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アート伝統芸能

伝統芸能の“秘曲”を支える現代的トレーニング

伝統芸能の“秘曲”を支える現代的トレーニング

(TOP画像)撮影:国東薫

21世紀を生きる狂言師の檜舞台
Vol.8 伝統芸能の“秘曲”を支える現代的トレーニング
大藏教義(能楽師狂言方大藏流)

先日、狂言の演目の中で秘曲と言われる『釣狐』を演じた。父一門で主催する「大蔵流吉次郎狂言会」が20年を迎えた節目であり、この演目は、自分としては2度目の挑戦である。

物語を簡単に説明しよう。
一族を猟師に釣り取られた狐が、伯蔵主という僧に化け、猟師に狐を釣るのを止めるよう説得しに行く。その帰路のこと。猟師が捨てた罠の餌を見つけた狐は、誘惑に負け、ついに着ていた着物を脱ぎ捨て、本性を現し、罠にかかってしまう。最後はなんとか罠から抜け出し、猟師に追われて狐が逃げていく。
狂言180演目の中で最高難易度の演目とされ、心・技・体を必要とするため、およそ20年の修行を得て、最後の修了課程として上演するのが習わしだ。そのため、狂言方としては「卒業論文」にも例えられる。言うなれば『釣狐』を演じて初めて、一人前と認められるわけだ。
私は26歳で初演し、今回の記念で2度目の再演を果たしたことになる。
*前シテの伯蔵主(撮影:国東薫)

技術面は言うまでもなく難しい。しかしそれ以上に必要なのが体力だ。
狐が人間に化けているので、演者は腰を十分に落として構える。前半40分もの間、この姿勢で喋り、語り、飛び、謡う。
そして一番の問題は、暑さ。
伯蔵主の格好は、狐のモコモコした着ぐるみを着て、さらにその上に装束を着る。頭には角帽子、手袋、そして面。
空気に触れているのは首筋のみ。
*狐の装束と罠。破損などないか、舞台前に入念にチェック!

40歳を前にした私にとって、体力が一番の問題だった。体力がなければ技術も活かせない。そこで、今年に入ってからトレーニングを始めた。
・ランニング5km
・筋トレ30分
・ヨガ20分
・ストレッチ30分
はじめは慣らしで取り組んでいたが、5月に入ってからはスパートをかけ、一気に追い込んだ。

先述の通り暑さ対策が必要なので、ランニングは常に“暑い”格好で望んだ。
某衣料販売店で販売されている、長袖の「極暖」は重宝した。
もちろん、タイツは「ヒートテック」。
さらにサウナスーツに身を包み、頭と首にはタオル、手袋とマスクを着用。
セリフをブツブツ言いながら走る。
いかにも“怪しい”格好で土手を走っていたわけだが、不審者に思われなかったのが幸いだった。スポーツ店で販売しているウェアを選ばなかったのは、動きづらい服装がベストだから。トレーニングでは負荷をかけなければ意味がない。

筋トレは、インナーマッスルを中心に鍛えた。普段、筋トレなどに興味を持たず何もしてこなかったので、腕立て伏せくらいしか知らなかったのだが、最近はもっと効率の良い鍛え方がある事に驚いた。サイトで調べると、YouTubeにも多数投稿されていて、詳しく教えてくれる。自分なりに選んだ5種類をゆっくりと実践するだけでも、十分汗をかく。
ストレッチやヨガは本を買ったり、借りたりして取り組んだ。
ストレッチを真面目に一冊分取り組むだけで、随分と体が軽くなるのが分かった。どこの筋肉を伸ばすのかも丁寧に教えてくれる。
ヨガには様々なポーズがあるが、目的を体幹を鍛えることに絞って取り組んだ。

実は、ストレッチもヨガも、狂言とは無関係だと思っていた。ところが実際にやってみると、驚くほどパフォーマンスが向上することが分かり、思い込んでいた自分が恥ずかしい。
とにかく身が軽い。すり足に安定が生まれる。

そして何より驚いたのがスポーツ飲料だ。いままで飲んでいたスポーツ飲料ではなく、ハイポトニックウォーターという商品を勧められた。素早く水分を吸収できるため、胃の中で水がポチャポチャする事がない。
さらにエナジードリンクは欠かせない。舞台に出る前にあらかじめ摂取。中入り(一度退場し再度舞台に出ること)の時間にも、素早く体力と筋肉を回復してくれるジェル状飲料を摂取。まさに“現代の力”を使って舞台に臨むことができた。

膨大な体力、その上に技術。それを支える精神力。まさに心・技・体が一つになった演目だと思う。*後シテの狐。狐のみに使用する特別な面。視界はほぼゼロ。(撮影:国東薫)

なぜそこまでやるのか?と聞かれた事があった。
芸歴34年。初演から13年。いまの自分の極限はどうなのか、知りたかったのかもしれない。積み重ねたものが正しかったのか、答えを見つけたかったのだと思う。
あとは「やるか、やらないか」だけだった。自分で目標を掲げ、そこに邁進する。見てくださるお客さまに満足していただけるように努力する。
その一心だった。

この先、体力は衰えていく。一方で、技術と精神は向上していく。
その時の年齢までに積み重ねた、自分の人生の、命の全てをぶつけるに相応しい演目だと思う。
この先10年後、20年後に、自分の極限を求めて再び挑戦したい。

*掲載されている写真は、著作権および著作者人格権保護法、肖像権保護法により、画像の加工や2次使用を固く禁じます。

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