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演劇・ダンス

晩秋のKAAT公演・演出家スペシャル対談 – 多田淳之介(東京デスロック)× 岡田利規(チェルフィッチュ)

晩秋のKAAT公演・演出家スペシャル対談 – 多田淳之介(東京デスロック)× 岡田利規(チェルフィッチュ)

Interview・Text:藤原ちから  Photo:西野正将

この晩秋から冬にかけて、KAAT(神奈川芸術劇場)では2つの注目の舞台が上演される。東京デスロック+第12言語演劇スタジオ『가모메 カルメギ』と、チェルフィッチュ『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』。両作品ともに、初演は海外で幕を開けており、日本での上演は今回が初めてとなる。その世界初演をそれぞれソウルとマンハイムで観てきた演劇批評家・藤原ちからが聞き手となり、両演出家の対談を行った。

収録場所は、多田淳之介が芸術監督を務めている劇場キラリ☆ふじみ。ツアーのためイタリア・モデナに滞在中の岡田利規とスカイプで繋いでの対談となった。

<プロフィール>

多田淳之介(ただ じゅんのすけ)
1976生 千葉生まれ。東京デスロック主宰/演出。
古典から現代戯曲、パフォーマンス作品まで幅広く創作。俳優の身体、観客、時間をも含めたその場での現象をフォーカスした演出が特徴。「演劇LOVE」を公言し、劇団作品の他、地域に滞在しての市民参加作品の創作、小・中・高校でのコミュニケーション授業、大学での講義、ワークショップなどを通じて、演劇の持つ対話力、協同力を演劇を専門としない人へも広く伝える。韓国、フランスでの公演、共同製作など国内外問わず活動。俳優としても他劇団への客演や、映画、TVドラマにも出演。青年団演出部にも所属し宮森さつきと共に青年団リンク二騎の会を共同主宰する。2010年4月に富士見市民文化会館キラリ☆ふじみの芸術監督に、公立文化施設演劇部門の芸術監督としては国内歴代最年少で就任。2013年12月に日韓共同製作作品『가모메 カルメギ』に於いて韓国で最も権威のある東亜演劇賞演出賞を外国人として初受賞。2009年〜2010年セゾン文化財団ジュニアフェロー対象アーティスト。2013年より㈶地域創造リージョナルシアター派遣アーティスト。四国学院大学非常勤講師。

東京デスロック+第12言語演劇スタジオ『가모메 カルメギ』
2014年11月27日(木)~30日(日)@KAAT神奈川芸術劇場

岡田利規(おかだ としき)
1973年 横浜生まれ。演劇作家 / 小説家 / チェルフィッチュ主宰。
活動は従来の演劇の概念を覆すとみなされ国内外で注目される。2005年『三月の5日間』で『第49回岸田國士戯曲賞』を受賞。同年7月『クーラー』で「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2005―次代を担う振付家の発掘―」最終選考会に出場。07年デビュー小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を新潮社より発表し、翌年第二回大江健三郎賞受賞。12年より、『岸田國士戯曲賞』の審査員を務める。13年には初の演劇論集『遡行 変形していくための演劇論』を河出書房新社より刊行。

chelfitsch

▼チェルフィッチュ『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』
2014年12月12日(金)~21日(日)@KAAT神奈川芸術劇場

韓国との縁

──今度KAATでそれぞれに上演される作品の話を中心にしつつ、今日は自由にお話いただければと思っています。
そもそもお二人が公の場で話す機会は、そんなにはありませんよね?

多田:前に『再/生』という作品をつくった時に、アフタートークに来てもらったことがありますね。

──今年はソウルで会われてますね。

岡田:ええ、多田さんが『地面と床』のソウル公演を観てくださって。

──多田さんは、この『カルメギ』が東亜演劇賞で作品賞、演出賞、舞台美術・技術賞の3部門を受賞し、韓国でも何度も作品を上演していて縁も深い。

岡田さんも何度か公演をされていますよね。

岡田:4回くらい行ってます。だから、継続して観てくれているお客さんもいますね。

多田:ソウルには岡田さんのファンも多いですよ。でも韓国で韓国人とつくるのは、次の(来年の)作品が初めて?

多田淳之介

岡田:初めてです。で、オーディションでいいなと思う3人を選んだら、そのうち2人が過去に多田さんとやってたという(笑)。

多田:1人は『カルメギ』にも出ている俳優ですね。

岡田:僕はまだ『カルメギ』を観てないですけど、受賞という結果は、多田さんがその前から韓国の俳優たちと継続してつくってきたことが実を結んだところがきっとあると思うんですね。その経緯を訊きたいです。

多田:最初は、韓国の俳優とアジアの演出家を組ませて作品をつくる、っていう趣旨のフェスティバルに1人で参加したのが2008年。その時に出てもらった俳優が継続して出てくれています。その時に今回の『カルメギ』の作家でもあるソン・ギウンさんともであって、それから彼の第12言語演劇スタジオという劇団と東京デスロックで組んでやり続けたんですね。お互いの国の助成金取って、ソウルで劇場押さえて、フェスティバルに絡められる時は絡めて……という、かなり普通に地道な活動を。お客さんはいちおう「日本人の演出家」だと思って観に来てるとは思うんですけど、こちらのつもりとしては、韓国の小劇場の中で地道に活動する感じでやってきました。

──『カルメギ』の原案はチェーホフの『かもめ』で、それをソン・ギウンさんが20世紀前半の日帝時代、いわば植民地支配の時代に移植した。その物語を、ソン・ギウンさんと彼の第12言語演劇スタジオの協力があるとはいえ、日本人の演出家である多田淳之介が演出するというのは、かなり緊張度の高い仕事ですよね?

多田:ソン・ギウンさんが植民地時代のことを書くのが得意領域だった、ということはあるんですけど、基本的に「歴史の話はしない」っていうことでこの5年の活動はやってきたんですね。日本人としては、韓国との歴史のことを扱うと、ぼんやりしてられないというか、「日本人とは何か?」ということを自分の問題として考えざるをえない。例えば同じ演出をやっても韓国人の演出家なら大丈夫だけど、日本人演出家だと問題になるということも起きますから。

──その点で、昨年の『カルメギ』ソウル公演の反応はどうだったんですか?

多田:もちろん歴史については賛否がありました。韓国内でも複雑ですからね。ただ韓国内で日韓の歴史を扱うことができた、というのは大きな手応えです。日本と韓国のアーティストの今後にとっても良かったんじゃないかなと。でも『カルメギ』は特にそうですけど、韓国で上演するのと日本で上演するのとでは、かなり状況が違うと思います。(両国の歴史に対して)観客の情報量も違うから……。

『가모메 カルメギ』 2013.10 DoosanArtCenter Space111/(C)DoosanArtCenter

『가모메 カルメギ』 2013.10 DoosanArtCenter Space111/(C)DoosanArtCenter

<藤原ちから ショーレビュー>
東京デスロック+第12言語演劇スタジオ『가모메 カルメギ』ソウル公演@2013年10月

チェーホフの『かもめ』の舞台を、20世紀前半の日本による朝鮮の植民地支配時代、いわゆる日帝時代に移植した作品。多田淳之介率いる東京デスロックは、近年、『シンポジウム』や『セレモニー』などのように、観客と一緒にその場をつくりあげていくような演劇を展開しているが、この『가모메 カルメギ』は完全にドラマ演劇。俳優たちの演技レベルも非常に高く、スリリングな物語を実現していた。忘れがたい感動を与えてくれる舞台だった。

日韓/韓日関係のあいだではタブーとも言える歴史を扱っているだけに、ソウルでは日本人俳優のほうにアウェイの緊張感が(極めて良い意味で)感じられたが、日本公演ではそのシチュエーションは大きく変わるだろう。この作品は、昨年末に、韓国の東亜演劇賞で作品賞、演出賞、舞台美術・技術賞の三冠受賞を達成。日本人演出家の同賞受賞は史上初という快挙を成し遂げた。

日韓の情報量の格差

多田:チェルフィッチュの『地面と床』をソウルで観た時に……その前に横浜で観てるんですけど、あれは言葉の問題を扱っているし、日本と海外とで上演する時の反応って間違いなく違うじゃないですか。

──「字幕がさっきから全然追いついてなくてイラッとする!」とか「わかんない言葉聞いてそれをまるで音楽みたいだ、とか言う人いるけどさ」とか言って、字幕を補助的なものではなく意図的に使って、日本語圏じゃない観客への挑発をしてましたね。

多田:そう、日本語がわからない人向けにもつくられている。じゃあ、日本語がわかる人向けにはどれくらいつくられてるのか、が気になってて。

岡田:それぞれ受け取るものは違うでしょうね。ただ、どっちの人も受け取れるものにするってことはすごく考えてました。日本の観客に見せるのを忘れることはありえない。でも例えば初演がヨーロッパ……というか「日本語がわかるお客さんが基本的にはいない」場所でやることが決まっていたりすると、それは今回の『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』も同じなんですけど、やっぱり影響は少なくないんですよね。どっちの観客のことも頭から離れないし、これは断じて言いますけど、全然そこには優先順位はないんです。

岡田利規

──『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』のマンハイムでの上演も、コンビニに象徴される現代日本のカリカチュアを、ヨーロッパの観客にアイロニカルにぶつけていた。でも日本での上演は、観客にとって全然他人事ではないですよね……。

この夏にインタビューさせていただいた時は、まだそこまで日本人に見せることは意識していないと仰っていましたけど、今まさに『スーパープレミアム〜』の海外ツアーをされていて、このあと横浜に雪崩れ込んでくるわけですよね。その渦中にある現在、心境の変化はありますか?

岡田:もちろんありますよ。ツアーやってるとやっぱり作品がどんどん育って熟してくる、そのプロセスを今まさにたどってるんですよね。いい感じだなあ、って思ってるんですよ。この流れで横浜行くぞ!、みたいな(笑)。だから全然モードは違います。でも横浜でどういうリアクションを受けるのかってことに関しては、特に予想することもなくて、やるしかないし。だから早くやりたいですよ。そういう答えでよかったですか?

──ツアーで作品が徐々に熟していく、という感覚は多田さんにもありますか?

多田:ツアーすれば、それはもうそのとおりですね。すべきだ、とも思います。今回の『カルメギ』はソウルでの初演から1年空いたことが良いか悪いかわからないけど、少なくとも当時と状況は変わってますよね。日韓関係も、日本も……。そこは見え方が変わってくるかもしれない。

岡田:……あの、すみません、ちょっと気になるので話題変えていいですか。海外と日本の違いっていう時に、僕らの、 例えば『地面と床』も『スーパープレミアム〜』も、どちらかというと「日本とそれ以外の違い」っていうふうにざっくり言えると思うんですよ。だけどたぶん『カルメギ』はそうじゃなくて、「日本と韓国の違い」になっていて。そこのケースの違いは重要だと思うんです。

写真左:『地面と床』©清水ミサコ/写真右:『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』©Christian Kleiner

写真左:『地面と床』©清水ミサコ/写真右:『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』©Christian Kleiner

──つまり、日韓のあいだに特殊なものがあると。

岡田:さっき多田さんが言ってたことで本当にそうだなあって思うのは、「韓国と日本とで観客の持っている情報量が違う」ってことです。韓国と日本のあいだの歴史についての知識を、韓国人にくらべて日本人は全然持ってない。韓国の人が持ってるそのギャップに対する不満って、すごく感じるんですね。そう思いません?

多田:思いますね。

岡田:例えばだけど「1910年」が何の年か、日本人はあんまりわかってない。韓国の人はもちろんみんな、それが日本が韓国を併合した年、植民地化した年だと知ってる。それは「1945年」と同レベルで認識されてる。その差は大きいですよね。そのへんの情報量のコントロールってしてるんですか? 憶測ですけど、韓国の観客には今さら教えないでいいことも、日本人だと何それわかんないってことがあるんじゃないかと。

多田:「情報を知らない」ことについて考えてほしいなっていうのはありますね。この作品を韓国人が観てどう思ったか、日本人にはまったく想像がつかないと思うんですね。でもこの作品はすでに韓国で上演してきたわけだから、そこを意識してもらえると、日本で上演する価値があるかなと。さすがに朝鮮を併合して植民地支配してたことすら知らないと、厳しいかもしれないなって思いますが。

岡田:どのくらいの人が知らないんだろう?

多田:子供は知らないだろうな……高校生とかも。日本人が韓国を支配していた、っていう情景を見慣れてないですよね。韓国人は子供の頃から写真やテレビや映画で観てるから……。そういう意味では、日本人のほうがショックを受けるんじゃないかとも思います。目の前に韓国の俳優がいるわけだし、居心地の悪い思いをするかもしれない。よっぽど日本人が韓国人をいじめる酷いシーンでもつくればいいのかもしれないけど、基本的にそういうのはないんで。

母国語から距離をとる

多田:岡田さんはアメリカで、アメリカ人俳優とつくりましたよね。外国語でつくったのはそれが初めてですか?

岡田:『ZERO COST HOUSE』ですね。僕は稽古場にはいましたけど、演出家としてリーダーシップ取ってたわけじゃなくて、劇作家として意見を言うくらいの関わりだったんですけどね。

多田:僕はソウルで何度か韓国語の作品をつくってるんですけど、例えば日本語の感覚だと「もうちょっと抑えて言って欲しい」と思っても「韓国語だとそんな抑えて言わない」みたいなことが起きる。言語は文化だからそもそもが違う。だから外国語でつくった時に岡田さんがどういう感想を持ったのかは結構気になってるんです。

多田淳之介

岡田:僕が『ZERO COST HOUSE』をつくった時は、日本語じゃないってこと以上に、それが英語だったことが大きい気がしてるんです。つまり英語の方がメジャーな言語であるということ。シェイクスピアでもテネシー・ウィリアムズでも、オリジナルでは英語を喋るキャラクターを日本でやるとなると、そのキャラクターは翻訳されて日本語で喋る。演劇にとっては普通のことですけど。でもその逆はあんまりなくて、なんでかっていうと、英語が日本語よりも「上位」にあるからだと思うんですね。だからあの作品では(アメリカ人が英語で「岡田利規」を演じることで)その上下関係を逆手に取ったつもりです。それは英語だからできたことで、同じことを日本語と韓国語を用いる作品のなかでやっても、成立しないんじゃないかと思います。

多田:『地面と床』では、ネイティブな日本語の表現に対して、決別するというか、距離を置いているような印象がありました。台詞でも、佐々木幸子さんが演じた女性が「わたしが喋ってる言葉が何言ってるかどうせ誰もわかってないでしょ。母国語選びを間違えた」とか言いますよね。あと「日本語の旨味なんて伝わらない」みたいな事も言ってましたよね。それって、演劇をつくる人間の武器であるはずの母国語から距離を置くというか、違うやり方で勝負することだと思って、強く印象に残っているんです。次の『スーパープレミアム〜』では、その辺りの言葉に対する感覚はどうなってるんですか?

『ZERO COST HOUSE』©前澤秀登

『ZERO COST HOUSE』©前澤秀登

岡田:『スーパープレミアム〜』のテキストは、『地面と床』でそんなテキスト書いたなんてことが、あたかもなかったかのように書かれてます(笑)。日常の日本語で書きました。インタビューなんかでよく「チェルフィッチュは日本語の微妙なニュアンスを結構使ってますけど、そういうのって翻訳された字幕では伝わりづらいですよね?」っていう質問を受けるんですよ。僕そういう日本語のニュアンスって、たとえ翻訳者がどれだけ上手でも完全に伝わることはないと思ってます。だから、テキスト書く時に大事にすることは2つあります。ひとつは日本語のニュアンスを大事にすること。それは絶対に捨てません。それでもうひとつは、ニュアンスがはぎ取られたときに力を失うようなものではないテキストを書くこと。

<藤原ちから ショートレビュー>
チェルフィッチュ『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』マンハイム公演@2014年5月

どこにでもありそうなコンビニが舞台。バッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻、全48曲(前奏曲+フーガで)が、かなり薄っぺらい電子音のアレンジで流れる中、店員と客とが、奇妙な動き(ダンス?)を繰り出していく。それはまるで極東の島・日本からやってきた昆虫たちの標本のようでもあった。 彼らの姿は現代日本人のカリカチュア(戯画)そのものだ。

岡田利規が「チャラっとしたやつをつくりたかった」と語っていたように、見た目としては、過去のチェルフィッチュ作品の中でもたぶん最高レベルでチャラい。……が、炸裂するアイロニーが、笑えるのに笑えない状況を生み出している。滅びゆく日本という、近作『現在地』や『地面と床』で描かれていたモチーフは、ここでもやはり継承されているのだ。チェルフィッチュはマジで、「日本人」を再起動させようとしている。

拠点を持つこと、浮遊すること

多田:この同世代の、アラフォー(笑)の日本の演劇作家の中では、岡田さんは圧倒的に、日本以外の場所での活動が多い。そうなってくると、どこに行っても外国人になるわけで、その浮遊感というか、マレビト感をどう受け止めているのか……。作品の流れを観ていても、岡田さんの演劇作家としてのそうした活動が、作品の内容にもすごくリンクしてきていると感じるんです。そのへんの浮遊感についてはどう思ってるんですか?

岡田:その質問は、僕からしたらめちゃくちゃ本質的なことを突かれたなあって感じですけど……。演劇ってある特定の拠点を持って活動するのが本質的に大事なんじゃないかなあって、ときどき思うんですよ。多田さんであればキラリ☆ふじみがそうであるような。でも、今のチェルフィッチュにはそういうのがないんですよ。それで、これでいいのかなって不安になったりはするんですね。でもね、この状態が僕の性に合ってるのは確かなんですよ。国内に長くいると、換気のために部屋の窓開けたいなみたいな感じで、海外に行きたくなっちゃうし。すっかりそんな体質になってしまいました。例えば、字幕の操作を手伝ってくれる日本人の方に現地で会ったりするわけです。で、そういう人たちの中には、「日本の社会で暮らすのがキツくて、それで海外に来たんです」っていう人、結構多いんですね。で僕はその人たちの気持ち、基本的にわかるんですよ。僕も居心地の悪さは若いときから感じているし。ただ、僕は外に出る度胸がなくて国内にとどまってた。でも現在は、こんな感じの暮らし方になってる。そういう僕みたいな、度胸がなくて国内に閉じこもってたくせにめぐりめぐって国外でさかんに活動するようになった人間だからこそできることっていうのはあると思ってるんですよね。その意識は作品にすごく反映されているなというのは自分でも思います。

岡田利規

──そういう意味で、このキラリ☆ふじみは多田さんの拠点ではありますけど、いっぽうで日本全国を飛び回って、かなり移動してますよね。

多田:僕は最初、東京が嫌になって、東京公演をやめて……今は関東でもやりますけど。海外だとソウルがメインで。そういう外様っていうかマレビト感というのは、結構自分の性には合ってると感じます。この富士見の場合は、また別の回路が働いてる感じがしますけどね。

東京が嫌になった原因がいくつかあって、そこと関わらないように生活できたらいいなとは思ってて、でもたまに関東で公演したりすると、ああ、この距離だとまだ逃げられないなっていうか、手が届かれてしまう感じっていうか。特に今、本番中(※キラリふじみレパートリー『奴婢訓』の終演後に収録)だからなおさらそう感じる部分もありますけどね。だから僕も、どこかに拠点を定める度胸は今はないとも言えるし。ある場所から繋がりをつくって、手の届く範囲をひろげていくってことになると思うので。

──アーティストにとって「移動」というのは大きなテーマだと思いますが、お二人は特にそれをこの数年間、牽引してきたと感じます。日本の若い演劇人に与えた影響もかなり大きいはずで、例えば以前、範宙遊泳の田中美希恵さんにインタビューしたら「東京じゃないところでやりたい」って言ってて驚いたんですけど、実際彼女はその後に、東京デスロックの『セレモニー』に参加してツアーをしたわけですよね。そういう影響が伝播しつつあるようにも思いますが。

多田:チェルフィッチュがヨーロッパに行くようになって、少なからず日本のカンパニーも海外に行きやすくなったと思うんですけど、岡田さん自身はそれをどう感じてるんですか?

岡田:僕より若い作り手や役者やってる人たちがそういうことを感じてくれている実感というか、そういうこと求めてる実感が、僕はあんまり持ててないんですよね。それこそ僕が日本にあんまりいないこともあってそういう人たちと接する機会が少ないからなのかもしれないですけど。

僕は海外を公演でツアーしてまわって過ごすのは好きだし楽しいし、なによりそのぶん演目の上演回数を増やせるし、おおいにモチベーションを持てるんですよ。でもチェルフィッチュのツアーメンバーにしたってみんながみんなそういうわけじゃないです。日本を離れてることはストレスになる人も少なくないし、海外にいることは日本での仕事のチャンスをあきらめなければならないことを意味するわけですし、字幕なしで理解してくれる国内のお客さんの前でやることのほうがやりがいを強く感じるという役者の生理もあったりしてそれももっともなことだなと思いますし。国外で活動するという道は、さほど求められていない道なのかな? と思うことしきりで、だとしたら僕は正直なところ寂しいですが(笑)。

でも、寂しがってばかりもいられないですし、メンタリティの変化はものすごくゆっくりと起こるものなのかもしれないとも思いますしね。今の20代、それよりもっと若い世代が、僕たちが通行しやすくした道をがんがん使ってやるっていうふうに思ってくれるようになったら冥利につきるなあと思います。

変化を促す挑発について

──もうひとつ、お二人の共通項として、作品がかなり挑発的だと思うんですね。「演劇」とか「客席」とか「日本語」とか「東京」とかいうものに対して、常に何かしらの挑発行為を行っていると思うんです。

岡田:さっき言ったように以前から齟齬っていうか居心地の悪さを感じていたわけですけど、そのことが大きく関係してると思います。居心地悪いと思ってるんだったらそこを出て行ったっていいわけだけど、僕は海外に行く度胸がなくて、それでも居心地の悪さは解消する必要があるわけで、だって、そうじゃないと悪くすると死んでしまうわけですから、だから居心地の悪さを表明する必要が僕はあった。で、アーティストって、違和感の表明をそのまま価値あるものに転じることができる存在なわけで、そういう意味じゃアーティストってのは僕にとってはとても具合のいい生き方ですよね。

──岡田さんは岸田國士戯曲賞の審査員でもあり、その選評もやっぱり一種の挑発になっていると毎年思いますけど、多田さんも史上最年少で公共ホールの芸術監督になり、韓国で大きな賞も獲った。いわば、逃げも隠れもできない立場にあって、そういう二人の背中を見ている後続の若い人たちもいる中で、今の日本の芸術や社会の環境を変えるような何らかのアクションを起こしていこう、という気持ちはあったりしますか?

僕自身には、今の日本の環境は「沼」にも思えるんです。演劇の作家たちが、2000年代の日本の「沼」みたいな閉塞感を、その創作の源泉にしてきたところは少なからずあると思うし、お二人はそこから出発してそれぞれにフロンティアを切り拓いてきたのではないかと思う。でもまだこの環境自体は、手応えを吸収し無化してしまうような「沼」の中にあるんじゃないか。……何かそういう、今の日本の演劇とか社会に対する考えがあればお聞かせいただければと思います。

多田:……「沼」か(笑)。僕には結構、「硬い」っていうイメージがあって、その硬さを変えるのは難しいけど、日本国内にも柔らかい部分はあるから、それを探していってる感じかなあ。硬いものをガンガン打っていくよりは、柔らかいものを押したり引いたりしてやりとりしていくほうがいいので。公共ホールに関しても、劇場法で盛り上がりが一瞬あったけど、「硬いな相変わらず!」と思うこともあり。そういう意味では今は民間のほうがやわらかいですかね。今度の『カルメギ』はKAATと北九州芸術劇場でやるのに、公共ホールが硬いって話をしてもしょうがないですけど(笑)。

多田淳之介

──民間っていうのは例えば?

多田:以前の枝光アイアンシアターとか、高知の蛸蔵とか。地域にひらかれた場所にするっていうのは民間の人のほうがフットワークが軽くて、直接、近所の八百屋さんと付き合えたりするから。僕としては、民間の小さな規模の劇場があって、それらを公立の劇場が集約できる感じになるといいんだけど、このまま待っててもそうはならないだろうなってのはあって。2010年にキラリ☆ふじみの芸術監督になって、そのあと劇場法ができてさらに数年経ったけど、特にその状況は何も変わってないなとも思う。キラリ☆ふじみくらいの小さな予算規模でもやっていく事例がもっとないと、変わっていかないと思います。とにかくイメージとしては、柔らかいところ探し。そしてそれを柔らかい人たちで共有していく。

──岡田さんはどうですか?

岡田:「沼」がひからびてえらいデコボコな形状に固まっちゃって歩きづらい、みたいな感じですかね? 今の二人の言ってることを合わせてみただけですけど(笑)。多田さん、東亜演劇賞を受賞されましたよね。岸田戯曲賞もそうだけど、賞って本質的にはどうでもいいわけですよ。でもどうでもいいからこそ、賞を獲ったことが話題になってほしい。何かに一石を投じるようなことになってほしい。日本人の演出家が韓国の演劇賞を獲った。そのことは日本の演劇界で話題になったほうがいいに決まってる。でも、あんまり話題にならなかった。話題にならないのは、つまり、そんなことには別に関心がないから、ですよね。で、関心を持てずにいることがすなわち「沼」みたいな状況だってことでしょ? そのことは、残念です。

僕も今、岸田戯曲賞の選考委員という立場にいるわけです。たいへんな役割ですから、これはちゃんと果たさなくちゃと思って、そのためには言いたいこと言わないといけないからっていうんで選評のなかで挑発的なことも書きますけど、それもあんまり話題にならなくて、あれ俺空回りしてる? みたいな(笑)。こないだも「海外」というお題でなにか書いてほしいという依頼をうけて「悲劇喜劇」(2014年11月号)という雑誌にやっぱりそれなりに挑発的な文章書いたんですけど同じくリアクションは薄かったですし(※現在、岡田利規のFacebookで閲覧できる)。 でもね、今みたいにボヤいててもしょうがないんで、諦める必要もないですし、続けていく以外の策はないですから、挑発は今度もやっていきますけどね(笑)。

どこで誰と演劇をつくっていくのか?

──前向きなコメントをありがとうございました(笑)。でもそういう意味で、今度『カルメギ』と『スーパープレミアム〜』が上演されるというのは、KAATも風通しの良い劇場になりつつあると感じますし、きっとそれらの作品が、今の日本に対する挑発的な刺激をもたらしてくれると信じたいです。最後に、それぞれの作品の見どころを教えていただけますか。

多田:見どころ……。作品自体ももちろんですけど、『カルメギ』の場合はこういう作品がつくれるってこと自体が刺激になってくれるといいですね。それと、日本と韓国のこともそうだけど、支配者と被支配者の関係、国のこと、戦争のこと……を観てもらいたいなっていう想いがあります。

岡田:えーと、『スーパープレミアム〜』はそうですね……。去年つくった『地面と床』みたいな、やーな雰囲気にしたい(笑)。やっぱドイツでは嫌な気分になりました?

──えっ。嫌ってことはないですけど(笑)、ジリジリする、いたたまれない感じはありましたね。岡田さんは「チャラいものをつくりたい」って言ってたし、実際かなり面白可笑しく笑えるんだけど、でもいやこれ笑えないわ……みたいに凍りつく感じも同時にありました。

岡田:内容とかはね、見てくれればわかるので、ここで声を大にしたいのは、役者を見て欲しいっていうことですね。役者のプレイを見に来てください。

多田:ああ、それはそうですね。『カルメギ』も韓国人のプレイを観てほしいな。……岡田さんは演出家としては、日本語を使う俳優とやるところはやっぱりキープしたいと思ってるのか、それとももうそこにはこだわらずにいけばいいと思ってるのか。どっちですか?

岡田:日本語にはこだわりたいですね。僕は日本語が母語だし、日本語のこと好きだし、日本語の俳優で仕事してしみたい人もまだまだいますし。

多田:そうですよね、僕の場合は自分で戯曲を書かないので、韓国語だけで作品をつくるのも結構普通になりつつあって、日本でも韓国でも良い俳優には恵まれてます。韓国には、住んでみたいなとも思ってます。まあ基本的に、仕事があるところに住むというスタンスなんですけども。

──岡田さんも浮遊の果てに、どこを拠点にするかわからないですよね。なんとなく、帽子がスナフキンに見えてきました(笑)。

岡田:二か月もツアーしてると髪が伸び放題でね。帽子ないと困るんですよ。あ、だからスナフキンも帽子かぶってるんじゃないですかね?

──なるほど(笑)。ではお時間なので、この辺りで回線を切りたいと思います。それぞれの上演を楽しみにしています。

多田淳之介 岡田利規 藤原ちから

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