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舞台『アドルフに告ぐ』上演記念 竹熊健太郎コラム「長編ストーリーマンガの、真の醍醐味」

舞台『アドルフに告ぐ』上演記念 竹熊健太郎コラム「長編ストーリーマンガの、真の醍醐味」

長編ストーリーマンガの、真の醍醐味

竹熊 健太郎
手塚治虫『アドルフに告ぐ』を、ほぼ30年ぶりに読み返した。83年から85年まで雑誌「週刊文春」に連載されていたこの作品は、少年誌やマンガ雑誌ではない成年向け一般雑誌でストーリーマンガが連載される嚆矢となった。もちろん前例はあるが、マンガ雑誌以外の30~40代向けサラリーマン向け一雑誌で、ショートものではない本格的ストーリーマンガが長期連載され、それがハードカバーの一見マンガらしからぬ装丁で、マンガ売り場以外、一般文芸書のコーナーにも並べられたマンガは、私の記憶では『アドルフに告ぐ』が最初ではなかったかと思う。

久しぶりに読んでみて、私はその「読みやすさ」に感激した。物語が何の引っかかりもなく、するすると頭に入ってくる。主人公が大アップで見栄を切るとか、格闘が延々続いてどちらが勝つかハラハラする展開を何ページも割いて延々と見せられることなど、決してない。少年向けの冒険マンガなどでは通常はそれこそが「見せ場」とされ、たっぷりページを割くのが普通なのだが、「ストーリーを伝える」見地からすると、そうしたシーンは無駄だとも言える。手塚マンガはキャラターの見せ場を見せることが目的のキャラクターマンガではなく、あくまでも「ストーリーマンガ」なのだと再認識させられた。

『アドルフに告ぐ』は1930年代の日本(神戸)・ドイツを舞台に、日本で生まれ育つ二人のドイツ人、アドルフ・カウフマンとアドルフ・カミル、そしてドイツで政権を握り独裁者となったアドルフ・ヒトラー、三人のアドルフを巡る物語である。狂言回しとして新聞記者の峠草平が登場し、ヒトラーのナチスが主催した1936年ベルリン・オリンピックの有名な開会式の場面から物語はスタートする。

直前の冒頭3ページだけ、戦後のイスラエルで老いた峠草平が「誰か」の墓参りをするシーンがプロローグで挿入されるが、読者には峠のことも、誰の墓参りをしているかもまだ知らされない。ただ「これはアドルフと呼ばれた三人の男たちの物語である」と作者のナレーションが挿入されるだけである。

手塚治虫『アドルフに告ぐ』

この冒頭を読んだだけで、作者が最後まで物語の構想を固めてから書き始めていることがわかる。長期連載前提のマンガでは、「結末をどうするか決めないで書き出す」ことも多い。なぜそんなことが可能なのかというと、ストーリーマンガの体裁はとっていても、本質はキャラクターを見せるためのマンガだからである。魅力的なキャラクターをまず決めて、彼を様々な困難に逢わせたり、多くの強敵と戦わせたりすることでキャラクターマンガは維持される。この場合ストーリーや全体の構想は二の次になってしまう。さもないと現在商業マンガの主流になっている、30巻40巻、時には50巻以上も続く大長期連載は維持できないからだ。

手塚治虫は「長編ストーリーマンガの祖」と言われている。長編の定義は時代によって変わるが、おおむね作品が100ページを超えると長編、それ以下は短編と呼んで良いのではないかと思う。50ページから100ページの間の作品を中編と呼ぶこともあるようだ。しかし連載が10年以上続き、単行本も30巻を超える作品が当たり前になっている現在、単行本にして3巻の『ジャングル大帝』など「短編扱い」されてしまうかもしれない。

手塚治虫の長編には、単行本にして5巻を超える作品は数少ない。『ブッダ』が14巻、『陽だまりの樹』が11巻で、いずれも手塚では例外的な長編である。『ブラック・ジャック』は20巻を超えるが、これは連載が一話完結形式で、主人公が一人のキャラクターものなので、短編連作という見方ができる。

一続きの物語で5巻に達する『アドルフに告ぐ』は、手塚としては大長編だということになる。

『アドルフに告ぐ』は、おそろしく人間関係の錯綜したドラマである。これを読みやすくマンガ化する手腕は、ほとんど神業を見ているようだ。主人公だけで3人、狂言回しでほぼ出ずっぱりと言える峠草平を入れると主役は4名の物語である。ここに「人種問題」がテーマとして絡み、「ヒトラーの家系にはユダヤ人の血が混じっている」ことを極秘文書の行方を巡って日本とドイツを舞台に主人公たちの運命が翻弄されていく。

手塚治虫『アドルフに告ぐ』

神戸で生まれた幼馴染のアドルフ・カウフマンとアドルフ・カミルは、もとは親友同士だったが、カウフマンはドイツ人外交官と日本人妻との間に生まれたハーフで、カミルはユダヤ系ドイツ人。日本にユダヤ人差別はないので、幼い二人は何の疑問も持たずに仲良くしていたが、本国でヒトラー政権が誕生し、露骨なユダヤ人差別政策を取り始めたことから、二人の仲は成長とともにズタズタに引き裂かれる。カウフマンは父親の引きでドイツのナチス幹部養成学校に入り、ナチズムを徹底的に叩き込まれる。一方のカミルの父親は、母国の同胞(ユダヤ人)を救おうと故国に渡り強制収容所に入れられ、ナチスとなったアドルフ・カウフマンによって射殺される。

物語の背景は日本とドイツ、イスラエルを舞台にした戦前・戦中・戦後史がある。歴史に翻弄される無数の人間たち。まことに雄大な構想を持った、文芸書コーナーに置かれるにふさわしい、骨太のマンガだと思う。

マンガにおける物語を語るに当たって『アドルフに告ぐ』は格好のテキストではないだろうか。この作品が書かれた80年代は、マンガがストーリーで読ませる時代から、キャラクターで見せる(魅せる)時代へと移り変わる端境期であった。物語の展開で読ませるストーリーマンガは、1989年の手塚治虫の死とともに死んだのかもしれない、と思うことがある。『アドルフに告ぐ』がまさにそうだが、手塚マンガの「読みやすさ」は、絵とキャラクターとセリフ、コマ割りという、マンガを構成する要素のすべてが「物語」と直結していることだと思う。手塚マンガは初めにストーリーがあり、それを表現し、支えることにすべての要素が奉仕している。その意味で無駄なものが一切ないのだ。

30年ぶりに読んだ『アドルフに告ぐ』は、真のストーリーマンガとはどういうものか、その醍醐味を教えてくれた。

<竹熊健太郎プロフィール>
1960年(昭和35)東京生まれ。編集家、多摩美術大学非常勤講師。1981年よりフリーで編集・文筆活動に従事。主活動ジャンルは、マンガとアニメーションを中心としたサブカルチャー領域。

アドルフに告ぐ 全5巻(手塚治虫文庫全集)

手塚治虫『アドルフに告ぐ』1

手塚治虫『アドルフに告ぐ』2

手塚治虫『アドルフに告ぐ』3

手塚治虫『アドルフに告ぐ』4

手塚治虫『アドルフに告ぐ』5

竹熊健太郎さんが責任編集のオンラインマガジン「電脳マヴォ」

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栗山民也演出、舞台「アドルフに告ぐ」はKAAT神奈川芸術劇場にて2015年06月03日(水)より上演開始!
http://www.kaat.jp/d/kaat_adolf

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