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クレイジーケンバンド 横山剣が見る横浜・前編

クレイジーケンバンド 横山剣が見る横浜・前編

「東洋一のサウンドマシーン」として幅広いサウンドを発信するクレイジーケンバンド(以下、CKB)。結成25周年を迎えた今もなお進化し続けている彼らは、通算22枚目のアルバム『樹影』を携えた全国ツアー『CRAZY KEN BAND TOUR樹影 2022-2023』を行っている真っ只中だ。そんなCKBを率いて、バラエティに富んだ楽曲を生み出す横山剣という人物を語る上で、「横浜」という街は切っても切り離せない。昭和、平成、令和と、3つの時代を横浜で過ごしてきた横山の目にこの街はどのように映るのか。彼の作る音楽に、横浜の風はどのようにブレンドされていったのか。インタビューの前半では変わりゆく横浜の街についての印象や、横浜がCKBの曲に与えた影響などについて、かの名曲の誕生秘話などを交えて語っていただいた。

◆昭和から令和まで「グラデーション上」に変化した本牧、横浜

── はじめに、結成25周年おめでとうございます。25年という節目を迎えたことに関して、今の心境をお聞かせください。

横山:ありがとうございます。大体3年か4年でバンドは何かしら起きて。解散したりとか、まぁそんな続くものじゃないんですけど。25年も続いたなんてのは初めてなので、自分もびっくり(笑)。

── 横山さんは昭和~平成~令和と、3つの時代を横浜で過ごしてきましたが、それぞれの時代の横浜の印象についてお聞かせください。まずは幼少期、子供のころの横浜はどのような印象でしたか?

横山:5歳ぐらいまでは本郷町とか本牧とか、米軍基地があった本牧通り沿いに。山手警察くらいからですね、基地が始まって、左がエリア1で右がエリア2になっていて、こうバーっと広大な敷地が接収されていたわけですけど。そういう景色が朧気に残っています。5歳から港北区の日吉ってとこに引っ越して、同じ横浜でも全然違う景色だなって思いました。大体横浜っていうと港のイメージがあるわけですけど、世の中的に。でも、実際は山があって森があって海があって結構そういった自然が多くて面白いなって。

──では少し時を進めます。1997年に本牧でCKBが「ヌルっと発生(※CKBオフィシャルHPより引用)」しましたが、そのころの横浜のどのような印象ですか?幼少期と比べて、どのように映りましたか?

横山:はい、結成しましたね。そのころはもう基地とかは無くなっていたんですが、まだ米軍基地があった頃の、それに関連したお店とかがですね、若干残っていて。未だに残っている『ゴールデンカップ』ってお店があるんですけども、もっと古くからあった…50年代からあった『イタリアンガーデン』っていうお店とか『VENICE(ベニス)』とか。こういったお店っていうのが97年に全部マンションになるんで、地上げかなんかで取り壊しになっちゃったんですね。VFWっていって米軍の退役軍人の人達の酒保みたいなのがあったんですけど、その地下にあった『イタリアンガーデン』が僕らの拠点になってました。『イタリアンガーデン』とその上のVFW、その二か所でライブをやったり、パーティーを開いたりしておりました。なんにもない時もたまり場にしていたんで、50-60年代の雰囲気が残っているその環境で馴染んでいったわけです。そこでいくつかのバンドが出てたんですけど、その対バンのメンバーとか、あと昔から一緒にやっているメンバーとか、色んな人がたまっているもんですから、「あ、このメンバーでバンドをやろう」と思ったのがCKBです。

──そこから25年続いたっていうのがまた素晴らしいですね。

横山:そうですね。最初はだからちゃんとパーマネントな形でやるつもりじゃなくて、ちょっといくつか仕事の話があって。2本くらい話があって、この2本だけやったら終わるつもりが、25年続いちゃったっていう。

──そうだったのですね! では次に、今の横浜についてお聞かせください。私自身本牧出身でして、たまに東京から地元に帰ってくると色々変わっていてびっくりします。最近本牧やみなとみらいのエリアなども変化している印象を受けますが、横山さんは今の横浜にどのような印象を持っていますか?

横山:僕にとってはグラデーション上に変わっていったので…急激に変わったって印象はあんまりないので、全然違和感ないんです(笑)。しばらく離れて急に戻った人とか、海外行って戻ってきた人も多いんですけど、やっぱりみんなびっくりして「あれもないこれもない」と。僕が子供の時は本牧通りに路面電車が走っていたんですよね。路面電車はないし、米軍基地もないし。で、マイカル本牧ですらないし。地下鉄は通っていないし。まぁいろんなギャップを感じる人もいるんですけど、ずっといると分かんないですね、あんまり。

──では気づいたら、少しずつ何かがなくなって、その分新しいものが増えていった印象でしょうか?

横山:そうですね。僕も2年だけ東京に…えぇと、78年から80年まで2年間だけですね。1年間神宮前、その後は世田谷の用賀ってとこにも1年住んで。2年間だけ東京にいたんですけど。その東京にいた時に、柳ジョージさんの『FENCEの向こうのアメリカ』っていう、まさにエリア1とかエリア2のことを歌った歌をそんとき聞いたんですね。で、それで横浜に帰りたくなっちゃって。2年でホームシックになっちゃった(笑)。

──それで東京から横浜に戻ってきたのですね。ではグラデーション上に変わっていった今の横浜のお気に入りスポットを一つあげるとしたらどこになりますか?

横山:僕が今一番好きなのはシンボルタワーっていって本牧ふ頭の突端にある灯台です。そこの丘に登ると一番海が近いというか。根岸湾とかもバーっと見えて、素晴らしい。海釣り施設も隣にあります。あのあたりが大好きですね。犬の散歩をするにもいいし。日向ぼっこするにも最高です。

──素敵ですね。横浜はやはり海風が気持ち良いですよね。

横山:海風、そうですね。ハマカゼ。お弁当持っていく人もいっぱい。すごいゆっくりできる良い場所ですね。そこで僕らは2009年、コンサートをやらせていただいたこともありました。

──ハマカゼに吹かれながら?

横山:ハマカゼに吹かれながら、まさに。雨も降っちゃったけど(笑)。

◆神奈川県の「磁場で押し出され」た、名フレーズの誕生秘話

──CKBの歌詞の中には神奈川県に縁のあるスポットがたくさん出てきます。それこそ「ユニオンの買い物袋(『37℃』より)」など、地元の人にはクスっと笑えるような仕掛けがあります。

横山:そうですね、薬局の名前とかもありますね。

──薬局も入っていますね!そういったアイディアはどういった風に思いつかれますか?実際にその場にいるときに浮かび上がるものなのか、それとも、後から考えつくものなのでしょうか?

横山:そこを横切った時に歌詞にしようとかは思っていないんですけど、パッとなんか、元町だったら元町をこう…メロディから浮かんできたりするので。それでその時に自分の中での象徴するポイントっていうのを。元町プールだったり、薬局とか。ちょっとインポート系というか、昔の言葉でいうと舶来物を扱う薬局。そこにフェリスの女の子とか、インターナショナルスクールの子なんかが買い物しにきている。エスティローダーのなんかを買って。あぁやっぱりあっちの子はすごいませているなぁ、なんて僕が10代のころは思ったもんです(笑)。で、あとそのユニオンもそうですね。ユニオンの紙袋というよりは布袋が好きで。常にそれ持って歩くのが、ちょっと流行ったんですよね。あそこのユニオンの1階と2階の間にPRコーナーっていうのが昔あって、バンド募集なんかをそこでやったり。あとどうしても欲しい鍵盤があって「なになに譲ってください」とか書いたり。あるいは英会話教室。米軍基地の住宅の中に入れるっていうメリットがあって、そこに行きたくて入ったりとか。全然英会話上達しなかったけど(笑)。

──元町のお話をされているときに、先にメロディが浮かんでくると仰っていましたが、歌詞だけでなくサウンドの方も神奈川県の影響を受けているのでしょうか。

横山:そうですね。運転中とか、歩いているとメロディが浮かんでくるんですけど、もうそのメロディがある程度、なんとなく意味というか雰囲気を伴っています。「あ、これは元町のことだな」とかいって、メロディからこう、言葉で訳すみたいな。メロディの翻訳をするみたいな気分ですね。

──ではまずはイメージがメロディで降りてきて、言葉で翻訳して、ということですね。

横山:メロディ先っていうのもありますけど、逆に「俺の話を聴け」って『タイガー&ドラゴン」。あれは本当に運転しているとき。国道16号で、追浜あたりからいくつかトンネルが続くんですね。で、何個目かのトンネル…最後のトンネルを抜けると、海が見えて横須賀の港が見える。そのまま運転しながら詞とメロディが同時に出てきて。間奏にいくぐらいまでが同時に出て、そのまんま三笠公園に向かったっていう。そのまんまなんです、歌詞のまんまなんです。

──そういった歌詞とメロディが同時に浮かぶということは珍しいですか?

横山:珍しいですね。そこまで全部、一筆書きじゃないんですけど。でもやっぱりキャッチーになる場所は「せーの」で浮かぶことが多いです。で、神奈川県はなんかそういう…磁場に押し出されて出てくるのか。そういう不思議な、温泉みたいにこう「じょわじょわじょわ~」と(笑)。湧き出る感じがありますね。

──「俺の話を聴け!」っていうのが沸き出てきたのですね(笑)。

横山:あれもなんで「俺の話を聴け」なのかわかんないんですけど(笑)。勝手に、曲のコンセプトを決める前に曲ができあがっちゃったっていう。

──当時私のまわりでもそのフレーズが非常に流行りました。

横山:あの曲がなければCKBの今はないんで、とっても僕らにとっては象徴的な、大切な曲なんです。で、横須賀ですねあれは。やっぱり地形的にも横須賀って、トンネルが日本一多いっていうくらいトンネルの数が多い街なので、横須賀を歌った歌でそういえばトンネルってでてこないなって思ったけど…(山口)百恵さんの『横須賀ストーリー』だと「急な坂道」ってありますね。坂道が多いのも横須賀とか横浜の特徴ですよね。海と坂道。

時折笑いを交えながら、それぞれの時代の横浜について語る横山剣。話を聞いている内に、本牧を走る路面電車や、バンドマンで賑わうイタリアンガーデン、薬局に立ち寄る女学生の姿がありありと目の前に広がってきた。豊かな表現力で、多くのヒット曲を生み出してきたCKBのリーダーが為せる業であろう。今回のインタビュー前半では、横山の目から見た横浜の魅力や思い出を、CKBの25年の歴史と共に振り返った。インタビューの後半では地域に密着した活動や、新アルバム『樹影』についての想い、ツアーへの意気込みなど、CKBの今と未来に注目していく。

横山剣(よこやま けん)
1960年7月生まれ、神奈川県横浜市出身。音楽事務所『ダブルジョイレコーズ』の代表取締役。1997年に本牧の『イタリアンガーデン』にてクレイジーケンバンドを結成し、以来バンドのリードボーカルを務める。バラエティに富んだヒット曲をリリースする傍ら、多くのアーティストへの楽曲提供も行う。デビューより25年目を迎えた今年、8月3日に発売した通算22枚目のアルバム『樹影』を携えた『CRAZY KEN BAND TOUR 樹影 2022-2023』を全国にて行っている。
詳しくはオフィシャルホームページをご覧ください。

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