
音楽の魔法と魔術師たち J.S.バッハ「無伴奏チェロ組曲」
気軽にenjoy! コンサートのある暮らし
File.8 J.S.バッハ「無伴奏チェロ組曲」
森光三朗(音楽ライター)
1890年、13歳のカザルス少年は、バルセロナにある楽器屋で古ぼけた1冊の楽譜を発見した。ほとんど知られていなかったその楽譜のページをめくると、一瞬にして音楽の魔法が激しく、そして優しく彼を包み込んでいった。
名曲「無伴奏チェロ組曲」の再発見。
多少、脚色してしまったが、当時は“楽器上達のための練習曲”くらいにしか扱われていなかった曲集の芸術的価値を見極め、自身の素晴らしい演奏で世に知らしめた音楽家、それがパブロ・カザルスだ。
「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲「無伴奏チェロ組曲全6曲」。
各々6つの曲から構成される組曲が6曲。作られたのはおよそ300年前。
この曲を演奏しないチェリストはまずいない。それどころか、すべてのチェリストが見る究極の夢は、天国で、バッハの目の前でこの曲を弾いて褒めてもらうこと。“チェロの旧約聖書”とまで呼ばれることもしばしば。
バッハさんも大変だ…。
*J.S.バッハ(1685〜1750)
BGMとしてもやたらと使われるので、耳馴染んでいる人も多いであろうこの曲。僕が注目したいのは、コンテンポラリー・ダンスの音楽として頻繁に使用されるという事実。つまり、最先端の感性、そして観客が、300年前に作曲された音楽の力を必要としている、というわけだ。
それにしても、1930年代に録音されたカザルスのバッハは素晴らしい。求道師的ともいわれる厳格なバッハ。カザルスの生演奏に一度でいいから接してみたかった。それは個人的な、かなわぬ夢のひとつ。
*パブロ・カザルス(1876〜1973)
もし、カザルスがバッハの楽譜と出会っていなかったら?
そんなナンセンスな問いかけをしてみる。だいぶ時代は下ってしまうが、必ずやこの名作を再発見してくれたであろう、と僕が考える音楽家がいる。この7月に、惜しくも逝ってしまったバロック・チェロの巨匠、アンナー・ビルスマ。20世紀後半から盛んになった、「古楽器演奏」「オリジナル楽器演奏」などと呼ばれるムーブメントの立役者のひとりだ。
作曲された年代の楽器・演奏様式を取り入れて、楽曲の真の姿を取り戻そうという発想のもとに展開された数々の名録音・名演奏は、クラシック業界を一変させた。
ピアノではなくチェンバロで。
オーケストラはより小編成でキビキビと。
時代とともに積もってしまったホコリを一掃したかのような、新鮮で軽快なバッハ! モーツァルト! ベートーヴェン!
古楽器を使用しながらも新しい、という面白さ!
そんな中で登場したビルスマのバッハは、当然のごとく、それまで馴染んできたものとは大きく印象が異なるものだった。
*アンナー・ビルスマ(1934〜2019)
ロマンチックに“歌う”というより、語りかけるような演奏。本来の舞曲的性格も大胆に取り入れられ、テンポも早め。何より、楽曲の持つ多旋律的な構造があらわになり、聴くほどに興味深く、バッハという宇宙に深く深く吸い込まれていくような表現。
「まるで永遠の未完成だね」
友人がビルスマを評して言った言葉だが、何度も接しているコンサートでの氏は、まさにそんな感じだった。
音楽が今そこで生まれてくる瞬間に立ち会うことの、喜びと戸惑い。なんだか自由なんだよね…空気が。
ビルスマとの出会いは、僕の音楽の聴き方を変えてしまったようにも思う。いささか権威主義的で「究極」なるものをちょっとだけ求めていた聴き方を。
*アンナー・ビルスマ(1934〜2019)
まだ20代にして「無伴奏」を録音したり、2度も3度もバッハを録音するのはいかがなものか、などと思っていたのだが、今はへっちゃら。むしろ若手のバッハは大好物。ビオラやギターはもちろん、マリンバやサックスで演奏される「無伴奏チェロ組曲」も大歓迎だ。みんな真剣にバッハに挑んでいるし、響きが違えば曲の持っている新しい魅力に気付くかもしれない。
そういえば、ビルスマ体験後、あらためてカザルスの演奏を聴き返してみると、それまでは聴き取れなかった繊細でセンシティブな側面が感じられるようになった。音楽も移り変わるように、自分の耳も変わるんだよね。
そんな、バッハ「無伴奏チェロ組曲」全曲の演奏会が、11月・12月の2回にわたって開かれる。演奏するのは、日本が誇るバロック・チェリストにして指揮者の鈴木秀美。ビルスマに師事し、古楽の本場でも経験豊富な彼が、どんな“今”を聴かせてくれるのか、本当に楽しみだ。
軽妙なおしゃべりが聞けるかはわからないけれど、バロック・チェロ特有の、床に刺すピンのない楽器を膝に挟んで演奏する姿は堪能できるだろう。
ビルスマ氏追悼の意味でも、ぜひとも駆けつけたい。
長らく体調をくずしていて、しばらくは来日もないまま亡くなってしまったビルスマ師匠。いつぞやのコンサートの後、楽屋前でお会いした時のことが忘れられない。
サインをいただき、握手してくださった手の感触。
夫人であるヴァイオリニストのヴェラ・ベスさんにもサインをいただこうとしたところ、友人らしき方と歓談中。躊躇して待っていた僕に「大丈夫だから頼みなさい」と、優しく促してくれましたね。
いろんな宝物をいただきました。
★こちらのイベントは終了いたしました。
古楽の興Ⅵ
鈴木秀美 究極のバッハ
無伴奏チェロ組曲全曲演奏会 第1回
[日時]11月2日(土)14:00〜16:00予定(13:30開場)
[会場]鶴見区民文化センター サルビアホール 3F音楽ホール
-
住所神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央1-31-2 シークレイン内
-
電話045-511-5711
-
営業時間9:00〜22:00(受付は21:00まで) 【休館日】第3水曜日(祝日の場合は第2水曜日)、年末年始(12/29〜1/3)
-
駐車場無(駐車場は有料のシークレイン共用駐車場のみとなっております。なるべく公共交通機関にてお越しください。)
-
URL
Map
このスポットの記事
-
1
【ワークショップ】これは絵? それとも文字? 古代エジプトの謎に迫ろう
《世界の文化に触れるワークショップシリーズ》 サルビアアカデミーは世界の文化を知り、身近に感じるためのワークショップです。「音楽」「手工芸」「舞踊」「舞台芸術」など幅 ・・・鶴見区民文化センター サルビアホール2021.03.24 -
2
大笑いして免疫力UP!二つ目の噺家さんが、たっぷりと聞かせます!
隔月で開催している「さるびあ落語」。音楽ホールで落語を楽しむ1時間! 二つ目の噺家さんが、たっぷりと聞かせます! 2021年3月3日(水)窓口 ・・・鶴見区民文化センター サルビアホール2021.03.24 -
3
テレマン・パリカルテットの第一番シリーズ組曲・ソナタ・協奏曲の待望のプログラム
昨年9月の鶴見de古楽、満席の拍手に沸いたムジカ・レセルヴァータ、6月待望の再登場。10年の歴史・実績を誇る熟達の古楽アンサンブル=ムジカ・レセルヴァータは、鶴見de古 ・・・鶴見区民文化センター サルビアホール2021.02.22 -
4
リュート、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロ…3楽器による合奏の賑わいを楽しむ
5月の鶴見de古楽、スペイン古楽の代表的な音楽がリュートと共に初登場。「陽の沈まない帝国」最後の輝きにみちたカトリック教国スペインに華開いた音楽。代表的な音楽家たちが心 ・・・鶴見区民文化センター サルビアホール2021.02.22
関連記事
-
音楽神奈川フィルが、小田原市に所縁のゲストと共に華やかな演奏を披露!小田原市民会館(TOP画像)現田茂夫(指揮/神奈川フィル名誉指揮者)©三浦興一 2020年度に楽団創立50周年を迎えた<神奈川フィルハーモニー管弦楽団>と、 ・・・
-
その他 伝統芸能気分は女優?! マエストロ?! 舞台の裏も表も丸ごと体験横須賀芸術劇場行って、みて、感じるアートの世界 File.2 よこすか芸術劇場 バックステージツアー よこすか芸術劇場は、国内では数少ない本格オペラハウス仕様の大劇場を有する、充実したホールだ ・・・
-
演劇・ダンス【オンライン無観客配信】冒険小説「八十日間世界一周」を演劇で…開催まであと3日「8億円」を掛けた世界周遊を描く 冒険小説「八十日間世界一周」を演劇で… 世界を旅した音二郎、貞奴の足跡を幕間に挟み、 彼らの残した文化財を背景に映すネット配信 ・・・
-
美術・写真4人の女性作家によるアクリル絵画、樹脂粘土作品、アクセサリーなどを展示Art Gallery 山手(TOP画像)下島みちこ(アクリル画) 女性作家4人による、アクリル絵画、樹脂粘土作品、アクセサリーなどの作品を展示いたします。 グッズ ・・・
COLUMN
-
演劇・ダンス 音楽Double Planet 最終話Double Planet 最終話「星が消えるまで」 田丸ルカ(フルタジュン&神田陽太/レディオ湘南パーソナリティ) 自分だけは大丈夫 ・・・
-
演劇・ダンス 美術・写真舘形比呂一のDanceable LIFE Vol.10横浜美術館「横浜美術館コレクション展」でパワーを充電! 舘形比呂一(役者・ダンサー・振付家) 依然としてコロナ禍の厳しい状況が続いていますが、どんな時でも素敵なことに出 ・・・
-
演劇・ダンス 音楽Double Planet 第13話Double Planet 第13話「彼女に褒められたくて仕方なかった」 青野サトル(フルタジュン&神田陽太/レディオ湘南パーソナリティ) ・・・
-
美術・写真 音楽前川建築ならではのスタイリッシュな空間で、音楽とアートを遊んじゃおう!神奈川県立音楽堂行って、みて、感じるアートの世界 File.32音楽堂オープンシアター「音楽×建築×アートでお正月♪」 井上みゆき(マグカル編集部) 音 ・・・