FMヨコハマ×マグカルドットネット コラボ企画第2回「藤田優一」
・藤田さんがラジオのリポーターになったきっかけを教えてください。
高校時代、進路について悩み始めた頃に、親からこれからの時代は何でもいいから手に職を持ちなさいと言われました。何か技術を身につけなくちゃいけないのかなと漠然と考えていた時に、子どもの頃からうるさくてお喋りだった僕は喋りを仕事にできないかとひらめきました。そう、手に職ならぬ「口に職」です。そういう仕事をするにはどうしたらいいかなと友達に話してみたらオーディション雑誌を持って来て見せてくれて。高校を卒業して大学に行きながら事務所に所属し、初めてのオーディションで受かったのが、FMヨコハマの朝の生放送番組「THE BREEZE」のリポーターというお仕事でした。
・一番最初にリポーターとして登場した時のことは覚えていますか?
初めてのリポートは1996年10月1日、JR関内駅の改札そばでした。当時は、ラジオで流して欲しい曲を歩いている人に声を掛けて、リクエストを貰わなくてはいけなかったんです。今だったらこの人喋ってくれそうだなとか、リクエストくれそうだなとか分かるんですが、その時は10人以上に声を掛けても全然ダメで。朝8時台の通勤ラッシュの時間帯で、僕の声も遠慮がちで弱々しかったんだろうと思います。もう生放送のオンエア時間は迫ってるし、このままリクエストが取れなかったら、これでクビになるんじゃないかともう半ベソ状態になりました。必死になって声を掛け続けて13人目の女性からリクエストをいただくことができた時は「助かった!」と思いました。その女性が「実は転職して、これから新しい職場に向かうところなんです」と話してくれ、「僕も今日が初日なんです、お互いにこれから頑張りましょうね」なんて会話したことが、とても印象に残っています。
・他に、これまでのリポート中に出会い印象に残っている人はいますか?
確か、戸塚の原宿辺りだったと思いますが、息子さんがすごくラジオを聴くのが好きで、特に街角リポートのコーナーを楽しみにしているというお母様が会いに来てくれたことです。その息子さんはある障害があって、部屋から出ることができず、寝たきりなので息子から代わりに会いに行ってと頼まれたと。毎日僕のリポートを聴きながら一緒に地図を広げて「今日藤田くんはここにいるんだね、ここには大きな公園があるんだね」などと話し、僕の声を通して風景を感じられると伝えてくださいました。僕のリポートが、その場に行けない人でも、その場に行ったような、少しでも世界が広がるお手伝いができているのであれば、やった甲斐があるなあと思いました。
それと、秦野か渋沢辺りだったと思いますが、盲目の女性が一人で杖をついて会いに来てくれたことがありました。この女性から「写真やサインだと見ることができないので、声を録らせてもらってもいいですか?」と聞かました。声を録っていいかと聞かれたのは初めてのことでしたので、強く印象に残っています。目が見えないのに関わらず、わざわざ一人で会いに来てくださって、ありがたいなあと思いました。
・FMヨコハマの街角リポーターとして、20年以上続けていらっしゃいます。いつもどんな気持ちでマイクを握っていますか?
そうですね、23歳でデビューしたので来年には22周年を迎えます。休んだのは今年1月、インフルエンザにかかった時くらいです。
やっぱり毎日続けていれば、日によって体調が優れない日や気分が落ち込んで「今日はいい放送が届けられないかもしれない」と感じる日はあります。ですがそれはそれ、聴いている人にとっては関係のない話です。僕は朝9時に登場するので、聴いている人が、今日一日頑張ろうって思ってもらえるように、第一声を流せたらいいなと思っています。聴いている人がいる、待っててくれる人がいるならやらなくちゃいけない。聴く人がいなかったら、僕がどんなにいいことを言おうが意味がありません。マイクの向こう側に一人でも聴いてくれている人がいるんだと思えば、頑張ろうと思えます。
・ズバリ、もう辞めようと思ったことはありませんでしたか?
辞めたいまではありませんが、振り返ると一度だけ僕の存在意義みたいなことを真剣に考えたことはありました。それは2011年に起こった東日本大震災の時。当時、世の中の雰囲気が変わり、生きていくのも大変な人たちが大勢いらっしゃいました。先行き不透明な暗い雰囲気が流れていた時「僕、こんなことやってていいのかな」と、すごく考えました。だって、リポートって生活には必要不可欠なものではないんですよ。僕がリポートしなくたって、みんな普通に生活していける。なくてならないものではないなら、僕が続けていく意味ってあるのかな、と深く考えさせられました。
これまで通り「はぁ~いフジタでェ~す!」と、ラジオで言っていいんだろうか、僕が出ていいんだろうかと悩みましたが、番組は普段と同じように進行していきました。後から僕の声を聞いて「安心しました」というお声をリスナーさんからいただいたと知った時は、僕はやってていいんだなって思えたんです。僕はいつも通りにリポートを届けて、聞いてくださる方の日常の一部となり、心が少しでも落ち着ける場所みたいになれたらいいかなあと。
・藤田さんは神奈川県全域のリポートを達成され、日々違う地域へ向かわれています。話すことは事前に下調べなど、準備をしてから行くのですか?
事前に行くところが決まっていることもありますが、リスナーさんからの情報提供によるものや行ってみてから決めることがほとんどです。実際にその場所に行ったら、その地域の光景と自分が面白いと思えるものを見つけて小さなお子さんでもイメージしやすい言葉で伝えるように心掛けています。
例えば、JR二宮駅構内に切り株で作られた小さなベンチが置いてあります。それ自体に気付かず、通り過ぎてしまう人もたくさんいるかもしれません。ですが僕には切り株のベンチなんて珍しいし、切り株の上に座布団まで敷いてあったし、これは面白いなと思えました。見た目の面白さ、実際に座ってみた感じなど、情景が浮かぶように、分かりやすいように、次にこの駅に降り立った人に興味を持ってもらえたらいいなと思ってリポートしています。
・リポーターとして気を付けていること、心掛けていることはありますか?
昨年まで長い間、生放送番組「THE BREEZE」のパーソナリテイだった北島美穂さんとやらせていただいてました。僕より北島さんは放送業界の経験が豊富で、僕がこういうことを言いたかったんだ、ということをさりげなく引き出してくれる素晴らしい方。相手に対する質問の仕方や言葉の選び方、そして表現方法など本当に勉強になることばかりでした。
今は、僕にとってFMヨコハマでは後輩になるパーソナリティと番組を届けているので、今度は僕がそういう立場にならないといけないなと思っています。
例えば、とても気持ちよく晴れた日に「爽やかな日ですね」と言うか「清々しい日ですね」と言うかで表現の仕方は異なります。他に、「日本」の読み方は「にほん」・「にっぽん」、「8回」は「はっかい」・「はちかい」など、言葉一つ一つが持つ意味を知っていると知らないでは、言葉を発する時に相手に伝わる印象がまるで違います。まずは自分の喋りに責任を持つこと。言葉一つ一つをしっかりと使い分けができるようになり、綺麗な日本語を使って伝えていきたいですね。
・最後に、今後の展望をお聞かせください。
いやあ、僕特にないんですよね。よく聞かれるんですが、ないっていうとみんなから覇気がないと言われちゃうんですけど。僕が番組中心のパーソナリテイでありたいとか、世界を変えてやるとか、そういう大それたことは全く思っていないです。野球で例えるなら、ホームランは狙ってなくて、コツコツバントを送り続けられればいいかなと。とにかく一日一日をしっかり、着実に日々の放送をきちんとこなしていけることが理想ですね。あまり僕のリポートが皆さんの生活のど真ん中にいて欲しいとは思っていなくて。色々な境遇の方がいらっしゃると思いますが、皆さんが少しでも前向きに、その日一日を頑張れるように、僕の声がちょっとそういう手助けができればいいなと思っています。
これからも、僕のことを待っていてくれる人が一人でもいるのなら、僕もこのまま出来る限り続けていきたいです。
藤田優一の「街角リポート」
FMヨコハマ「Lovely Day♡ 」内、藤田さんのリポートは9:15/10:00/11:05。
街角リポートの様子は「藤田優一ブログ」でチェック!
http://blog.fmyokohama.jp/machikado/
Lovely Day♡ 月曜日~金曜日 9:00~12:00 パーソナリティ (月~木)近藤さや香、(金)はな
藤田優一さんの今後の活動予定
朗読の会 「言伝/kotozute」第二回朗読会
日時 9月17日(日)14:30開場、15:00開演
料金 1500円(ワンドリンク込)。
場所 綜合藝術茶房 茶会記(都営丸ノ内線四谷三丁目駅から徒歩3分)
チケットの申し込み等はozrss372@ybb.ne.jp(尾崎)