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美術・写真

横浜美術館「蔡國強展:帰去来」火薬ドローイング制作現場取材レポート

横浜美術館「蔡國強展:帰去来」火薬ドローイング制作現場取材レポート

TEXT:宮越 裕生      2015.7.2公開

「蔡國強展:帰去来」火薬ドローイング制作現場の動画はこちら

「蔡國強展:帰去来」火薬ドローイング制作現場 レポート

Photo by Wen-You Cai, courtesy Cai Studio

Photo by Wen-You Cai, courtesy Cai Studio

6月20日(土)、現代美術家の蔡國強(ツァイ・グオチャン/さいこっきょう)さんが横浜美術館グランドギャラリーにて火薬ドローイング制作現場のプレス公開を行いました。この日制作されたのは、7月11日(土)から横浜美術館で開催される「蔡國強展:帰去来(ききょらい)」に展示される和紙を使った火薬ドローイングの新作《夜桜》の右側部分。完成する作品は全長2,400cm、高さ800cmとなり、火薬を用いた絵としては、これまでで最大規模になります。

蔡國強

蔡國強 Photo by Wen-You Cai, courtesy Cai Studio

「帰去来」というタイトルは、中国の詩人・陶淵明(とうえんめい)の代表作「帰去来辞(ききょらいのじ)」に由来しており、その詩には官職を辞して故郷に帰ってきた詩人が現実を見つめ、己の正しい道に戻り自然に身をゆだねるという、自由な精神が謳われています。今では世界的に活躍する蔡さんですが、実はアーティストとして本格的にキャリアを積みはじめたのは1986年から1995年にかけて、日本に滞在していた頃でした。「帰去来」というタイトルには、そんな蔡さんの日本へ帰るという感覚、また、作家として原点回帰するという心境があらわれています。

いよいよ公開制作がはじまるという段階になると、報道陣はグランドギャラリー(美術館エントランス)を見下ろせる場所に集められました。グランドギャラリーの一階には段ボールで覆われた紙が敷かれ、その周りにはボランティア・スタッフが待機しています。蔡さんは活動当初よりボランティア・スタッフと共同作業を行っており、今回の新作制作にも総勢数十名のボランティア・スタッフが参加していました。

Photo by Wen-You Cai, courtesy Cai Studio

Photo by Wen-You Cai, courtesy Cai Studio

火薬ドローイングは、火薬を爆発させてカンヴァスや和紙に画像を定着させる絵画手法です。段ボールの下には何枚かの厚紙やグラシン紙(薄い紙)がレイヤー状に重ねられており、その中には絵の輪郭が切り抜かれた型紙も入っています。火薬が爆発すると、切り抜かれた部分に焼き色が付くという仕掛けです。

下絵の制作段階の様子

下絵の制作段階の様子 Photo by Wen-You Cai, courtesy Cai Studio

点火の前に、蔡さんから日本語で火薬ドローイングの説明がありました。

「人の前で作品をつくることは、特別な緊張感があります。火薬を使うことは偶然性をはらみ、新しい可能性をもたらしてくれます。火薬の反応は毎回違うので、わくわくすると共に緊張します。そのコントロールできない部分こそが魅力です。また、火薬ドローイングは1人でつくれるものではなく、地元の人とのコラボレーションによって実現するものです。これまでにも色々な国でコラボレーションを行ってきましたが、ボランティアの方の働き方は国によってさまざまです。日本のボランティアの皆さんは素晴らしい。それは私にとって、とても嬉しいことでした」

最後に蔡さんは「今日はできるだけのことをやります。後は神様に任せます。」と言い、導火線に火を点けました。

導火線が「チチチ…」と小さく燃える音がして約2、3秒後、爆音と共に煙が上がり、辺りが白い煙に包まれました。

Photo by Wen-You Cai, courtesy Cai Studio

Photo by Wen-You Cai, courtesy Cai Studio

煙が晴れていくと、ボランティア・スタッフが導火線の周りに集まり、くすぶる導火線の火消し作業を行っていました。それから、段ボールをはずし、さらに一枚、また一枚と紙の層を剥いでいきます。紙を剥がすごとに新しい層が現れ、徐々に輪郭がはっきりし、大輪の桜の花が見えてきました。

Photo by Wen-You Cai, courtesy Cai Studio

Photo by Wen-You Cai, courtesy Cai Studio

紙を剥がす作業が終了した後、まだ煤の残る絵を前に、蔡さんを囲んでインタビューが行われました。

蔡國強さんへのインタビュー

蔡國強

Photo by Yu Miyakoshi

― 今回「桜」をテーマにした理由はなぜだったのでしょうか?

久しぶりに日本で展覧会をするということになり、何を描こうかと思った時に、まず横山大観など、日本の先輩たちの絵画を勉強しました。横山大観も桜を描いていました。それで、火薬を使って桜を描けるだろうか、という挑戦が私にとってひとつの意欲になったのです。美しく、柔らかい桜に対して、火薬は暴力的でエネルギッシュです。そこに大きな違いがあります。もうひとつは、桜の一瞬の生は、火薬の一瞬の運命に共通するのではないかと思ったんです。そのつながりが面白いと思いました。火薬で花のように優しいものを描くのは難しいのですが、私も年をとり、大きなスケールのことではなく、もう少し身近で暖かい、あるいは柔らかい気持ちを表現したいと思うようになりました。今回のドローイングには、そういった意味合いがあります。

―「帰去来」というタイトルをつけたのはなぜですか?

日本に住み、アーティストとして本格的に活動しはじめた頃は、アーティストの出発点としてとても大事な時期でした。それから世界各国で作品をつくってきましたが、最近になってもう一度若い時の原点に立ち戻ろうと思ったんです。日本に戻って若い時そこにあった何か、そして今失った何か、そのことについてもう一回考えてみる――それだけでもいいじゃないか、と。それで「帰去来」というタイトルがいいと思いました。花や自然をテーマにしたのは、大地に戻るという気持ちでもあります。

《ブラジル花鳥図》(部分)2013年、火薬・和紙、作家蔵(参考図版)

《ブラジル花鳥図》(部分)2013年、火薬・和紙、作家蔵(参考図版)
Commissioned by Banco do Brazil.Photo by Zhang Feiyu, courtesy Cai Studio

― 火薬を用いた手法にこだわっていらっしゃるのはなぜでしょうか?

やはり永遠にコントロールできない、その不安感とわくわくさせられることが魅力です。今日はうまくいっても、次はどうかわからない。火薬には無限の可能性があるんです。花を描いたり、宇宙を描いたり、何でも描けますから。また、火薬は飛行機では運べないので、訪れた国の火薬を使い、その国のボランティアの方たちとコラボレーションを行います。そこから、毎回新たな困難と新たな面白さが出てきます。今年の1月にはアルゼンチンで火薬ドローイングを行ったのですが、火薬が遅く、絵が焼け過ぎてしまいました。その時は、本当に悔しかった。それで紙で裏打ちして展示したのですが、いざ展示してみると、そこには南米の大地の生々しさと力強さがあらわれていました。アーティストは“種”みたいなものです。どこの国に行ってもそこの土地に(自分自身を)埋めて、土地との対話から新しい何かが発生してくることを楽しみにしています。

― 火薬を使われたきっかけはどんなことだったのでしょうか?

私は真面目で理性的な人間です。人間としてはそれでいいけれど、アーティストとしてはちょっとコントロールし易くて、あまり面白くないですね。自分のお父さんも絵を描くのですが、真面目すぎる人で、自分もそうなるのではないか、と思ってきました(笑)。それでずっと作品に偶然性や意外性を取り入れる方法を模索してきたんです。火を使ったり、扇風機を使ったりと、色んなことを試しました。ですから、火薬を使う理由のひとつは、自分のこういった人間性に対する破壊なのではないかと思います。もうひとつの理由は、私の故郷では爆竹が手に入り易かったんです。そして若い時は、故郷と台湾の間で戦争も多かった。それで現代美術のアーティストとしてチャレンジできることを考えた時に、火薬を使うというアイデアを思いついたんです。

蔡國強

Photo by Yu Miyakoshi

以上、蔡さんの真摯な思いが伝わってきたインタビューでした。

「蔡國強展:帰去来」

この日制作された《夜桜》は、グランドギャラリーに展示されます。桜は、蔡さんと縁の深い、福島の「いわき万本桜プロジェクト」のことも思い出させます。

「いわき万本桜プロジェクト」は、東日本大震災の記憶を語り継ぎ、後世に世界一の桜の名所を贈ることを目的としてはじまったものです。2011年よりいわきの里山に桜の植樹をはじめ、最終的には9万9千本の木を植えることを目標としています。蔡さんはこのプロジェクトを支援しており、また、いわき市との交流20周年記念事業(2014)では、同プロジェクトと共同でつくり上げた「いわき回廊美術館」がある館山の頂上に《廻光一龍骨》という作品を展示しました。《廻光一龍骨》は蔡さんといわき市民の方からなる「いわきチーム」が、1994年にはじめて共同作業を行った作品です。「いわきチーム」と蔡さんはこの時の制作を通じて友情を深め、今に至るまで親交が続いています。「いわき万本桜だより」(2014年16号 発行 いわき万本桜プロジェクト実行委員会)によると、館山での《廻光一龍骨》の展示は「空に向かって一段ずつ上がっていく回廊の階段。終わりまで上ると、突然目の前の景色が開け、満開の桜とともに20年の歳月を刻んだ全長約13mのほどの龍骨が横たわる」というものだったといいます。

《壁撞き》2006年、狼のレプリカ(99体)・ガラス、 サイズ可変、ドイツ銀行によるコミッション・ワーク

《壁撞き》2006年、狼のレプリカ(99体)・ガラス、 サイズ可変、ドイツ銀行によるコミッション・ワーク
The Deutsche Bank Collection Photo by Jon Linkins, courtesy: Queensland Art Gallery | Gallery of Modern Art
《壁撞き》2006年、狼のレプリカ(99体)・ガラス、 サイズ可変、ドイツ銀行によるコミッション・ワーク

《壁撞き》2006年、狼のレプリカ(99体)・ガラス、 サイズ可変、ドイツ銀行によるコミッション・ワーク
The Deutsche Bank Collection Photo by Jon Linkins, courtesy: Queensland Art Gallery | Gallery of Modern Art

7月11日(土)からはじまる「蔡國強展:帰去来」は、日本では7年ぶりの個展となります。会場には今回公開制作された新作《夜桜》のほか、99匹の狼のレプリカが群れをなして空を飛ぶ姿を表した《壁撞き(かべつき)》(2006)や、新作のテラコッタによるインスタレーション、火薬による磁器の作品《春夏秋冬》(2014)などが並びます。ダイナミックな作品群が楽しみなのはもちろんのこと、あらためて《夜桜》を見た時には、燃え跡の向こうに広がるアーティストの沈思、その静けさにも耳を澄ませてみたいと思いました。

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