太子なども訪れました。

平成18年(2006年)11月には、横浜指定有形文化財に指定されましたが、建物の老朽化が著しかったことから、平成19年(2007年)解体工事・調査を行い、現存しない部分を含め、創建時の姿に復元することになりました。

邸内では、伊藤博文に関する資料や調度品などを多く展示。展示品により、博文公の功績や人となりを改めて知ることができます。

外観

客間棟、居間棟、台所棟の3棟からなり、格式の高い客間を海側の眺望のよい位置に張り出し、ほかの棟を廊下でつなぐ雁行(がんこう)という配置になっています。

[客間棟(格式高い客室)]

客間棟は、天皇、皇太子をはじめ、皇族が来邸した際に使用されました。

畳敷きの廊下


壁には、年譜や史実などを展示。

客用便所

本漆仕上の木製大便器(小便器も本漆仕上)

中は板敷で、手を洗う水屋は畳敷き。博文公が使った便所は私的スペースの居間棟にあり、便器は木製の質素な作り。

晴嵐(せいらん)の間

客間棟のガラス戸の板ガラスは、創建当時日本では生産できなかったため、ベルギーから船で運ばれたもの。今でも手吹きらしいゆがみや気泡の入った部分が見られます。

鳳凰の彫刻がされた、創建当時から伝わる板欄間。

帰帆(きはん)の間
建物周辺には、至る所に明治期の松が植えられています。ずっと眺めていたいと思うほど、穏やかで美しい景色です。

伊藤博文自筆の書
床の間に置かれた金屏風は、伊藤博文が金沢の地で書いたもの。「春畝(しゅんぼ)」は博文の号。蓮を君子の花と例えた内容は、国に至誠を貫く伊藤博文の気持ちが込められています。

[居間棟(博文公の書斎・寝室等私的スペース)]

居間の名前は、歌川広重の浮世絵「金沢絵(金沢八景)」から取られました。

秋月(しゅうげつ)の間

夕照(せきしょう)の間を見る

「秋月の間」は、「瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)」より
「夕照の間」は、「野島夕照(のじまのせきしょう)」より

湯殿

来邸した客人も入った、サワラ材の木製箱風呂。

牡丹園

毎年4月中旬~5月上旬頃には、庭園に金沢の花「牡丹」が咲き誇ります。開花に併せて、イベントも開催されています。

[旧伊藤博文金沢別邸(野島公園内)]
〈住所〉神奈川県横浜市金沢区野島町24(野島公園内)
〈TEL〉045-788-1919
〈開館時間〉9:30~16:30(牡丹園は9:00〜17:00)
※4・5月は17:30まで(牡丹園は9:00〜18:00)※12・1月は15:30まで(牡丹園は9:00~16:00)
〈休館日〉第1・3月曜日(休日の場合は、翌日)
※4・5月は無休※12・1月は毎週月曜日(休日の場合は、翌日)
※年末年始(12月29日~1月3日)
〈入館料〉無料
〈URL〉http://www.hama-midorinokyokai.or.jp/park/nojima/hakubuntei/


[まだまだあります!著名人ゆかりの地]

《4》『明治政界の奥座敷』と呼ばれた
[明治記念大磯邸園](大磯)

大磯には、明治期に総理大臣として活躍した伊藤博文、山縣有朋、大隈重信など8人の総理経験者が建物を所有するなど、明治政界の要人たちが集まり、別荘や邸宅を築いたことから「明治政界の奥座敷」と呼ばれていました。

大磯邸園には初代総理大臣・伊藤博文の旧邸「滄浪閣(そうろうかく)」を中心に、大隈重信、西園寺公望、陸奥宗光の旧別邸などがあります。
※現在は非公開となっています。2020年夏、陸奥宗光別邸跡と旧大隈重信別邸の庭園部分を公開予定。

旧滄浪閣(伊藤博文邸跡・旧李王家別邸)

(画像提供)大磯町郷土資料館

伊藤博文は、明治29年(1896年)に別荘を小田原から移転し、「滄浪閣」と名付けました。関東大震災後に再建された建物のうち、洋館と和館部分が当時の状況を留めています。別荘地大磯の代表的建物として、町の指定有形文化財となっています。

※伊藤家本邸であった旧滄浪閣は、博文死後、大正9年(1920年)に李王家へ譲渡されました。その後大震災により倒壊し、当時の所有者である李王家の別邸として再建。そのため伊藤博文邸“跡”と表記しています。

現在の滄浪閣

(画像提供)大磯町郷土資料館

資料館

(画像提供)大磯町郷土資料館

旧大隈重信別邸・旧古河別邸(外観)
(画像提供)大磯町郷土資料館

旧大隈重信別邸・旧古河別邸(神代の間)
(画像提供)国営昭和記念公園事務所 大磯分室

大隈重信(天保9年(1838年)~大正11年(1922年))は、明治31年(1898年)と大正3年(1914年)に総理大臣を経験、日本初の政党内閣を組織し、早稲田大学を創設しました。

※明治30年(1897年)に大隈の購入した邸宅は震災に耐え、ほぼ往時の姿を留めるため“跡”は付けていません。その後古河家に売却され、別邸として管理されました。

陸奥宗光別邸跡・旧古河別邸 日本庭園

(画像提供)国営昭和記念公園事務所 大磯分室

陸奥宗光(天保15年(1844年)~明治30年(1897年))は、第2次伊藤博文内閣の外務大臣に就任し、不平等条約の改正に尽力しました。

陸奥宗光別邸跡・旧古河別邸 和室

(画像提供)国営昭和記念公園事務所 大磯分室

※旧陸奥邸は療養のための別荘(別邸)でした。陸奥宗光の死後に次男(潤吉)の養子先である古河家の別邸になりました。大震災により一部倒壊後、古河の手により改築を行い、改築後の別邸が今日まで管理されてきました。

[明治記念大磯邸園]
〈住所〉神奈川県中郡大磯町西小磯85ほか
〈TEL〉0463-79-8700(国営昭和記念公園事務所大磯分室)


《5》多くの童謡を手掛けた詩人・北原白秋の功績をしのぶ
[白秋童謡館](小田原)

外観
(画像提供)小田原市立かもめ図書館

白秋童謡館は、「からたちの花」・「この道」・「待ちぼうけ」など多くの童謡を手がけたことで知られる詩人北原白秋(明治18年(1885年)~昭和17年(1942年))の功績をしのぶ施設です。白秋は、大正7年(1918年)33歳のときに小田原へ転入し、大正15年(1926年)までの8年間を過ごしました。

白秋童謡館の建物は、ちょうど北原白秋が小田原に在住していたころにあたる大正13年頃(1924年)に元宮内大臣・田中光顕伯爵が建てた別邸。楼閣風の軽快な意匠が印象的な和風建築で、国の登録有形文化財にも指定されています。

内観

(画像提供)小田原市立かもめ図書館

(画像提供)小田原市立かもめ図書館

館内には創作童謡のほか、白秋が日本で初めて本格的に翻訳した英国の伝承童謡〈マザー・グース〉のコーナーもあります。

◎ちょこっと・エピソード◎
代表作「からたちの花」について白秋は、小田原在住時代の大正13年(1924年)5月13日の作で、幼時の追憶とともに、自宅近くの山道で見たからたちの花の縁由があると自分の評論に記しています。この逸話により、小田原市では「からたちの花の小径」の碑を建て、市民によりからたちが植樹されたそうです。

[白秋童謡館(小田原文学館別館)]
〈住所〉神奈川県小田原市南町2-3-4
アクセス:小田原駅東口より徒歩20分
〈TEL〉0465-22-9881(小田原文学館)
〈開館時間〉9:00~17:00(入館は16:30まで)
〈観覧料〉※小田原文学館と共通
大人¥250(20名以上の団体の場合は¥180)
小・中学生¥100(20名以上の団体の場合は¥70)
〈URL〉http://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/facilities/literature-museum/douyoukan.html


《6》夏目漱石も長期滞在した温泉旅館
[天野屋/(本館)現・町立湯河原美術館](湯河原)

天野屋(新館)
 ※新館は現在閉館、解体され現存せず(画像提供)町立湯河原美術館

天野屋は明治10年(1877年)に創業。伊藤博文・夏目漱石などの著名人が定宿としたほか、夏目漱石の小説「明暗」の中に登場するなど、湯河原を代表する老舗旅館でしたが、新館は平成17年(2005年)に閉館。本館は改装され、平成10年(1998年)に「湯河原ゆかりの美術館」として開館、平成18年(2006年)に「町立湯河原美術館」に改称後、今も多くの利用者でにぎわっています。

町立湯河原美術館(旧天野屋 本館)
(画像提供)町立湯河原美術館

平成18年(2006年)、日本画壇の第一線で活躍する日本画家・平松礼二の作品を展示する「平松礼二館」を開設し、収蔵品を展示する「常設館」と併せ、館名を「町立湯河原美術館」に改称。平成29年(2017年)に「平松礼二見えるアトリエ」をオープン、日本画家のアトリエを随時公開しています。

隣接のミュージアムカフェ 「and garden」では豆腐・ゆば料理を提供。テラス席では、湯河原の温泉をひいた足湯も楽しめます。

[町立湯河原美術館]
〈住所〉神奈川県足柄下郡湯河原町宮上623-1
〈TEL〉0465-63-7788
〈開館時間〉9:00~16:30(入館は16:00まで)
〈休館日〉毎週水曜日(祝日に当たるときは開館)、12月28日~12月31日、展示替え等臨時休館日
〈観覧料〉大人¥600(¥500)、小・中学生¥300(¥200)
※( )内は15名以上の団体※障がい者手帳をお持ちの方は無料。町民の方は町民割引あり。


湯河原を愛した文人・画家たちが訪れた!?
 

《7》湯河原を愛した文人・画家たちが訪れた!?
[万葉公園](湯河原)

紅葉の万葉公園
(画像提供)(一社)湯河原温泉観光協会

“日本の歴史公園100選”に選ばれた万葉公園。園内には、湯河原温泉が歌に詠まれた万葉集に登場する草花が植えられています。

湯河原の街を愛した、夏目漱石・芥川龍之介・国木田独歩・谷崎潤一郎・与謝野晶子など数多くの著名人たちも訪れたかもしれない万葉公園。散策していると、いいひらめきが浮かびそうな気がしますね!

◎公園名の由来◎
「足柄の土肥の河内に出づる湯の世にもたよらに子ろが言わなくに」
(あしかりのとひのかふちにいづるゆの よにもたよらにころがいわなくに)
※万葉集 巻十四 東歌 三三六八の歌

足柄の土肥の川のほとりに、湧き出ている温泉の湯けむりが、ゆらゆらと空に浮動して定まらない、そのように二人の仲が頼りないようには、あの子は決して言わないのだがなぁ(どうにも頼りなくて仕方がない)。恋するあまり不安にかられる男の心情を読んだものです。

※土肥は、湯河原一帯の旧名

この歌は、万葉集4,500首の中にただ一首、温泉がこんこんと湧出している様を詠ったもので、「あしかりの土肥の歌」として湯河原温泉を詠っています。
なお、この歌碑の原文は、竹内栖鳳の筆によるものです。(原文は「町立湯河原美術館に展示)この歌のゆかりから、昭和27年(1952年)ごろ、熱海に居住の和歌研究の学者「佐佐木信綱博士」からの「湯河原に万葉公園をつくってみてはどうか」との示唆を受けた地元の人々が、博士の指導助言を受け、建設したのが現在の万葉公園と言われています。

[万葉公園]
〈住所〉神奈川県足柄下郡湯河原町宮上566
〈TEL〉0465-63-2111(湯河原町観光課)
〈開園時間・入園料・休園日〉入園自由・無料・年中無休
〈URL〉https://www.yugawara.or.jp/sightseeing/722/

※令和2年(2020年)4月1日から公園リニューアル工事が始まるため、公園と湯河原観光会館は1年間利用できなくなります。


《8》鎌倉ゆかりの文豪の作品を多く展示
[鎌倉文学館](鎌倉)

外観
(画像提供)鎌倉文学館

鎌倉文学館は、昭和11年(1936年)に建てられた、加賀百万石藩主の系譜である旧前田侯爵家別邸の洋館を鎌倉市が譲り受け、改築・改修をし昭和60年(1985年)11月に開館。平成12年(2000年)5月、国の有形文化財に登録されました。館内では鎌倉文士の川端康成や高見順をはじめ、ゆかりの文学者、夏目漱石、芥川龍之介などの自筆原稿や書簡などを展示しています。

常設展示室
(画像提供)鎌倉文学館

談話室外のテラス席
(画像提供)鎌倉文学館

空気の澄んだ日は大島が望めるそうです!

バラ園
(画像提供)鎌倉文学館

庭園南側にあるバラ園では約200種250株のバラが楽しめ、春と秋の見ごろに併せてイベントも開催されています。また、由比ヶ浜を見下ろす素晴らしい眺望の庭も魅力。

[鎌倉文学館]
〈住所〉神奈川県鎌倉市長谷1-5-3
〈TEL〉 0467-23-3911
〈開館時間〉9:00~17:00(3月~9月)/ 9:00~16:30(10月~2月)
※入館は30分前まで
〈休館日〉月曜日(祝日の場合は開館) ※展示替期間、特別整理期間など休館
〈入館料〉収蔵品展 ¥300/特別展 ¥300~¥500(展覧会によって異なる)
〈URL〉http://www.kamakurabungaku.com/


番外編~こんな著名人も神奈川に!!

《9》現在も営業!坂本龍馬の妻おりょうゆかりの老舗料亭
[田中家](横浜・神奈川区)

外観
(画像提供)田中家

田中家は文久3(1863)年創業。開港地に近いことから、長州藩の高杉晋作がひいきにし、伊藤博文、西郷隆盛らと倒幕の計画を練ったという逸話も残っているそうです。また、幕末の志士坂本龍馬の妻おりょうが、30代の2、3年間、勝海舟の紹介で住み込みの仲居として働いていました。
夏目漱石の書など、ゆかりの品々も所蔵。

歌川広重の「東海道五十三次 神奈川」の浮世絵にも描かれた「さくらや」が前身


(画像提供)田中家

「さくらや」は、画像内、坂の上から三軒目。

(画像提供)田中家

江戸の雰囲気とお料理を堪能してみてはいかがでしょうか。

[田中家]
〈住所〉神奈川県横浜市神奈川区台町11-1(JR横浜駅西口より徒歩約7分)
〈TEL〉045-311-2621
〈URL〉https://www.tanakaya1863.co.jp/

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