キネマ散歩 第3回横浜市伊勢佐木町「横浜シネマリン」
「この映画を見ると、みんな森山未來になっちゃう。年代、性別問わず、みんな彼の気持ちになって心がギュッっとなるんです。」
気になっていた映画のポスターについて、そう語ってくれたのは「横浜シネマリン」の支配人、八幡温子さんだ。面白かった、主人公の気持ちに同調した、ではなく、「森山未來になってしまう」映画。作品に対する興味が掻き立てられたと同時に、八幡さんの映画に対する愛と情熱がヒシヒシと伝わってきた。
久しぶりに降りた伊勢佐木町を見渡すと、馴染みの店のいくつかは、新しい店に取って代わられていた。そんな中でも変わらない空気感で、昭和の風景をそのまま切り取ったような一角が残っている。映画のポスターとレトロな看板に誘われて、地下への階段を降りたとこにあるのが「横浜シネマリン」だ。
リノベーションが施された館内は、白が基調で明るく、清潔な印象だ。踏み入れてすぐの正面に受付があり、受付を囲むように映画のポスターやカラフルな関連グッズが飾られている。少し足を進めて振り返ると、天井から突っ張った壁の一部に、映写機で映画の予告が流れていた。隠しトラックを見つけたような気持ちで、ワクワクさせられる仕掛けだ。
こちらのシネマは102席のスクリーンが一つあり、デジタル上映とフィルム上映を融合した上映システムを採用している。高品質な音響があるのも、大きな魅力の一つだ。
シネマリンの歴史はおよそ60年以上前、1954年まで遡る。映画・芝居の全盛期、伊勢佐木モールから馬車道にかけて40軒近くの映画館が立ち並んでいた時代に、吉本興行が「花月映画劇場」としてスタートさせたのが始まりだった。その後、1963年に「花月映画劇場」は閉館することとなるが、翌年「イセザキシネマ座」へと名称を変え、新支配人のもとで再度オープン。1986年には支配人の息子が受け継ぎ、会社の母体は変わらないまま、1989年に現在の「横浜シネマリン」へと劇場名を変更した。一時期は日活のロマンポルノやオールナイトなどが中心となっていたが、この頃には松竹系の作品を主体として、上映を行うようになった。
変遷をくぐり抜け、映画の町に残り続けた「横浜シネマリン」に次なる試練が襲いかかったのが2014年、デジタル化の波である。映写機で上映を続ける予定であったが、フィルムの作品が全く作られなくなり、閉館の危機に追いやられてしまったのだ。
そんな折、現支配人の八幡さんに、一本の電話がかかってきた。
「八幡さん映画館作りたいって言ってなかったっけ?実はとある映画館が閉館しようとしているんだけど、継いでみない?」
シネマリンの映写機をメンテナンスしていた担当者が、この場所をなんとか存続させられないかと考えた時に、映画サークルで活動していた八幡さんのことを思い出したそうだ。会社経営の経験がなかった八幡さんだが、ビルのオーナーや前経営者を待たせてしまっているため、すぐに返事をしなければならないと告げられると、「じゃあもうやるしかないでしょ」と奮い立ち、潔く大きな決断を下したそう!
映画サークルとして経営する場合、大きなお金を動かすのにも時間がかかるため、八幡さんは個人で動くことを決めた。全財産を使い果たすことになるであろう挑戦であったが、「文化に貢献するんだからいいんじゃないの?」と兄弟全員からの賛同を得て、2014年に新生「横浜シネマリン」の代表が誕生した。これだけでも一つの映画が作れそうなほど、ドラマチックな展開だ。
代表になりたての頃、配給会社との大きい作品に関する交渉は、経験のあるスタッフに任せていたが、「映画の配給会社の人と顔が見える関係になりたい。」という思いから、支配人自ら交渉して作品を取るようになったそうだ。最初は経験や関係性がゼロに等しかったため、思うように映画が取れず、上映スケジュールに穴が開くこともしばしばあったが、「私には特集上映があるじゃないか!」と自ら沢山の特集上映を組んで穴を埋めていったそう。
「そこの一年間のところは異様に特集が多くて。鈴木清順特集やってみたりとか、大杉漣特集やってみたりとか。」と笑いながら八幡さんは当時を振り返った。この作戦が功を奏し、「シネマリンは特集上映が得意らしい」と話をもらうようになり、取れる作品の数も徐々に増えていったそうだ。
この通り特集上映やイベントはまさにシネマリンの強みである。毎年夏に行っている戦争特集について尋ねると、このような答えが返ってきた。
「夏に平和の映画をやるっていうのは映画館を引き継ぐ前から、映画サークルでもやっていたことなので。みんなにやっぱり、過去にあった戦争をちゃんと見つめ直すような機会を提供するのも、映画館の役目かなと思って。映画からそういう歴史を学んで欲しいなという意味を込めて、毎年やっています。それはこれからもずっと続けていくつもりです。」
シネマリンは映画を楽しむだけでなく、映画を通して学びを得て、新たな発見をすることも可能とさせる場所なのだ。更には伊勢佐木町という場所に触れ合う機会すらも提供してくれる。
「地域密着型のイベントをもっと行いたい」と話す八幡さんだが、すでに近隣のお店と様々なコラボを行っている。台湾の映画特集があった際には、近隣の台湾料理屋さんでの半券定時割引キャンペーンを行い、来るジャズ映画特集ではジャズバーとのコラボを予定しているそうだ。これらのイベントやコラボは伊勢佐木町が良き「庶民の町」であるからこそ開催できるのだと、語ってくれた。
「伊勢佐木町は庶民の町ですね。お店は元々ある老舗の洋服屋さんがどんどんなくなっていて・・・元は呉服の街だったんですよね。それはちょっと寂しいですけど。でも来る人にとっては横浜駅でもない、みなとみらいでもない。元町でもない、伊勢佐木町。ていうのがやっぱり気軽に来やすいのかな、って思いますね。他所から来た人は、こんなところにこんな商店街があって、結構人が歩いていて、この人たちどっから来たんだろう、っていう感じでいらしてて。それはとっても嬉しいこと。」
帰り際、上映予定の映画のポスターを見渡し、映画を選ぶ際に心掛けていることについて聞いてみると「その時代の社会性を映す映画をあえて選んでいるつもりはないけども、結果的に選んだ映画の多くが、その時代の社会性を映しだしている。」と教えてくれた。
「横浜シネマリン」での映画体験は娯楽であり、学びであり、発見であり、出会いである、と改めて感じた一言だ。階段を降りたこの地下の空間で、一時現実から切り離されて、「シネマリン」ならではの夢のひとときを是非体験してみてほしい。
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