Ryu Mihoの『Woman in Jazz♡』第6回 野毛 ジャズ喫茶「ちぐさ」 『Jazzと人と共に時を刻んだ空間に、耳を澄まして』
Ryu :『Woman in Jazz♡』は女性の皆さんが気軽にジャズハウスやジャズ喫茶へ行けるよう、また行きたくなるようなコンセプトでお届けしています。
藤澤さん:実は女性のお客さんにも来てもらいたいなぁということもあって、月曜日はジャズに因んだおみくじが引けるんです。飴玉が一個つきます。それだけなんですけどね。
Ryu:いいですね、レディースデーみたいな感じで。
実は私は何回か来た事があるのですが、この佇まいはジャズと共に時間を刻んでこられた歴史あるお店という印象があるのですが、このお店を建てられた経緯について教えてください。
藤澤さん:2007年1月にお店を一度閉めてしまうんです。これは吉田氏が地上げのマンション開発に引っかかってしまって、「土地を購入するくらいならレコードを買いたい」と言っていて。結果的に吉田氏が亡くなった後、妹・孝子さんが引き継ぎ、有志のちぐさ会のメンバーと一緒に何年か営業していたのですが、立ち退きの連絡がありました。闘おうと思えば闘えたが、残念ながら孝子さんが疲れてしまって。ちぐさ会のメンバーも元々は吉田氏が亡くなった後、手伝っていたが諦めて一度お店を閉めました。それが2007年。その時にジャズの篤志家みたいな方がいて、「ちぐさの折角の遺品を引き取るよ」と言ってくれたんです。プレーヤーからレコードから資料、どうせ無くなってしまうのならうちが引き取りますよ、と。そこで大分ちぐさ会のメンバー達が侃々諤々議論がなされまして。
今は一度お店は閉めるけれどいつかは復活したいという想いがあるので、その日の為に何とか遺品を残していきました。そうは言ってもこれだけの遺品をスピーカーも大きいし、プレーヤーも相当なボリュームがあるので、どうするんだという話になって。随分色んな人たちが面倒を見てくれて。
転々としながらですが5年間の間過ごしたという事です。
預かってくれたのが中央図書館、JRA競馬界の駐車場とか最後は町づくり会が「これは野毛にとって大事な資産だから」と言って預かってくれたりと色んな人たちが善意で預かってくれていた事が先ず一番大きいです。
そんな時、野毛Hana*Hanaというところが町おこしを拠点の活動している中、「なんでみんなちぐさの事を忘れたんだろうか」という話が出て、ちぐさの事を特に推してくれる人がいたんです。そして1日ちぐさをイベントという形で実寸代で復元したんです。
その時にちぐさを解体した時の資料が写真の形で出てきて。
昔のちぐさはとても古く木造2階で簡単に壊れる建物だったのですが、壊す時に写真を撮っていたんです。それも物凄い数の。何百枚とあった。その写真を元にして設計図を引き直して、その7割の大きさに復元したものをHana*Hanaに作ったんです。その時は10日間の営業で約1700人が来てくれました。
こんなイベントひとつで終わらせてしまうのかと言う事で、そこからお店探しが始まりました。
ちぐさを本格的に再開する場所が無いかということで探していたら、たまたま隣が空いていたんです。ここが元々古いバーで、閉めてから10年間ほったらかしにしていたのですが、何とかオーナーに掛け合って場所を見つけて、場所を借りたのが2011年の夏でした。
その前に、東日本大震災があった中、僕らにとっては身近だったジャズの仲間達が被災をして、たまたま神奈川新聞に載っていて、瓦礫の中からレコードを引っぱり出し、「こんな事じゃ負けねえぞ。また必ず再開するんだ」というh.IMAGINEの富山さんの記事を読み、それに僕らが触発されたんです。
俺たちもできない訳ないだろうと。五体満足で、こんな繁華街で、これだけの仲間がいて、どれだけ恵まれているか。彼らと一緒に再開をしよう!と。h.IMAGINEの富山さんが大船渡に改めてお店を構えるということでしたので、それをこちらも目標に一緒に動き出しました。
そして横浜市が支援制度を利用し、空き店舗を利用すること、被災地の支援になること。という事で横浜市に企画書を提出して支援を受けながら、家賃補助も半分ですが、1年間やってくれました。
1年間はそういう形で震災という不幸な出来事だったけれど、それを機に他の力をもらってこのお店の再開し、お店が始まったという事です。
Ryu :そうだったのですね、ではお店のオープンは2012年3月になるのですね。
藤澤さん:そうですね、大船渡のお店と一緒に再開になります。でも大船渡は大変で土地そのものが流されてしまったので、広い範囲で嵩上げをやっているんです。
それからお店を建てるという事で今6年基礎工事にかかって終わり、転々としながら仮店舗で営業はしていますが、来年あたりに本格的なお店が再開になると思います。
今年の3月11日も富山さんと連絡を取りながら、その後どうだい?と話して一緒にこれからも続けていくと思います。
Ryu:ちぐささんにとってh.IMAGINEは兄弟店のような感じですね。
藤澤さん:そうですね、申し訳ないんだけれど僕らにとっては背中を押されるというだけでなく、後ろから蹴飛ばされる位の衝撃をもらって力になったということです。
Ryu :そうだったのですね。互いに励まし合う強い絆があるのですね。
吉田衛さんの「音を聴く為の店作り」とはどんな事を工夫されてお店を作られているのでしょうか。
藤澤さん:僕らにとっては先ずは場所を確保する事が最優先で、音響にとって良い悪いを正直考えていなかったんです。ただ、たまたまなんだけれど、元のちぐさに比べて遜色の無い、古いお店が残っていたということなんです。なので、基本的には殆ど手をつけなかったんです。手をつけないで、2階があるので落っこってくると困るという事で下にパイプ1本入れたくらいです。
面白いもんで、音って馴染むんですよね。
スピーカーがあってプレーヤーがあってアンプがあって、実はそれだけではなくて建物も含めて、だんだんどこか馴染んできたねというのは感じました。
こういう木造の家屋の中でなんかこういう馴染んで吸収しながら優しく返してくれるような、多分それは視覚的にも五感に返ってくるのかなという気はしています。
特に手は加えてないです。
Ryu:聴いていて、音が良いなぁと思っていて。優しくて深い音ですよね。
藤澤さん:そうですね。最初は居心地悪かったんです、何となくね。それがだんだんとね、いつの頃からかな、馴染んできたね、というのはあります。
Ryu:オーディオは高橋宏之氏(ビクター社のエンジニア)によって設計及び制作された。とのことですが、ちぐささんの名前が入ったオリジナルだそうですが吉田衛様の時からずっとあるのでしょうか。
藤澤さん:はい。吉田氏が昭和18年に招集を受けるんです。戦地に引っ張られる訳です。それでいない間に昭和20年4月の横浜大空襲でこの辺の全てが焼かれる訳です。
彼が大事に取っておいたもの全てがそこで消失してしまうんです。
彼は幸いな事に帰還するのですが、何にも無いと。
そんな中でも俺はジャズをやりたいと。聴いて欲しいし、一緒に聴きたいと。ということで、当時の古い仲間達がよってたかって集まってくれた。
レコードを持ち寄ってくれる人、音響設備を手掛けてくれるくれる人、そういう人たちが色んな所で集めて作ってくれた。その成れの果てを大事にしています。
スピーカー、アンプ、プレーヤーにしてもみんな寄せ集めで、中身は少しずつ変えていますが、今でもそれを大事にしています。
ただ音の詳しい人からすると、これもうダメだよ全部買い替えなさいと言われるのですが、そういう経緯があるのでなかなか替えられないというのもあります。
純粋に音として表すものだときっと、こんなものお客様に聴かせるのは忍びないよと言われるかもしれない。でもやっぱりちぐさはある種のノイズも含めて、これがちぐさの音なんだという人がいます。まだまだ当分はちぐさモデルでいくと思います。
Ryu :素晴らしいと思います。ちぐさへ入ると耳を澄ましてちぐさの音を真剣に聴かれている方が多く、私もじっとしてしまうのですが、やはり普段はお客様は音を聴かれる方が多いのですね。
藤澤さん:なんだろうね、これもね。ジャズは本来は楽しんで、踊る為の音楽でもあった訳ですから、ちぐさは吉田氏の責任もあるだろうけど(笑)、だまって静かに聴けみたいなところあったから、そういう感じになっちゃったところもあるから。
この店に来ると喋るのを憚れたり、でも喫茶店でおしゃべりもできないのかっていうのもあるし、良いんです、自由で。ここは入れ替わり立ち代わりでやっているので、人によって対応が違うんです。
Ryu:そうなのですね、それを聞いて私も入りやすくなりました(笑)。
今レコードは何枚位あるのでしょうか。
藤澤さん:3000枚位です。まだ出していないものもあるのですが。元々は6000枚位あったものが半減していて。あとは桜木町の地下倉庫にあるんです。結構ご年配のファンの方たちが引き取ってくれないかと言われるんです。そういう人達がちぐさの事を新聞やマスコミで知って電話をかけてくれるんです。実はうちのお父さんがこんなのを残していて、どうだろうか。とか。
なるべくそういうのは頂くようにしているんです。
もちろんダブるものもあるのですが、何度も聴いていると擦り切れるものあるので良いんです。
無いものもたまに出て来ますしね。
Ryu:藤澤さんはジャズを聴いてこられたのですか。
藤澤さん:全く聴いてこなかったのですが、野毛1丁目にあったジャズ喫茶ちぐさの隣近所に住んでました。ただここでお店を再開するにあたって、地域の人たちの協力とか支援とかをもらわなきゃいけなかった、そういう人付き合いの為にパイプのひとつだと思っています。
Ryu:そうなのですね、ネットにも載っていないような知らないお話ばかりです。普段どんな風に選曲されていますか。
藤澤さん:選曲という意味で最後のちぐさ会の会長となった遊佐さんが2012年3月11日のオープンで「何かけるんですか?」と聞いたら、「もう決まっているんだ、ビル・エヴァンスのMy Foolish Heart」と言ったんです。吉田氏が一番好きな曲で、必ずオープニングでお店を開く時はこの曲で始めていました。
だから5年ぶりにお店を開く時はこの曲、と決まっていました。実際にそうしました。
吉田氏はその曲が好きだったという事もありますし、この曲でレコードのプレーヤーの調子を見るそうです。
同じ曲で同じ調整でやれば、今日違うなとかどこかおかしいとか分かるから。
だからそういう面でも好きな曲でもあるこの曲でお店を始めるというのがちぐさの伝統と言えば伝統です。あとはお客さんがあれかけて、これかけてとか、それこそくじ引きじゃないけれど(笑)。特に何もないです。
Ryu:そうだったのですね。リクエストは沢山あるのですね。
藤澤さん:はい、沢山あります。半分くらいはリクエストで、半分はただ聴いているだけでいいですという方ですね。皆さん詳しいです。
逆にお客さんが知らないミュージシャンの名前を教えてくれて。聴いたことのないレコードをかけさせてくれる。これは有り難い話です。思いがけないプレゼントですね。
Ryu:ライブも行われていますよね、定期的にライブは開催しているのですか。
藤澤さん:去年位までは毎週やっていたのですが、今は月に2回位です。それでもちぐさでやりたいっていう方が多くて。沖縄の子はちぐさでやることが決まったら泣いてくれて。そのくらい僕らが思う以上にちぐさがジャズの世界の中で役割というか存在感というか目に見えないところであるんだなぁと思わされました。だから経営的な事もありますがなるべく解放したいなと思っています。
Ryu:やはりお客さんにもミュージシャンにも色んな人に愛されているお店なのですね。
藤澤さん:はい。横浜で、野毛の中で折角吉田氏が培ってきたものを簡単な形で無くしてしまわないように、若い世代へ引き継いでいかなくちゃいけないとか、特に若いミュージシャン達を応援したい、育てたい。それは日本のジャズを豊かにする為にという吉田氏の夢でありました。
それは単に喫茶店だけじゃ無理なので、レーベルを作ったりジャズ絡みのイベントを組んだりとか、そういう仕事を主催したり、町で協賛したりという働きもしないといけないとあって大変ですね。
そういう中で有給のスタッフとボランティアの人たちが支え合ってやってくれていますね。
好きな音楽と珈琲があって面白い仲間が来てくれれば十分だよという人たちで、そんな人たちが基本的なところを固めてくれているから成り立っています。
今の時代、ジャズ喫茶は成り立たないと思うんです。
だけどちぐさは有り難いことに色んな経緯があって、色んな人たちがよってたかって協力してくれることが多いんです。それぞれの特技を生かしながら関わってくれているんです。
レコードの包装関係のエキスパートや珈琲淹れる事も含め、色んなそれぞれの人たちのバックグランドがちぐさに関わっているということなんです。
それで何とかかろうじて6年間続けて来られています。
Ryu:沢山の人の力と想いによってちぐさが作られているなんて、本当に素晴らしいです。
Ryu:最後に女性読者へメッセージをお願いします。
藤澤さん:最近は若い女性がお一人で来られる方が多いです。映画に興味があったり、小説が読みたいとか、一人の時間をゆっくり過ごされたい方の割合が多くなっています。
込み入った事を考えずに、自分が本当に良いと思うものを良いと思い、気楽に過ごしていらっしゃい。
Ryu:私もまた伺います。どうもありがとうございました!
いかがでしたか。第6回『Woman in Jazz♡』
歴史ある空間、野毛ジャズ喫茶 ちぐさに行って参りました。
今回聞けたネットにも載っていないお話は今のちぐさを作り、守ってきた多くの人たちの思いと行動そのものでした。
その空間に浸りながらひとりの時間を過ごし、大切な想いが見えてくるかもしれません。
是非ちぐさへ行って、時間を過ごしてみて下さいね。
ジャズ喫茶 ちぐさ(野毛)
http://noge-chigusa.com/