──プログラムを始めるきっかけを教えてください。
金:神奈川フィルと2009年と2010年の夏に、みなとみらいホールで子ども向けの公演をやっていたのですが、次の年からはやらないことになりました。その時に、子ども参加型の公演を県立音楽堂でやりませんかと伊藤館長からお話をいただきました。やるのだったら5年間は続けたいとお願いしました。2011年は、3年契約での神奈川フィルの常任指揮が3年目にあたる年だったのですが、神奈川フィルからいなくなってもこの企画は5年間やりたいと思っており、今回は節目の5年目、続けてこられて願ったりかなったりだと思っています。
──プログラムの内容はどのように決めたのですか?
金:最初は手探りで音楽堂のスタッフと話し合いました。それまで子ども向けの演奏会は他のオーケストラとでもやらせてもらっていて、改善点があるなと感じていました。そのことと、それまでに実現できたこととまだ実現できていないこと、すべてを盛り込んでみよう、いいものを全部詰め込んだらおもしろいのではないかと。リハーサルはもちろん聴いてもらい、本番も客席だけでなくステージに上がってもらっちゃえとか。
ヒントになる公演があったんです。クラウディオ・アバド時代のベルリン・フィルの活動なんですが、4公演分の定期演奏会があって、その空き日の朝に小ホールで、全員ビシッと夜の公演と同じく正装をして、3〜7歳くらいまでの子ども相手に本気で定演と同じ演目の交響曲を演奏していたんです。小ホールに鳴り響くオーケストラの音響も大変なものですが、それにも増して、大人が本気でやっていることは実はとってもおそろしいこと、簡単なことじゃないんだよっていうのを体感させるというものでした。いわゆる「鑑賞」というレベルじゃない。「150キロの直球を受けてみろ!」という感じ。そういうのがいいなと直感的に思ったので、プログラムを考える際、参考にしました。
──コンサート1回きりでなく、4日間もプログラムが続くのはたいへんな仕事量ではありませんか?
金:役割分担しているのでそれほどでもないです。初日のミニ・コンサートではソリストの方にちょっとしたソナタぐらいを弾いてもらうのもあるし、オーケストラのリハーサルを聴いてもらい、そのあとに子どもたちと僕がしゃべったり。僕は子どもたちと話して彼らが何を考えているのか知りたいという気持ちがありました。このプログラムのお話をいただいた頃、これはやりたくない、ということはなかったのですが、実は最初は、子どものことをよく知っているわけではなかったんです。こういうプログラムに子どもを連れて来る親御さんはどんな方かだいたい想像がつき、僕自身も親御さんと同年代です。僕自身が子どもたちと直接話すことによって勉強になることがたくさんありました。
──このプログラムは、8月に音楽堂で4日間行われるだけでなく、事前にアウトリーチで神奈川県内の小学校へもオーケストラと共に毎年訪れていますね。
金:これまで神奈川県内の小田原市、中井町、山北町、真鶴町に出かけ、今年は5月に三浦市の三崎小学校へ行きました。暑い暑い体育館でみんな地べたにすわってて、僕らも同じところにいてしゃべりながら演奏する。最初の年なんか、7月で、暑くて僕だけ熱中症になりかけたもんだからそれ以後のアウトリーチは、涼しい季節に行われるようになったんです(笑)。その最初の年の本番で、一番前に座ってた女の子から「おにいちゃんそんなに汗かいて大丈夫? すごい汗かいてる〜」と言われ、まだ子どもたちのとの距離を測りかねてたので、少しとまどっちゃいましたね。仕事の感覚で出かけるのですが、はたしておもしろいと思ってもらえるかどうかという緊張感は常にあります。この機会に音楽に関心を持つ子どもが一人でもいたらうれしいなと思っています。子どもの日常の場で大人が仕事している姿を見る、そういう経験のできる子どもはラッキーだと思うんですよ。一年に一度なんですが、毎月でも行きたいです、本当は。
──プログラムで演奏する曲目も考え抜いて選曲されているそうですね。
金:毎年音楽堂や神奈川フィルの制作と練って練ってよくよく考えて決めています。子どもの集中力のことも考慮し、1曲の演奏時間にも気を使っています。大きな曲の1楽章だけを演奏します。全体の構成を考えつつ各曲の1楽章を並べるのは難しいのですが、こういう企画なのでいいものを盛りだくさんにしないといけないと思うんです。一番こだわっているのは現代曲を必ず入れるところです。またベートーヴェンの作品はとても記憶に刻印されるものと信じているので、毎年必ずベートーヴェンの何かしらの楽章を入れるようにしています。
──現代曲を子ども向けプログラムに必ず入れる理由は?
金:今に生きる作曲家をフィーチャーするのは、「作品は今も書かれているし、これからも書かれ続けるんだ」ということを知ってほしいからです。食わず嫌いでいるのではなく、体験してみないと良さもおもしろさも難しさもわからないですからね。最初の年に、ブーレーズの6、7分の曲を入れてみたんです。その時のアンケートを見てみると、意外におもしろいと書かれていました。大人でも現代曲は集中しにくい時がありますので、15分以上の作品は選びません。でも子どもは一度食らいつくと結構集中するのでは、などと思ったりもしてます。過去の公演アンケートで「現代曲というものを初めて生で聴きました」と大人が書いてくれていました。大人ですら現代曲を聴く、という経験がないんですね。もし子ども自身は現代曲を「この曲いいな、おもしろいな」と思ったとしても、一緒に来ているお母さんが「何か変よね」と言ったら「あ、変な曲なんだ」と子どもは思ってしまう。
──まず大人を改造しなければ変わっていかない?
金:そう。だから躊躇なくどんどん現代曲を取り入れていきます。ベートーヴェンもブラームスも今年やる藤倉大の曲も先入観なく聴いてほしい。ただある程度慣れも必要と思うので、公開リハーサルから聴いてもらい、本番に向かうエネルギーを感じていただき、僕も演奏前に楽しく聴けるよう話をします。大人も子どもも感性に年齢は関係ありません。今生きている作曲家が作った曲を聴いて、自由にいろいろ感じてほしいです。藤倉さんの『フィフス・ステーション』は演奏スタイルがおもしろいですよ。
──プログラムのひとつ「指揮者・金聖響さんとの対話の広場」、これはほかの子ども向けコンサートでは見られない子どもとの直接対決で、演奏とはまた違ったスリリングな時間ですね。
金:先ほど言ったように子どもが何を考えているのか知りたかった、というのがあります。僕は「○○く〜ん」、と大人が子どもの目線におりてきているかのような扱いをされるのが嫌いな子どもでした。だから大人になった今、子どもに対しても、基本、分け隔てなく普通にしゃべります。「何するのが好き?」、「昼寝」、「昼寝、最高だね」という感じです。
──御自身はどのような子どもだったのですか?
金:天真爛漫なゲームとサッカーが好きな子どもでした。ファミコン世代なのでゲーム好きでしたね。勉強なんかしてませんでした。コンサートには蝶ネクタイに半ズボン姿で親に連れて行かれてました。でも必ず寝てましたね。開演しオケの音が鳴った、くらいから終わりまで記憶がない(笑)。演奏が気持ちよかったということですよ。僕の親は僕のやりたいことに賛成するでもなく、お膳立てするわけでもなかったんですけれども。まあだからこういうプログラムに子どもを連れて来る親御さんの気持ちはわかるんです。このプログラムは、そもそも子どもにクラシック音楽を聴かせたいという親の思いがなければ成立しない企画ですからね。小さいお客さん=音楽家の卵に育つかもしれないですし。リピートして来てくれていた子、あるいはあの時聴いてくれていた子が音楽を好きになり、音大に行きプロ・デビューする、なんてことになったらどんなに嬉しいだろうと思いますよ。素敵ですよね。
──「対話」を4回やってみて、子どもとの接し方に変化はありましたか?
金:一年目と今とではあきらかに子どもを見る目は変わったと思います。去年は妻が身ごもっており、またさらに子どもとの関係性の密度が変化したと思います。大人って怖い存在でいいと思うんです。僕らのような音楽家には簡単になれるものではないし、真剣にやってる姿を見てもらって、こういう職業もあるんだよとわかってもらえたらいいですね。また、通常のコンサート形式で音楽を演奏することは素敵なんだけれど、今は選択肢が多いので、どうしてもこちらから子どもに歩み寄り距離をつめてあげないと、なかなか興味を持ってもらえないのかなと思ったりもしますね。
──具体的に、どのような発見がありましたか?
金:中学生の子たちの精神年齢の差がものすごく大きいのに驚きました。意識が大人に近い子もいればまだまだ小学生寄りの子もいるんです。年齢ではなく、人それぞれなのだとわかりおもしろいと思いました。そんなに難しいことを考えなくてもいいんだよって言ってあげたくなるような大人びた子もいましたね。あと今9歳で、「ヴァイオリンをやり、ピアノもやっています。今度は何をやればいいんですか」と尋ねるんです。もちろんそれは本人が望んでやっていることで、ゆくゆくは指揮者になりたいと。「うまいもん食って体動かして遊べ、体力ないとやっていけないから。とにかくいっぱい遊べ」としか言いませんでした。そんなこと言ってお母さんは怒ってるかもしれない。会場には教育ママが一杯いるでしょうからね(笑)。高校で指揮やってる子は楽譜一杯持ってやってきてましたね。
──子どもたちも、金聖響という指揮者を、子どもに対して媚びないし手加減もしない芸術家として、恐れを抱きつつも尊敬しているように感じます。
金:僕自身、楽しめないとだめなんですよ。毎年来てくれるのももちろんすごくうれしいけれど、フレッシュな感覚でドキドキしながら聴いてくれる、初めてのお客さんにもたくさん来てほしいですね。
Text:結城美穂子 Photo:西野正将
金聖響(Seikyo Kim)プロフィール
1970年大阪府生まれ。14歳で渡米、ボストン大学哲学科を経て、ニューイングランド音楽院大学院指揮科修士課程修了。タングルウッド音楽祭に奨学聴講生として参加し、小澤征爾氏に師事。ウィーン国立音楽大学指揮科で湯浅勇治、レオポルド・ハーガーの各氏に師事。1998年「ニコライ・マルコ国際指揮者コンクール」で優勝。その後「パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル(PMF)」等の音楽祭で実績を重ね、国内外のオーケストラへ客演。海外ではデンマーク国立放送交響楽団、パリのラムルー管弦楽団、ソウル・フィルハーモニー管弦楽団、ベルギー・フランダース交響楽団などへの客演で好評を博した。また国内では全国の主要オーケストラに客演を重ねている。2009年4月から神奈川フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任し、同年12月よりオーケストラ・アンサンブル金沢のアーティスティック・パートナーに就任。また2010~2012年シーズン、ベルギー・フランダース交響楽団の首席指揮者を歴任した。2010年からスタートした神奈川フィルとの「マーラー・シリーズ」は大変好評を博し2013年まで行われた。CDはオーケストラ・アンサンブル金沢を指揮して2003年にスタートしたベートーヴェンの交響曲全曲録音プロジェクトが2011年5月「ベートーヴェン:交響曲第4番、第8番」をリリースして完結した。また2007年からスタートしたブラームスの交響曲全曲録音プロジェクトは、2009年9月に交響曲第4番および全集をリリースし完結。著書では、作家・玉木正之氏との共著・第3弾となる「マーラーの交響曲」が2011年12月に講談社現代新書より発売された。