旧東海道の歴史を未来へつなぐ「藤沢今昔・まちなかアートめぐり2016」
初めは掃除から
—藤沢今昔・まちなかアートめぐりの成り立ちを教えてください。
伊東:私と佐々木を含む発起人の4人は、それぞれが美術大学を出て、個展活動やアーティスト・イン・レジデンスなどに参加してきました。若い頃は東京や横浜での活動が多かったですが、地元を振り返って見てみると、空洞化が起きていると感じました。藤沢市にはもともと博物館や美術館がなかったということもあり、どこかにそういった活動の場を作れる可能性がないものかと探していたときに、江戸期の宿場やそれ以前の戦国時代、鎌倉時代、平安時代からの遺構に触れて、藤沢のまちの礎であり、早くから人が集う場所だったこの地域の歴史的な遺産の保全と活用をアートを通じてできないかと考えました。
発端になった所は今回も会場の一つになっている稲元屋さんという呉服店です。藤沢宿を代表する大店で、明治天皇が行幸で泊まられたこともあり、南側の丘にはそのことを示す碑もあります。お庭と蔵が2棟残っていて、所有者のご理解をいただいて、2010年にそちらといくつかのギャラリーとで「藤沢今昔・そしてこれからまちなかアートめぐり」を始めました。次の2011年に開けていただいたのは、昭和初期から主に和紙の商いに使用されてきた旧鎌田商店で、2012年には明治初期から続く米穀肥料商だった関次商店と有田家、旧石曽根商店は2014年、そういった形で少しずつ理解を得てきました。
日本建築の調査を数多くなさっている東海大学の小沢朝江先生に2年目あたりから何かとサポートしていただいているので、先生が関わられている場所だとご理解が得られやすかったということもあります。
昨年以前は白旗神社や遊行寺、常光寺さんがお持ちの弁慶塚という場所、戦国時代から続く堀内家の墓所のある林など、屋外でも展示を行いました。
—地元の方でも、これまで知らないような場所だったのですね。
伊東:僕が長年住んでいる辻堂の海側は昭和30年〜40年当時は松林と田畑ばかりだった比較的新興の地域で、歴史的遺構はあまりないんです。一方で藤沢宿のほうへ目を向けるとこれだけいろいろなものがあるということが分かってきましたが、以前は一通りの調査はされていたもののほとんどは活用されず、公開も限られたものでした。最近になって、街なみ継承地区が設定され、改めて調査されるところも増えてきました。稲元屋さんは昨年、関次さんは今年、国の登録有形文化財にようやくなりました。展示期間中に開けていると、最近このあたりのマンションに越されてきたような方が、ここにこんな場所があるのを初めて知りました、なんてケースもよくあります。
佐々木:だんだん、蔵や寺社など、歴史的建造物を見る目というか、そういう視点も身に付いてきましたね。
伊東:目は変わりますね。このイベントを始めてから、2012年には神奈川県のヘリテージマネージャーという資格も取って、こうした遺構を活用するアイデアを出したり、マネジメントしたりといった経験も積みました。
—会場の建物はどんな状態だったのでしょうか。
伊東:場所によっては一番初めの掃除がかなり大変でしたね。
佐々木:展示する人が決まったら、まずは皆でマスクして、箒を持って、真っ黒になって掃除をするところから始めました。
伊東:それ自体を作品化したアーティストもいたぐらいですね。
佐々木:使わせていただく限りはこちらもメンテナンスをして、出るときは前よりもきれいにすることを心がけるようにしています。
継続的な関わりから生まれる作品たち
—参加メンバーや展示内容はどのようにして決めているのでしょうか。
伊東:設えられた美術館や画廊へ作品を持って来て掛ければ良いというものではないので、地元の仲間でこういった活動を理解して、賛同してくれる人を募ってやってきたという感じですね。茅ヶ崎や鎌倉、横浜の栄区などから参加しているメンバーもいます。
直接的であれ間接的であれ、地域の歴史や文化、環境の影響を受けている作品が多いですが、その辺りは個々のアーティストに任せているところもあります。それぞれが継続して持っているテーマをここに合わせた形で出してくるものもありますし、3年前にかつて履き物商であった石曽根商店で展示したアーティストは、履物に関する日本で伝わる言葉をテーマにしたり、僕は戦国武将の当時の旗印の色だった黄色をインスタレーションに取り入れたりと、作家によってさまざまです。
今年有田家で展示する伊藤久也の作品は、ご当主の有田さんが毎年梅干しを漬けられるので、一緒に梅干しを作ってみて、その過程を記録に残し、さらにその梅干しも味わえるというものです。
村上慎二は写真のアーティストですが、時宗の遊行第四代上人開山の清浄光寺(遊行寺)まで、その先代まで住まった相模原市の無量光寺からのルートを歩いてたどって、写真を撮るということをやっています。会期中はスライドショーを見せたり、道でゲリラ的に投影します。
継続して開催していると、来年に向けて気付くことが出てくることもあります。佐々木は昨年同じ場所で展示しましたが、今回はそのシリーズの発展系です。
佐々木:何回かやっていると、自分はどこの場所でどういう風にやりたいのか、というのがなんとなく頭に浮かぶんですね。実際その場所に合わせて作品を作る作家が多いです。
異文化交流を通して、足元を見つめ直す
—今年の見どころを教えてください。
伊東:ラトビア共和国から3人のアーティストが来ていて、アーティスト・イン・レジデンスを行ったのは今年の最大の特徴です。彼女たちの作品はぜひ見てほしいですね。また、後半の22日以降は、夕方から2時間ほどライトアップも見られます。ライトアップは2013年からやっていますが、昨年からは、普段ライト兄弟というチームで景観照明を手がけているアーティスト、伏見雅之のおかげで充実しています。彼は今年、稲元屋の南側の外蔵に映像作品を出品しています。
ライトアップ初日の22日は、新しくできた藤沢交流館に集合して、17時半くらいから各会場を歩いて巡ります。できるだけアーティストも会場にいて、ちょっとしたアーティストトークや建物の説明もする予定です。
佐々木:チラシのマップを見ながら来て自分で歩くこともできるようになっているし、会場には誰かしらいるようになっています。各会場にあるスタンプを集めると、作家の手作りのグッズがもらえます。
—ラトビアとの交流はどのように始まったのでしょうか。
佐々木:私が2006、2007年に埼玉県比企郡でやっている「国際野外の表現展」でレジデンスに参加したときに、いろんな外国からのアーティストも来ていて、今回の参加作家のラウラとも話して、とても気が合ったんです。経験、技量とも豊かですし、彼女のお父上も彫刻家で、ラトビアでレジデンス事業を手がけておられます。
伊東:彼女は2年続けて来ていて、一緒に東京のギャラリーなどを案内して回ったりして、その後も連絡を取り合っていました。こちらが軌道に乗ってきた時点で声をかけて、一昨年初めて参加してもらえることになりました。一昨年は彼女のほかにスウェーデンのアーティストが参加していました。それ以前にもつながりのあるフランスのアーティストを招いたこともありますが、やはり、ラトビアは日本でもあまり紹介されてないし、調べていくと、学ぶことがすごくあるんですね。
第一次世界大戦後の1918年にロシア帝国から独立して、その後またソ連に編入されて、1990年に再度独立した、そういう歴史の中で独自の手工芸や豊かな自然を維持しています。また、首都リガの旧市街は世界遺産に登録されています。苦労もあるけれども独自の文化と知恵を感じるところがあって。日本は経済大国イメージが強いかもしれませんが、こうした活動を通じて異文化を知っていくということの中には、これから高齢化が進み、人口減少する自分たちの足元というか、歩み方、やり方を見つめ直す意味もあるのかなと。
昨年はレジデンスはお休みでしたが、今年の実施に際しては、ラトビア側の人選をラウラに任せました。また、準備期間中には、大使館から駐日ラトビア共和国次席外交官にお越しいただきました。
佐々木:少しでもラトビアのことを知ってほしいという気持ちを彼女たちもすごく持っているので、地図で国の場所を説明するとか、食べ物や国の文化について説明してね、と言ったら意気込んでいます。
伊東:こちらからラトビアを訪れたことはまだないので、今度は滞在制作をしに行ってみたいですね。