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マグカルレポート in TPAM 2014/TPAMディレクション・大平勝弘ディレクション

マグカルレポート in TPAM 2014/TPAMディレクション・大平勝弘ディレクション

TPAMディレクションとは?
ユニークな活動を行なっている若手制作者をディレクターに選任、自由なコンセプトと新たな視点で作るプログラム。
それぞれのディレクションを通して同時代的アイデアや課題を共有し、ともに舞台芸術の可能性を考察する機会です。

 

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大平勝弘ディレクション
『伊藤キム × 山下残』
横浜STスポット
2.11(Tue)〜2.13(Thu)

 

『伊藤キム × 山下残』公演は横浜STスポットにて開催されました。
会場には木製のパネルや脚立が置いてあり、出演するのは伊藤キムさんただ一人。
上演がはじまると伊藤キムさんはゆっくりとした動きとともに静かに、そして何か慎重に言葉を選んでいるかのように観客に向けて淡々と語りかけてくるのですが、それは語りかけるというよりは「説明していく」というニュアンスの方が近いかもしれません。
自分の記憶や(実話かどうかは別として)ツイッター問題や食品偽装事件、沖縄のオスプレイの事など次々と社会で起きている問題点を説明していくのですが突然脚立が伊藤さんに話かけてきます。
 
kim1
 
「あなたの職業はなんですか」
 
伊藤さんは「踊りをやっている」と脚立に説明するものの、「JAZZ」や「HIPHOP」のようにカテゴリーとして自身のいう「踊り」がどういうものなのかうまく説明することができず実際に踊って体で説明していきます。
それまで説明を続けてきた流れに突如はっきりと言語化出来ない質問が飛び込んで来ることにより、それまで説明してきた事がまるで保証のない情報のようにも思え、それが「この世のすべては言葉にできるものではない」と脚立とのやりとりで我々に語りかけているようにも思えました。
また舞台が進んで行くにつれて次第に伊藤さんの台詞に「あれ」、「これ」という言葉が多くなっていきます。
具体的に何を指しているのかはあくまで我々鑑賞者側のイメージであり、パネルに絵を書いたり視覚的に、その「あれ、これ」が何のことを指しているかは見ている観客全員が共有できているとは思うのですが、それらはあくまでも私達が想像し勝手に解釈していることであって絶対という保証はありません。
さらにラストには井の頭公園にある池の水抜きの話になり「何かが200台くらいでてきたみたいです」という台詞があります。
その「何か」はおそらくニュースにもなっていた不法投棄の自転車のことだと思うのですが伊藤さんは最後まで「あれ」と語ります。
 
「池にあれを放り捨てる行為を、この作品のラストシーンにしたいと思います。」
 
そういって観客の中から一人、一緒に「あれ」を捨てる人を指名するのですがなんとその時は私が選ばれて一緒に「あれ」を捨てることになりました。
二人で”自転車らしき”絵が描かれたパネルを投げ捨てて激しい水の音とともに上演は終わります。
いったい「あれ」とはなんだったんでしょうか。
本当に「自転車」だったのでしょうか。
もしかしたら、もっと残酷なことを私は照れながらしてしまったのかもしれません。
そう思えば喋り出した脚立も「脚立」とは呼ばれていませんでした。
 
kim2
 
「あれは脚立だったのだろうか」
 
そう考えると「言葉」とは思った以上に形はなくとも「イメージ」として我々の中に存在しており、いかに色々な意味にも変換する危うさを兼ね備えているのか。そしていかに私達が目の前の見えるものを信じすぎているのか。
そのような危うさを警告するような「説明」をこの公演により感じたような気がします。

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