TPAMコプロダクション :ピチェ・クランチェン インタビュー|死は幸福なことであり、死は美しいものである。
interview&Text:横堀ふみ Photo(portrait):西野正将
2016.2.6公開
「ピーターコーン・フェスティバル」とピチェの死生観がリンクした
P:ピチェ F:横堀ふみ(インタビュアー)
F:新作『Dancing with Death』の上演にあたって、「ピーターコーン・フェスティバル」が作品創作のきっかけになっているとTPAMのウェブサイトで読みました。「ピーターコーン・フェスティバル」のどこに感銘を受けたのでしょうか。
P:私がはじめて「ピーターコーン・フェスティバル」をみた時に興味をもったのは、地元の人たちが自分たちで祭りをつくりあげている姿でした。地方文化と仏教、迷信とを融合させながら、芸術をつくっていました。タイ語で精霊のことを「ピィ」と言いますが、そのイメージが立ち上がっていました。地元の人たちは幽霊や精霊については、始まりもなければ、終わりもないもの、そして、常にそれ自体が変容していくものと考えています。そして、精霊は人間のフィーリングをあらわしているものとされています。それから、祭りの衣装と仮面の材料は、身近なものを使っています。例えば、仮面ではココナッツの葉や殻、もち米用の蒸し器を使っています。また、衣装には、捨てた服や、お坊さんの黄色い袈裟などを取り入れています。地元の人達が自身の衣装や仮面を決める時、自分の迷信と自分のもっている知識を駆使して決めていたのです。また、祭りのつくり方ですが、“死”と“現実”という二つの時間を立体的に現して、同じ場所に共存させています。つまり、精霊と人間が同じ場所に立たせるという構造になっていました。普段では、芸術に携わる人は舞台をつくる時に“観客”と“自分”、“ここ”と“現在”という構造をつくることが多いのですが、芸術を学んだことのない地元の人たちが同じような構造をつくり、自分たちの芸術をつくりあげている点が面白いと思いました。このフェスティバルを通して、色々な知識を得ましたが、その中でも、死は幸福なことであり、死は美しいものであるという印象を受けました。これが最初に着想を得た内容です。
F:最後にピチェさんがおっしゃった「死は幸福なものである、死は美しいものである」ということについて、もう少し聞かせて下さい。これまでのピチェの作品群において、“死”というものが、直接的であれ、間接的であれ、どの作品にも関わっていると思います。今回の新作では、ピチェの死生観が、よりはっきり立ち現れてくるような印象を受けていますが、いかがでしょうか。
P:そうですね。私の作品の殆どが“死”に関することを表現しています。そもそも人間というものは、全てのものに対して優位になりたい、勝ちたいと思っている存在なんだと思います。例えば、自然に対してでは、雨を自分たちが降らせることができる。ダムに水を溜めて水量をコントロールすることができる、と。いまや地球の外、宇宙にも行くことができます。けれども、人間が勝てないものがあるとすれば、それは“死”で、死をコントロールすることはできません。いまでは完璧な自然というものは、ほぼ残っていないと思うのですが、死だけが唯一の完璧な自然だと思いますし、“再生”だと思っています。ですから、死は美しいものだと私は思うのです。また舞台上のパフォーマンスにおいても、死だけは決してつくることができないものです。例えば、舞台上で、私たちはものを食べることができ、寝転んだりすることができても、死だけは表現できません。死を舞台上で様々な方法で表現することは良いことだと思っています。ピーターコーン・フェスティバルの地元の人たちは、人が死んだ時に、人間を三つの部分<体と、精神と、心>に分けています。その考えのもと、フェスティバルにおいて“死”を表現していました。普通は、人間にとって死は怖いもの。けれども、フェスティバルでは、死は身近なものであり、死は怖いものではないと伝えていると思います。
F:先ほどおっしゃった“再生”とは、一人の死が亡くなり、その死が次の新しい命にかわっていくという“再生”を意味するものですか。
P:“再生”は、仏教の基本的な考えではありますが、作品の中ではとくに説明はしません。例えば、自然というものも、春がきて夏がきて秋がきて冬がきて、また春がくるように、“再生”ですし。あらゆるものは“再生”であるとも思います。生まれて、死んで、また生まれ変わってというようなことに、まとめるつもりはありません。やはり色んな考え方がありますから。でも、“再生”についての考え方は、この作品にとって非常に影響を受けています。ダンスの振付においても、舞台上のセットのデザインにも現れます。また、“始め”に戻るという作品の構造にも現れます。但し、同じ場所に戻ってきたとしても、前とは全く違うのです。毎年同じ日に誕生日のお祝いをしますが、それは同じ時ではないし、自分も同じ人ではないですよね。
「ピーターコーン・フェスティバル」で用いられる手法を作品にシフトする
F:「ピーターコーン・フェスティバル」で使われている手法を、今回の作品のなかで具体的に取り入れているような点はありますか?
P:まず『Dancing with Death』をつくる前に、リサーチから始めました。そのリサーチの結果を、つい3ヶ月前に一冊の本にまとめたばかりです。リサーチをする際に様々なデータを集めた中で、現地で地元の人たちにインタビューを行いました。例えば、仮面をつくる人、儀式を執り行う霊媒師などです。集めたリソースは、全てこの『Dancing with Death』に生かしています。フェスティバルでの表現の手法を作品に生かした具体的なものとしては、1つ1つの異なる自然の要素を一緒にすること。そして、それらをひとつの精神として見立てる。こういった方法を『Dancing with Death』では取り入れています。
F:『Dancing with Death』では、共存しえないものを一緒に取り入れるといった方法を、衣装のようなビジュアルだけではなく、振付にも取り入れていますか?
P:はい、振付にも生かしています。あと、もうひとつ取り入れた点は、地元の“人らしさ”、ですね。“体”と“感情”を分けることです。観客がこの作品を見る時に、“体”と“感情”と“考え”を駆使しながら見ることになるでしょう。さらに、振付に明確にあらわれる特徴は、何度も繰り返すということです。1回、2回、3回と同じことを繰り返しているのですが、その度に新しいものがどんどん生まれていくのです。地元の人たちのダンスは、即興的にどんどんと発展させていくのですが、発展のさせ方が自分らしさを生かし、その状況を生かしていく方法なのです。そういったことを振付に生かしました。
F:では、今回の作品の振付も全てが決められているわけではなく、ダンサーの判断によって色々と変容していく可能性があるということでしょうか。
P:その間ですね。
初の試み、アジア間の共同制作について
F:では、話の内容を変えまして、今回のこの作品がアジア間の共同製作でつくられていますね。シンガポールのエスプラネードとTPAMなどとのコプロダクションです。そして、オーストラリアなどもツアーでまわる計画があると聞きました。アジア間の共同製作は、まだ事例が少ないのでないかと思っています。ピチェは、ヨーロッパでの仕事において数々の共同製作を経験されていますが、今回アジア間での共同製作ということで、どうお考えですか?
P:アジアでの共同製作は始めてです。今までに行ってきた共同製作とそんなに変わらないと思います。ただ、今一つだけ「これは違うぞ」という点があります。同じアジア人同士が同じテーブルについて計画を練っていると、私たちが元々もっているような同じような文化、同じような考えで話し合っているなと感じます。それがすごく新しい感覚だし、すごく良いところだと思います。あと、アジアのアーティストが作品制作に支援を受けられることはいいことだと思います。
これからのダンスを予測する
F:では最後に、個人的なことから質問を。昨年、子どもを出産しました。10年後、20年後の社会について、どうあるべきかと、より一層考えるようになってきました。ピチェにとって10年後、20年後がどういう社会であれば良いと思いますか。そして、その社会のなかにダンスがどうあればいいとお考えですか。
P:10年後、20年後の未来について、アジア人らしい視点で言うならば、ダンサーにしろ、振付家にしろ、様々な考えをもって作品づくりを行っていることでしょう。ただし、体や精神を鍛錬する人が減ると思います。そして、伝統やモダンなど、全てが混ざり合う。また、アート作品というものがマスターピースにはなり得ないのでないかと。一瞬存在してなくなってしまう。将来的にはそうなるのではないかと予想しています。では、「私はどうすればいいですか」と聞かれたら、今ひとつ言えることは、若い世代は体と精神を鍛錬しないので、もしも鍛錬をいとわず、体と精神を結びつけようと努力していたならば、将来的に成功する可能性は非常に高いでしょう。スペースと時間が限られているなら、狭いスペースでつくれるもの、そしてコンピューターで広い世界に出て行く。量は増えるかもしれないけど質は落ち、フェイスブックになにか投稿すると1秒から30秒以内くらいに10万から100万の「いいね」が付く。そういった現象が将来起きるのではないでしょうか。
F:ピチェは10年後も作品をつくり続けているでしょうか。
P:はい。つくりますし、まだ踊っています。死ぬまで踊ります。
F:わたしも生きている限り、見続けたいです。
P:まだまだ長いですよ。たぶん孫とかの世代まで。もっと練習します。
F:ありがとうございます。時間が来てしまいました。
P:TPAMでこの作品を上演することに非常にエキサイトしています。現在、最終仕上げにはいっていて、すごく濃いものにしようとしています。では、すぐに会いましょう。
F:ありがとうございました。愉しみにしています。