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文化・歴史

鎌倉殿とゆかりの地―北条義時のゆかりの地をめぐる

鎌倉殿とゆかりの地―北条義時のゆかりの地をめぐる

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送が始まって、約2か月になろうとしています。今の時点での主人公の北条義時の印象は、若々しく、何事にも一生懸命という印象を受けます。今後、様々な紆余曲折を経て、鎌倉幕府の第2代執権となっていくのか非常に楽しみです。
今回は、主人公・北条義時のゆかりの地をご紹介します。

スポット1 北条義時法華堂跡(北条義時の墓)
鎌倉駅から徒歩で約20分、鶴岡八幡宮の北東にあります。

数十段の石段を上ると少し開けた場所があります。ここが北条義時の法華堂跡といわれています。現在は、縄張りを残すのみとなっており、建物などが建っているわけではありません。

ただ、スマートフォンでアプリをダウンロードすると、当時の建物がARで見ることができます。※専用アプリのダウンロードが必要です。

近くには、源頼朝、大江広元の墓もあり、北条義時は当時最高権力者の一人とみなされていたことが窺い知ることができます。
📍神奈川県鎌倉市西御門2丁目5

スポット2 宝戒寺
鎌倉駅から徒歩で約15分、鶴岡八幡宮前の横大路の突き当りにあります。

小町邸といわれた北条歴代執権邸の跡地に1335年に建立されました。これは、後醍醐天皇から足利尊氏に北条氏の鎮魂のために建立が命じられたといわれています。

一般の参拝者でも本堂に上がることができ(有料・大人300円、中学生200円、子供100円)、ご本尊の子育経讀地蔵菩薩を配管することができます。また、宝戒寺は「萩の寺」ともいわれ、春には桜、秋には萩、他にも四季折々美しい花が境内を彩ります。
📍神奈川県鎌倉市小町3丁目5−22

スポット3 極楽寺
鎌倉駅から江ノ電に乗車し、4つ目の駅である極楽寺駅より徒歩2分。

北条義時の三男・北条重時が建立したといわれています。完成を待たずに亡くなった重時にかわり、重時の息子である北条長時、北条業時が伽藍を整備し、全盛期には49塔頭を備えた一大寺院でしたが、火災や震災により焼失、倒壊し、現在は山門と本堂を残すのみとなっています。

茅葺の山門をくぐってから、本堂までの参道にはソメイヨシノ、本堂前には北条時宗がお手植えしたいわれる「八重一重咲分け桜」と呼ばれる八重桜と一重桜が同じ枝に咲くという大変珍しい桜があり、参拝者を楽しませます。
📍神奈川県鎌倉市極楽寺3丁目6−7

スポット4 二俣川・鶴ヶ峰古戦場
相鉄線鶴ヶ峰駅から徒歩で約10分。

武蔵国(現在の埼玉県、東京都、神奈川県東部)の有力御家人で源頼朝の信任も厚かった畠山重忠の軍と北条義時率いる鎌倉軍による戦いが起こった場所、二俣川・鶴ヶ峰古戦場があります。この戦は武蔵国の支配を強めたい北条義時の父・時政の策略によるものといわれており、北条義時は最後までこの戦に反対していたとか。しかし最終的には大軍を率いて、畠山重忠を討ち取っています。現在はその碑が建つのみですが、近隣には畠山重忠の首洗いの井戸や首塚など、幾つかの史跡も存在します。

源頼朝が亡くなった鎌倉時代初期は有力御家人による権力闘争が数多く起こっていました。この戦いは、その権力闘争の象徴的な出来事のひとつであり、その後、北条氏はより権勢を強めていくことになります。
📍神奈川県横浜市旭区鶴ケ峰本町1丁目1

北条義時のゆかりの地は数多くありますが、その中でも印象に残った4つのスポットをご紹介いたしました。その当時の風情を今も感じ取れる場所、名残を残すのみとなってしまった場所と様々ですが、当時の人々に思いを馳せながら、史跡を巡ってみるとこれまでと違った発見があるかもしれません。
「鎌倉殿とゆかりの地」次回もお楽しみに。

※記載しているコラムの内容には、諸説あることを申し添えます。

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