『夢の劇 ─ドリーム・プレイ─』森山開次×玉置玲央
膨大な知識と反骨精神で波乱の生涯を生きた、スウェーデンの劇作家ストリンドベリ。彼が、上演することを意識せず自由に書いたという『夢の劇 ─ドリーム・プレイ─』が、この4月からKAAT(神奈川芸術劇場)の芸術監督に就任した白井晃によって演出される。物語は、人間界に降り、時空を飛び越えながら様々な経験を重ねる神の娘を通じて、人が生きることの苦しさと喜びを描いていく。早見あかり、田中圭、長塚圭史(脚本も)ら、豪華なキャストでも話題のこの舞台から、振り付けを担当しつつ出演する森山開次と、大河ドラマ『真田丸』の織田信忠役で注目が集まる玉置玲央に話を聞いた。
Interview&Text:徳永京子 Photo(Portrait):西野正将
夢とは「人間を描いたもの」というひとつの答えがある
── この戯曲の世界観は個人的にとても好きなのですが、なかなか説明が難しいですよね。こうして取材を受ける皆さんも大変ではないかと(笑)。
森山 そうなんです。僕らもまったく同じ、世界観は好きだけど説明が……(笑)。
玉置 稽古でも、まさに今、その“説明しづらさ”をどう形にしていくかを探っているところです。
── 人間を描くには、個人のかすかな息遣いや表情の変化を拾っていく至近距離の方法と、離れたところから集団の動きの変化を捉える方法がありますが、この作品は後者で、なおかつ、視点を置く場所が自在に動く感じですね。はるか空の上から見ていたと思ったら、一気に家の中まで降りてきて、また山の上に駆け上がるような。
森山 日本でもそうだし、(海外でも)あまり上演されていない戯曲なんですよね。しかも白井さんの演出は、たくさんの登場人物を少ない演出者で表現するので、ひとり一役でなく、僕達もいろんな役を演じる。それこそ瞬間瞬間、シーンごとに役割が変わるんです。その境目がまだ……。
玉置 はい、さっきまでやっていた役と次の役の折り合いを、どうつけていくかという感じですよね(笑)。
森山 観ているお客さんも、きっと混乱すると思う。混乱して当たり前というか。玲央くんなんて、ずっと若い士官をやっていて、あるところで年を取った士官役の山﨑一さんと入れ替わるけど、入れ替わったすぐあとに違う役で出てくる(笑)。
玉置 あはは、謎だなって思いながらやってます。
森山 でも、お客さんにそこを楽しんでもらえるようにつくっていければいいのかなと思って。
玉置 そうなんですよ。きっと観ながら「この人は誰? 何してる人?」と思うことが何回かあると思うんです。そうなった時に「わからないよ」という不満で終わらず、言葉にすると簡単な言い方になってしまいますけど、
「わからないけど、何だかおもしろい」という楽しさの感覚みたいなものにしていければ。
森山 逃げ道みたいに聞こえるかもしれないけど、『夢の劇』ですから。夢ならどんなことも起こりうるじゃないですか。妹が出てきたと思ったら、すぐに会ったこともない人になったり、突然シーンが飛んだりするような。そういう意味では、まさに『夢の劇』だし、夢って何だろうと考えた時に、結局は人間を描いたものなんじゃないかというひとつの答えが、この劇によって出てくるように僕は思っていますけど。
── 確かに、夢の中のようなふわふわした浮遊感がありつつ、「人間は悲しい存在だ」とか「人生はつらいことばかりだ」といった定義めいた話もたくさん出てきます。と言っても、そんなに深刻ではないんですが。その軽さと重さのバランスがこの作品の妙味かなと感じました。
森山 そうですね。稽古してわかったのは、「悲しい」や「つらい」という台詞が出てきても、そのままの意味じゃないというか。これ、全然悲しい話じゃないなって思ったりしない?
玉置 します、すごくします! 出てくる問題が、恋愛とか結婚とか、結構、私事(わたくしごと)で。
森山 こう言っては何だけど、些細な愚痴も多いよね(笑)。でも人間って、あえて悲観的な言葉を口にして、自分を納得させているところがあるし、早見さん演じるアグネスがシリアスに「人間は何て愚かなのー」と叫んでいても、実はすごく身近にある問題についてだったりする。裏を返せば、悲惨に見えても実は解決できそうなことが……。
玉置 いっぱいあるんですよね、人生には。
森山 そういう劇なんですよね(笑)。演劇って割と、社会的な問題や歴史的なことを採り上げやすいジャンルだし、そういうテーマで本当に「人間は愚かだ」と訴えることもできるんですけど、この作品はそうしない。人間は小さなことでいざこざを起こす愚かで無様な存在だけれども、生きていることを逆に肯定していく。そういうことが、いいふわふわ感、それこそドリームな感じで描かれていくんです。
そういう意味では、白井さんや長塚さんも仰っていたけど、人間賛歌的な作品なんでしょうね。
── 神様の娘であるアグネスが、もしかしたら誰よりも人間的かもしれません。演じる早見さんは初舞台なんですよね。
森山 と言っても、ステージにはたくさん立ってきた方ですし、堂々としていますよ。
玉置 僕はアグネスと一緒にいる時間が長い役なんですけど、あかりちゃんと対峙していて、彼女の中でどういう感覚かはわかりませんけど、僕としては初舞台の人とやっている感覚はまったくないです。すごく伸び伸びと、天真爛漫に稽古場にいますし、演技の不安もない。
森山 よく稽古場で話が出ているのは、アグネスが人間の世界を経験していく様子が、彼女が白馬のように駆け抜けていくイメージになったらねって。そういう意味ではとても役に合っていると思います。
── ストリンドベリが上演のことをまったく想定せずに自由に書いた戯曲と言われていますが、実際、ト書きが魔法の指示書のようです(笑)。
玉置 「出来るかーい!」ってことが書いてある(笑)。あっさり「精霊達が舞う」とか。
森山 白井さんがまた簡単に言うんですよ、「今ここで、精霊達が上空で舞って……」って(笑)。僕は振付家としても稽古場にいるので、ダンサーチームにどう動いてもらうか、何を表現してもらうかを考えるわけですけど、「上空か……」ですよ(笑)。一応、高さのことは意識してポールダンサーにも入ってもらっていますけど、ポールだってそんなに高くは行けないですし、登ったら降りなきゃいけないですし、飛んだりはできない。悩みながらト書きと格闘しています。ただ、演劇の中にダンスが出てくると、どうしても添え物的になりがちなので、そうならないようにというのが今回の僕の課題ではあります。上空に精霊が飛ぶ(演劇的な)意味合いと、ダンスとしての表現をうまくミックス出来るようにしたいです。
ダンスと演技の境界線をこの作品でなくしたい
── 俳優さんも踊りますか?
玉置 踊ってます。
森山 玲央君は特にね。
玉置 いろいろと踊らせていただいてます、ありがたいことに。
森山 助かってますよ。
玉置 こちらこそ、うれしいです。白井さん、長塚さんの舞台もそうですけど、開次さんのダンスも観客席で観ていた世代なので、一緒に同じ作品に関われるだけでも光栄なんですけど、直接振り付けしもらえるなんて。ひと通りダンスをやってきてよかった(笑)。
森山 水泳もやっていたんだよね?
玉置 水泳と陸上をやっていました。
森山 だから体がすごくしっかりしている。頼れるんですよ。
玉置 いやいや、怖いですけど頑張ります。
── 俳優さんも踊るということは、ダンサーの皆さんも演じる?
森山 ええ。もともと、白井さんと僕がやりたいのは、これまで分かれがちだったダンスパートと演技パートの境界線を、この作品でなくすというか、曖昧にすることなんです。最初にお話しした、僕や玲央くんが役から役の変わり目をどうやって埋めるかという問題と同じように、ダンスと演技の間を埋めたいんですね。だから、役者さんが身体で表現し、ダンサー側も言葉で表現できる時間がつくっていけたらなと考えています。ダンサー全員が台詞をちょっとずつ与えられていますし、中には結構な量の台詞を持ってるダンサーもいて、そこはチャレンジしていこうねと言っています。
玉置 ちょっと開次さんに聞いていいですか? ずっと気になっていたんですけど、白井さんとある程度の打ち合わせをした上で振り付けされるわけですよね。でも、わりと稽古の最初から、ある程度、できていたじゃないですか。どこからその踊りは導き出されたんだろうって、すごく興味があって。台本があって、打ち合わせして、稽古場でダンサーさん達に動いて頂いて振り付けができていく。その一連の流れが、僕から見るととっても不思議なんですよね。
森山 白井さんの芝居のつくり方って、いくら事前に打ち合わせをしても、稽古に入らないと全くわからないよね。そういう時は、とりあえず先行して、ちょっとだけ(動きの)ストックを持っていく。それは同時に、ダンサーのことをわかりたいという目的もあるんだけどね。実際にどれぐらい踊れるのか、何が得意なのか、把握しきれていない人もいるから。それで、まずそこで(演出家のテイストとダンサーの力量を)掛け合わせる作業をする。それと本当は僕、振り付けするのに時間がかかるタイプなんだよね。実はひとつのシーンに何日もかけたい。でも今回はそれができないから、実際に動いてみて良かったものを拾っていくような、偶然の導きみたいなものもあるかな。細かいことは自分でもちょっとわからないけど(笑)。例えば、ある動きをしたら、次の動きが自然に生まれて来ることがあるし、(この作品に対して)大きなイメージは持っているけど、転換の都合でダンサーがスロープを移動しなきゃいけないことが出てくると、そういう具体的な制約から意外と振り付けが生まれたりする。
玉置 ああ、確かにそうですね。
森山 (転換のセットの移動を)重いから男性がやらなきゃな。という事情が出てくる。すると、ダンサーだけじゃ足りないから、「ごめん、玲央くん、頼む」となる。で、「そうだよな、人に頼むくらいだから、やりたくないけど俺もやるか」って考えるよね(笑)。それをじゃあ、移動した体(てい)で、その流れから床で踊ろうかとなった時に、ダンスで風景をつくれる可能性がパッと閃いたというか。格好良く言えば、振り付けが降りて来たって感じだけど。
玉置 おおー!
森山 現実的に言えば「偶然そうなった」。事前に頭の中では散々考えるけど、結局それ通りに行かない、行った試しがない(笑)。そこを楽しくやれたらいいよね。白井さんの演出も「そこをあと10センチ動かすとぴったりハマって気持ちいいですよ、きれいに見えますよ」というところを、あえて放っといて「そのズレが大事だ、その微妙なズレがいいんだ」という感じでしょ(笑)。そういう、きっちりしたカウントで全部が計算通りになら、ない余地を残しながら、上手く振り付けができたらなと思ってる。だから、ダンスと芝居の稽古場を分けないで、時間はかかるけど、同じ場所で同時につくっていくことは、大切だし、今回のおもしろい点だと思っているよね。
玉置 ありがとうございます、すごく納得しました。
── 高いところでの動きを意識する一方で、セットの転換から振り付けが生まれるというお話は、この作品の、どこか夢の世界のようなんだけども、人間の暮らしの根っことくっついてる、という構造とシンクロしていると感じました。本番、楽しみにしています。