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世界に愛される横浜の味 家系総本山吉村家・吉村実氏インタビュー

世界に愛される横浜の味 家系総本山吉村家・吉村実氏インタビュー

とんこつと鶏ガラをベースにした醤油スープ。しっかりとスープに絡む太麺。ほうれん草、チャーシュー、海苔のトッピング。今やラーメンの一ジャンルとして確立した家系ラーメン。その原点であり頂点であるのが、1974年に新杉田でオープンした家系総本山の「吉村家」。現在は横浜市の西区にて、連日連夜行列の絶えない人気店として繁盛している。今回はこの家系ラーメンの生みの親である、会長の吉村実氏にお話を伺いました。ラーメン店を始めた経緯や、自身のラーメンに対する考えなどについて、率直な思いを赤裸々に語っていただきました。

──ラーメン店を開こうと思ったきっかけを教えてください。

が貧しかったから、金持ちになりたかったんだよ。僕は中学校卒業だから、基本的には劣等感があった。学生時代…生徒時代って言うのかな、そのときには負けたんだから、社会では勝ちたいなと思った。ただそれだけだ。だから僕は大学出たやつや、優秀な職業を持ったやつ、そういう人には負けたくなかったな。人生で勝てばいい、死ぬときに勝っていればいいやと。そのつもりでラーメン屋やってるな。

── 家系ラーメンの作り方は教えているのですか?

家系っていうのは「家」だから。「家族」だということで、教えている。日曜日に山口県から6人のラーメン屋さんが来たんだけど、お金も貰わないで教えてあげた。俺はそんなに教えねぇから、そういうことは、めったにない。家系っていうのは「家族」。だから俺が教えたやつが、 皆金持ちになればいいと思っている。

── 横浜の中心部にお店を構えることになった経緯を教えてくれますか?

有名になりたかったから。新杉田にいたとき家賃は18万円だったが、横浜に来たら200万円になった。そこで勝負できるかできないかは分からなかったけど、四十何年後の今、ここに2億3千万円の建物を建てるほどになった。それでも土地はそんなに大きいものではなく、25坪くらいしかない。それはまぁ、努力したせいもあるんだけど、色んな方と知り合ったからだと思う。

──ラーメンを作るときの一日の流れを教えてください。

大体目が覚めるのが午前0時で、2時から仕事を開始、夜寝るのは夕方の17時。食事は、夜飯は15時、朝飯は大体7時ごろ。1日2食くらいしか食べない。運動もしてねぇし、食べりゃ太るから。でも76歳だから、まぁ普通の人よりは元気だと思う。ラーメンは、1か月で3回くらいしか食べないんだけど、今は、そんなにも食べられない。野菜だとか、あっさりしたものが多い。そして日曜日は遊びに行く。やっぱり色んなお店見に行かねぇと分からねぇから。ラーメン屋だとかそういうとこは、2-3軒回る。だけど昔旨かった店が99%まずくなってる。なぜなら親父が出てないし、女将さんが出てない。僕はほら、ずっと出てるから、ますます味が良くなっても、悪くはならないと思う。ただ息子の代になったら分からないけどね。今の所は息子も娘も合格点。世界に飛び出しても勝てるかもしれない。

──吉村さんにとっての、横浜の魅力は何ですか?

お客様が絶えず新しいモノに理解があった。横浜のお客様はそういうところが素晴らしいな。政治もそうだけど、意外と神奈川が、横浜が、先に行く。これはね、横浜市民、神奈川県民の、気風なんだろうな。チャレンジすることが、なんでもないんだな。マスコミにもあんまり踊らされてない。自分で食べて、合えばいいやって感じだから。そこが横浜でやって良かったってところだな。

──今ラーメンは世界中で人気の食べ物だと思いますが、ラーメンファンへ一言お願いします。

2時間から3時間待つので、待つのが苦手な人はよそのラーメン屋に行った方がいい。それも日本の味だから(笑)。これはね(吉村家のラーメンは)、日本の味じゃないから。僕のラーメンはあれだけのスープ(寸胴鍋を指して)3本で毎日新しいものを作っているから、フレッシュさと、色んなものが加味してる。添加物の味がしない。でもこれが、世界で通用するみたい。

でも、一日に限りがある。1000食やったらもうスープが間に合わない。だからちょっと待たして申し訳ないんだけど、あんれだけの大きさの寸胴で作って、3本を常時やっているお店は、なかなかない。ちょこちょこって作って温めて、それで終わりだから。そんなのラーメン屋じゃねぇ、自動販売機って言うんだよ。

うちは工場で作ってなくて、手作り99%だから。お酢も自分で作っているし、生姜も自分で作っている。日本でPB(プライベートブランド)が多いラーメン屋さんは、なかなかないみたい。僕のとこだけみたい。そういう特徴があるから、外国の方が多いんだろうなぁ。外国の方は、よく味が分かっているんだろうな。もう頭が痛いよ、騙しが効かないから。どんどんどんどん、ラーメンに慣れてきているから。この方を騙すにはね、ちょっとしたもんじゃ無理だね。

完璧なインタビューをありがとうございました、と締めくくると、その日一番の笑顔を見せてくれた吉村会長。吉村家の今後についてはこう語った。「これからだな、まだ。まだ47年くらいだから。あと3年か4年やったらもう…80か。考えちゃうな。でもまだまだという気持ちはある。」新杉田で生まれた吉村家の味は、今では世界中の人を魅了している。今後も横浜、そして神奈川を代表する味として、多くの人々の記憶に残る一杯を作り続けるであろう。

この ように、神奈川県には、ここでしか味わえない、さまざまな魅力的な食文化もあります。文化芸術の鑑賞やイベントに合わせて、地域の方々と触れ合いながら、神奈川ならではのグルメや旬の食材、お酒などの食文化も楽しんでみてはいかがでしょうか。

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