「俳優人生を支え続ける出会い」俳優・永山たかし
永山たかし
相模原市出身、映像や舞台などで活躍し続ける永山は、芸歴24年を数えるいわば中堅俳優の43歳。
近年では、フジテレビ「推しの王子様」やNHK大河ドラマ「青天を衝け」など、第一線の舞台で活動している彼だが、必ずしもここまで、全て順風満帆だったわけではないという。苦悩や葛藤、思い通りにいかない状況はありながらも、俳優としての活動を続けていけるのは、訪れた様々な出会いを、大事に育てていける彼の人間性ゆえなのかもしれない。
ーなぜ俳優に?
永山「最初はお笑い芸人を目指そうかと」
ー俳優ではなく?
永山「はい。子供の頃から、クラスの中では笑いを取るポジションにいたんです。それでお笑い芸人になりたいなと思って。それで高校3年生の時にタレントオーディションを受けたんですよ。その時に、君は俳優に向いていると関係者の方に言われて」
それで俳優になろうと決心したわけですね?
永山「はい。すぐに俳優養成所に入所しました」
しかし、やりたい、なりたいと言ってすぐにチャンスは訪れるはずもなく、人脈作りに奔走しているうちに訪れたファッションショーの会場で、モデル事務所にスカウトされる。そこからは社長と二人三脚で営業、仕事をもらうため必死だった。
永山「あの頃が一番きつかったかもしれない。相模原から毎日通って事務所の掃除や雑用をこなしていました。」
その中でもぎ取ったオーディションに挑み、デビューが訪れる。1998年、テレビ朝日の連続ドラマへの出演が決まった。
永山「デビュー作の現場での体験、出会いはとても貴重でした。とくに若松監督からの言葉は今でも強く胸に残っています」
後に「沈まぬ太陽」「ホワイトアウト」などを手がける巨匠・若松節朗氏は、右も左も分からぬ新人・永山たかしと肩を組みこんな風に声をかけたのだという。
「君が今やっていることは、すごいことなんだよ。それを忘れないように」
永山「あの言葉は忘れられません。俳優ととても近い距離で接してくれる若松監督からは、とても多くのことを学ばせてもらえた」
デビュー作で出会った仲間の仲介もあり、2000年から芸映プロダクションに在籍している。縁や出会いを大切にする実直な人柄も伺える永山だが、彼にとっての大きな出会いは他にも。
永山「『ミュージカル テニスの王子様』は、とても大きかった。仲間や作品の世界観、そして今でも強く繋がるファンのみんな。自分の中で新しい場所、世界に挑戦していた時で、大きな広がりを見出せたと思う。F2ドリームス(フジテレビのワイドショー番組内ユニット)然り、その頃の出会いは、今でもとても貴重なものです」
当時はまだ2.5次元ミュージカルという呼び名もなく、一部では「伝説」とまで囁かれ、人気作を牽引した彼は、作品や出会いへの感謝を忘れない。
そんな彼にも、やはりコロナ禍という現実は、厳しいもののようだ。
永山「見えないボディブローを撃たれ続けているような感じですね。芝居のリハではマスク、現場スタッフとのコミュニケーションも図り辛くなって。ネガティブになりそうな時もある。ただその状況を無理にこじ開けようとするのではなくて、打開策を冷静に用意しながら受け入れていく。そういうことも必要なのかなって。ワークショップだったり、自発的に動いてコミュニティを見つけて、糧を得るとか」
エンタメ業界に打撃を与え続ける、出口の見えないコロナ禍で戦い続けることは、簡単なことではない。
そんな中でも、出会いを大事に、諦めず走ってきたことで実を結んだ作品がある。
永山「この前映画の撮影を終えたばかりなんですが、少人数で長回し、限られた日数の中、朝から晩まで本当にハードなロケでした」
細かくカットを割らない長回し撮影では、一度に覚えるセリフや段取りの数は数倍にも膨れ上がる。それを少人数の俳優でこなすには技術や経験だけでなく、集中力や体力も計り知れないだろう。だが、そう話す彼の表情は、達成感や喜びに満ちている。
永山「作品内容には触れられませんが、秋山純監督の作品です。秋山さんは道を拓く人で、プロデュース力なんかはいつも勉強させてもらっています。長い付き合いの中『たかしで映画を撮る』と言ってくれた約束を17年越しに果たしてくれました。俳優の個性を大事にしてくれる監督で、今作には宝塚出身の女優さんやモデルさんなど、バラエティに富んだキャスティングも魅力です」