神奈川・立ち呑み文化放談 vol.2 「酩酊と覚醒」
2014.7.1 Text:井上 明子 photo:西野 正将
藤原ちから|Chikara FUJIWARA
編集者、批評家、フリーランサー。BricolaQ主宰。1977年高知市生まれ。12歳で単身上京し、東京で一人暮らしを始める。以後転々とし、出版社勤務の後、フリーに。雑誌「エクス・ポ」、武蔵野美術大学広報誌「mauleaf」、世田谷パブリックシアター「キャロマグ」などの編集を担当。辻本力との共編著に『〈建築〉としてのブックガイド』(明月堂書店)。徳永京子との共著に『演劇最強論』(飛鳥新社)。現在は横浜在住。演劇センターFの立ち上げに関わる。
野口順哉|Junya NOGUCHI
空間現代のギター/ボーカル。
■ 空間現代(kukangendai): 野口 順哉 Junya Noguchi(guiter / vocal)古谷野 慶輔 Keisuke Koyano(bass)山田 英晶 Hideaki Yamada(drums)
2006年、現行メンバー3人によって結成。編集・複製・反復・エラー的な発想で制作された楽曲を、スリーピースパンドの形態で演奏。これによるねじれ、負荷が齎すユーモラスかつストイックなライブパフォーマンスを特徴とする。近年では演奏における一つの試みとして、並走する複数のグルーヴ/曲を行き来しながらも、ライブに流れる時間全体が一つのリズムとして立ち現れてくる様なライブ形態の構築と実践に取り組んでいる。
シリーズ第2回となる今回は、藤原さんの知人でもあり、地点・飴屋法水・大橋可也・ロロらとのジャンルを超えたコラボレーションでもその名を轟かせているスリーピースバンド「空間現代」から野口順哉さん(gt/vo)をゲストにお迎えし、「酩酊と覚醒」をテーマに放談しました。同日収録のため同行していた第1回ゲスト劇団唐組気田睦さん・土屋真衣さんの飛び入り参加もあり、音楽と演劇の視点が交錯するディープな夜になりました。それでは以下本編です。
その前に、乾杯!!
藤原:僕の野口君のイメージは、単に泥酔してるやつ(笑)
野口:笑! 藤原さんの酩酊って僕、まだ見たことないです。
空間現代ってどんなバンド?
藤原:空間現代のライブは3ピースでお互いを見合ってる“三すくみ”の状態から始まりますよね。例えば地点の「ファッツァー」に生演奏で出演したり、今までにいろんな舞台芸術の作家とコラボレーションしているけど、いわゆる劇伴音楽(※伴奏)ではない要素として彼らに求められていますよね。
空間現代の音楽にはその場にある集中力を喚起する力があって、僕はそれが「覚醒」だと思うんです。例えばある演劇作品を観て「あー、泣けるー…」みたいに耽溺する感覚と酔いつぶれて酩酊する感覚は近いと思うんですけど、空間現代には「酔えば酔うほど覚醒する感覚」を感じるんですよね。でも野口君本人は酩酊のイメージが強いので、そのギャップが何なのかずっと気になってた。
野口:実は3人で向き合って演奏するスタイルは酩酊しない工夫でもあるんですよ。人によっては僕らの音楽では踊れないって言う人もいると思うんですけど、僕としては踊れて気持ちよくお酒が呑める音楽をつくっているつもりで、だからこそ自分たちが(音楽に)酩酊したら演奏ができなくなってしまう。「しっかりと酩酊しないでやっていこうや」という意味もこめてあの配置なんですよね。
藤原:なるほど。そこは結構意識してるんだ。
野口:ガチガチに型にはめて「何かに動かされちゃってる」感じの音楽とのつきあい方とか、ライブ演奏のやり方の方が楽しいなって思ったんですよ。
藤原:“型にはめる”って言うと聴いたことのない人は誤解しちゃうかもしれないですけど、既存のバンド音楽の型にはめている要素は全然ないですよね。
野口:そういう意味ではむしろ逆ですね。今言った“型”は、投球フォームみたいな意味あいです。いかに斬新な投げ方を発見したとしても、訓練してしっかりできる所まで落とし込んでから、それをなぞるようにして投げる集中と、即興で新しいフォームで投げる集中とでは全然違う。僕らはまずフォームを自分たちで決めてから、それをなぞろうとする運動がいいと思ってるんですよね。
藤原:参考にした人とかはいるの?
野口:結構いっぱいいる。「パクリじゃん!」みたいなのもある。全然パクれてないんですけど(笑)
藤原:ああ、パクりきれなくて、結果あぁいう風になったと……
野口:うん。でも「それ、おもしろいじゃん」みたいな…(笑)
映像提供:地点
食い逃げ事件発生?!
藤原:ところで、最近の呑みライフはどうですか?
野口:初めて藤原さんと会った時はまだ大学生だったけど、ようやっとあの大学ノリが抜けてきた感がある(笑)
藤原:さすがにね…(笑)
野口:多々失敗を繰り返し、その反動で今は「ちょっと身を固めるか…」ってなってるかも。
藤原:その失敗の現場に何回か立ち会ったことあるよ(笑)
野口:ご迷惑おかけしました…。
ここで ガツ酢みそ が 登場 。
野口:あ、ガツうまい!
藤原:酢味噌もうまい! (カウンターに向かって)「大将、おいしいです!」
大将:あぁ、ありがとうございます(照)
野口:そういえば、この前1人でふくろ(※池袋の大衆居酒屋)に行ってきたんだけど、席について注文してから財布みたら100円しかなくて…。おかげで最初のビールの味はまったく覚えてない(笑)
藤原:笑!
野口:結局たばこ買いにいくふりをしてATMでお金おろそうと思って恐る恐る切り出したら、店のおばちゃんが親切にも徒歩1分のコンビニを紹介してくれちゃったんですよ。でも、そのコンビニは僕の銀行の取り扱いがないの知ってたから、ダッシュで遠いセブンイレブンまで走った(笑)
藤原:あー、あそこのセブンイレブンね。
野口:そう。走ったんだけど余裕で5分以上かかってるから、あまりの遅さに「あいつ食い逃げしたんじゃない?」ってみんなで噂してたみたいで。
藤原:ははは!
野口:だから店の扉をガラっと開けて席に戻ったら、遠くの方で「食い逃げじゃなかったんだね~」って声が聴こえてきて、「あぁ、いじられてたんだな…」ってわかったっていう(笑)一応新品のたばこを手に持ってたんですけどね。
藤原:でも、むしろ期待されてたと思うよ。「あいつ、逃げたぞ!」みたいな(笑)
前に、ある呑み屋のカウンター席で食い逃げの現場に居合わせたことがあったんだけど、突然おじさんがフラ〜って出て行ったかと思ったら、その瞬間に店の婆ちゃんが大声で「食い逃げだー!!!」って叫んだの。
野口:めっちゃ上がりますね、それ(笑)
藤原:そうしたら店の若い衆がバーンってカウンターを飛び越えて追いかけて行って、あっけなく捕まった(笑)
野口:え!捕まったんだ!
藤原:うん。びっくりした。食い逃げ見ちゃったわ…みたいな。
野口:それさっきの話でいくと「いい光景みたな」って感じじゃないですか。
藤原:やっぱりみんなも期待してるじゃん。だから多分野口くんの時も、その場に居合わせた人たちの5分間は楽しかったと思うよ。「あいつ逃げたかな~、どうかな~…」みたいな。
野口:笑
食い逃げは「覚醒」
藤原:食い逃げはさておき、今回のテーマ「酩酊と覚醒」にあわせて言うと、基本酩酊していながらも、その瞬間のお店のお客さんたちは、野口君が戻って来るかどうかということに対してある緊張感と覚醒感を持って観ていたと思う。
野口:なるほどね。藤原さんが言う「覚醒」の意味がだんだんわかってきた。
藤原:でもまぁ、今日は酔い系でいこうよ、酔い系で。僕ね、ぶっちゃけ酩酊モード入ってるから(笑)
※既出ですがこの収録は藤原さんにとってはこの夜2軒目です。
野口:じゃあ、ホッピーに行く。
藤原:3色あるんだよ、白・黒・赤。
野口:じゃあ、赤で。
藤原:すいません、赤ホッピー1セットください!
大将:はーい。
ここで、名物 チーズステーキ が!
野口:え、手で切るの?
藤原:え、まじで? すげー、マスターのこのこだわりが。
野口:固形?これ。 え? あ! わかった、そういうことか!
うんま!!
藤原:これいいねぇ。ピザでもないし。なんだろ、おいしい!!
そして、このチーズステーキをきっかけに、同行していた 劇団唐組(気田睦さん・土屋真衣さん)のお二人が会話に 合流しました。
藤原:僕ね、永遠なんですよ。僕を止めるのは終電しかない。そして終電も僕をとめない…
気田:“線路は続くよどこまでも”だね!
唐十郎 × 空間現代 ?!
藤原:1軒目(第1回)で唐組のお2人に聞き忘れてしまったことは何かと言うと、プロフィールの特技が2人とも「ピアノ」っていうのはどういうこっちゃって思ってたんですよね。
気田:ピアノは習ってたからそこそこ弾けるんですよ。でも演劇をやってる僕からしたら、音楽って言葉も使わずにいきなり胸にくるからずるい、「こんちくしょーっ」て思うんですよね。
藤原:わかるわー、それ(酔ってます)。でもね、演劇と音楽との相性って当然あるでしょ。
土屋:そう思う。戯曲って、なんで「曲」って書くのかを考えたら、音楽と演劇に繋がるものがあるからなのかなと思って。
藤原:譜面と戯曲には、ある指示が書いてあるという意味で、共通するものを感じます。
土屋:割り振られた音の役割があるし、音楽にも演劇と同じようにコミュニケーションがあるじゃないですか。セッションとか。
気田:ジャズなんかが一番わかりやすいですよね。
藤原:今すごい夢想したけど、もしも唐さんと空間現代がミックスされることがあったら観てみたい。さすがにおこがましいかもしれないけど…いや、でもあるんじゃないかな。
唐十郎の土着的なエネルギーは、ある叙情性を孕んでいるとも思うんですけど、例えば叙情性をさらに煽るような歌謡曲とはまた違って、空間現代の「攻める」音楽でそこに挑んだらどうなるのか。ただ抒情的な音楽に酔いしれるということはきっとできない。僕は、酔う=「半身、異世界に身をずらす」ことだと思うんですけど、空間現代の音楽は、物語や空間に酩酊している時に聴くとまたさらに別の異世界に持っていかれるような……
気田:それってすごい。
野口:歌謡曲は特にそうなんですけど、ガーンって“面”で来る感じがあるじゃないですか。ロロの三浦直之君と仕事した時、曲と一緒に不快音を出す場面があって、途中で吉田拓郎の曲を流したんですよ。その時三浦君が「僕が歌謡曲しか使えない理由は“この曲です”っていう額縁を提示することができるから」って言ったんです。つまり僕の解釈で言うと、歌謡曲は“面”でくるから、例えその一部分が削り取られて出されたとしても、聴こえなかった部分も聴いている人がなんとなく想起できるってことだと思うんですよね。
藤原:なるほどね。
野口:でも、同じことを僕らがやろうとした時に難しいのはそこなんです。なかなかうまく面の衝突状態を作れない。それで、異なる曲をコラージュさせたらどうかと考えた。だから最近ライブのやり方は少し変わっていて、曲 A が流れている途中で曲 B の断片を挿入してまた A に戻るってことをやってみてるんだけど、それをやりだした時に意外と歌謡曲とノイズの衝突ばりの、“面”同士の拮抗関係をつくれてるなって思ったんですよね。
音楽と演劇の生(なま)論
藤原:最新アルバムの『LIVE』はまさにそういう拮抗を体現してますよね。空間現代は一見ストイックな奏法をしているように見えるけど、それが舞台と一緒になった時にものすごいコミュニケーション能力を発揮するから、是非みなさんも聴いてほしいです。
。
ここで youtube鑑賞
気田:“崩す”っていうことは意識してたりするんですか。
野口:このまま続けちゃうとこうなるから「ここで脱臼させよう」みたいなのは少なからずある。
気田:予定調和の打破みたいな?
野口:うん。最初はロックバンドとしての既存の曲の書き方をギターとベースとドラムでどうやって崩す?って考えた時、いろいろ実験をしだして方向転換が起きてきた。ちなみに最初からリズムがキーワードだったんですよ。ベースとドラムのリズムは一定なんだけど、ギターだけ全く別の曲を弾いているようにしたり、3人ともがバラバラになったり、2人は一緒で1人だけ違うことをやってみたり。
逆に今度は通底されたリズムを作るようになって、しまいにはむしろわかりやすいダンスミュージックみたいに4つ打ちになっていって…。すべては脱臼させたい欲求からきているんだけど、最近は何が脱臼で何が本筋なのかわからない瞬間がどんどん出てきますね。
気田:“生”(なま=live)ってそういうところがすごい。唐十郎が書いた過去の何十本何百本の戯曲を再演するとなった時、“生”の状態を保つために何をするかっていったら、予定調和じゃない流れの状態を作るわけなんですよね。いわゆる役者が“生”でどこまでいれるか。「あ、そこでしゃんべるんだね」っていうんじゃない状態をまさにリアルにつくっていく。今聴いてて、これって同じなんじゃないかなって思っちゃった。
野口:多分共鳴しているところありますね。
気田:演劇もそうなんですよね。てゆうか演劇は全部そう。
野口:演劇には再演って言葉があるけど、さっきの「楽譜も戯曲もスコア」っていう話でいうと音楽って全部再演じゃないですか。もう6年くらい同じ曲を毎回ライブでやってるバンドなんていくらでもいるわけですよ。再演だからマンネリするっていう考え自体がバンドマンにはない。むしろ久々にやった曲が良かったりするし。だからその点では演劇と音楽は当たり前だけど全然違う。でもその違いを自覚した上で、過去の戯曲を何年か越しで再演した時に、“生”の感じを出すためにどうするかっていう闘いはすごく共鳴する。
気田:演劇はもうちょっと頑張らなきゃいけないんだけど、音楽は直に胸にくるから、音楽家の人は“生”を圧倒的に意識すると思う。
僕はねぇ、悔しいんですよ。なぜならば、音楽は「ドゥーーン」って(胸に)くるから。あと、音楽に観る作業がいらないって意味では一つ省けるんですよね。例えば音楽家が“ラー”って音を出すと「ん”ーー!!(感動)」ってなるのに、俺たちが“ラー”ってしゃべっても何にもならない。まず理解してもらわないといけないから。
野口:でも多分、苦悩しているのは一緒だと思います。だって、人を感動させる“ラ”をだすための努力って、“生(なま)”か“生”じゃないかの話と一緒ですよ。“ラ”をだすってことは一緒なんだけど、聴いてる人に届く“ラ”を出すっていうのはすごく大変な作業ですよね。
気田:そういうことか! うん、すごい作業なんですよ。
演劇の”ざわめき”
野口:僕が藤原さんのブログと佐々木敦さんの紹介で、初めて演劇を観たのがハイバイの「リサイクルショップ『KOBITO』」だったんですけど、やっぱり強烈な嫉妬を覚えましたよ。その時に 7人くらいの役者がみんな違うことをしゃべるっていう同時多発会話を初めて味わったんですよ。それで「これすごいやりたいけどできない…」って思ったんですよね。
演劇は、役者が舞台の上に立って何かをしゃべれば、一人ひとりのセリフが面になる。でも音楽はドラムが1人で何か叩いても、それは面にならない。だから空間現代が同時多発会話をするっていうことはまず不可能だけど、役者がそこにいて全員違う事をしゃべったら、そのざわめきは曲として立ち上がる。
藤原:確かにそうかも。
野口:そういう感じを、曲の生演奏として 3 つの楽器で表現するのはまず難しい。だからすごく嫉妬した。
藤原:自分を消すことと自分を出すこと、その両方が俳優の面白さですよね、きっと。役者さんは自分じゃない人を演じなきゃいけない分、他人に興味を持つだろうけど、同時に「でも自分でしょ」っていう部分を分かちがたく持っていると思うんですよ。
気田:うん、あるある。
藤原:“ざわめき”っていうのはその両方の究極が合わさった状態でもあると思う。
野口:1人の役者さんの中には、役者名と本名と役名のいくつもがあって、例えば3人の役者さんが最近起こった事を同時にしゃべったとしたら、それだけで“ざわめき”になる。
気田:音楽がざわめきを作れないのは、ドレミファソラシドの中にあるっていうことも原因ですか?
野口:というよりかは、耳を持っている人間がいろんな種類の楽器で出された音を聴いた時に、それを一つの音楽にしてしまう働きが強いからという気がする。でも、演劇のセリフは同時に発生するっていうルール一つでバラバラのものをバラバラに聴かせることができる。音楽ではバラバラなことをやっても、どこかで「アンサンブル」というか、一つのものとして捉えちゃうけど、演劇は複数の人が別々のことしゃべったら「あれ? なんか今別々のことしゃべった?」って思う。
気田:そうかそうか、一個にならないんだね。
野口:うん、ならない。役があるから。
気田:そうか、僕難しい話嫌いだけど、すごく興味深い。
酩酊中に現れる『24人のビリーミリガン』
藤原:ここで酩酊と覚醒に戻しましょうか。自分は「出来事が起こる」っていうのが大事だと思っていて、さっきの食い逃げ事件もそうですけど、呑んでると色んな事が起こるんだよね。
野口:重要なのは、酩酊の時に出来事への注意力はゼロだってことなんだよ。今、覚醒の反対語として酩酊を扱っていると思うけど、実は酩酊の感じが未だによくわかってないんだよね。
藤原:ああ……。要は、何か出来事が起きているってことが覚醒だというか。逆に言うと、酩酊っていうのは出来事は起こらない状態。演劇でも音楽のライブでも、一種の陶酔状態がありうるけど、そこでは、僕の考える「出来事」は起こらないというか。ただ自分の好きなものを消費しているような状態にすぎないんじゃないかと。
野口:なるほどね。でもさ、酩酊を悪としてではなく「酩酊もアリだね」みたいな話をした方が面白いと思う。それってすごくない?っていう話もあると思う。
気田:僕は、酔ってる自分が大好き。記憶がないのは申し訳ないと思った時期もあったけど、でももう「いいんです」期に入っちゃった。
野口:その「いいんです」はイコール酩酊中の俺は“俺じゃない”ってこと?
気田:そう考えると辛いから、『24人のビリーミリガン』って本があるけどアレだなと思うようにしてるの。
野口:酩酊の自分もいる、しかし覚醒の自分もいる。
気田:そう。いいのよ、いるんだよ。
野口:どれも俺かもしれないし、どれも俺じゃないかもしれない、もう全員にオッケーを出してる俺が居るっていうことなんですね。
気田:うん。迷惑かけてガッチャガッチャでも、とりあえず人殺してないから大丈夫かなって。
藤原:それはあるかもしれないですね、うん。
覚醒=挑発
野口:話をテーマに戻すと、「酩酊もいいよね?」って言うんだったら酩酊でいいじゃんって言う人も出てくると思う。
藤原:でも、覚醒は絶対必要だと思う。
土屋:私も必要だと思う。覚醒がないとコミュニケーションがとれないもん。
藤原:覚醒っていうのは刺激を与えることだと思うんですよ。それって大事じゃない?って思うの。酔って「なんか楽しかったです〜」みたいな感じには興味ないの。今これだけ酔ってたら、説得力ないけど……
気田:僕は、酩酊状態と覚醒状態と普通の状態があるとして、覚醒を特別な状態としたらそれは酩酊と変わらないと思う。全く信用しないもんそんなの。
藤原:僕は「覚醒が必要」と言いたいだけかもしれないです。空間現代が音楽でやっているのも、ある種の挑発だと思うんですね。音楽の聴取の仕方に対する。耳や頭脳や視界に対する。そういう挑発をやっていくことがアーティストの仕事のひとつだとも僕は思っていて。唐さんの戯曲にもそれはあるはずだし、『特権的肉体論』も、当時の既存の演劇状況に対するある種の挑発だったわけですよね。挑発、と言うと喧嘩売ってるみたいに捉えられてしまうかもしれないけど、それって要するに、目の前に存在している人とのやりとり、コミュニケーションだと思うんです。そこを無視しないっていうか。
野口:うん、もしも挑発が大事じゃないってことになったら、文化的なコミュニケーションが一切ないことになっちゃう。
藤原:そうだね。
野口:つまり、それがない状態が酩酊なわけだ。
僕の解釈でいうと、例えばAというバンドの話で盛り上がって、何も知らない中学生が「Aってなんだ?」ってなった時、「お前、Aも知らないの?」ってことで挑発になると思う。でも僕と藤原さんの関係性において「Aやばいよね」「やばいやばい」で終わっちゃう対談は酩酊だと思うんですよね。
藤原:うん。そんな話は酔いがさめたらナシになるでしょ。そんなことよりもっと中核にいきたい。
野口:なるほど、そうじゃない中核がある。
藤原:あるのかもね。
野口:藤原さんにとっての中核がね。
藤原:うん、あるのかもね。でも、ないのかもしれない・・・(← 酩酊中)
一同:え”ーーーー(笑)
気田:酩酊だ・・・
野口:俺、今完全に覚醒してます(笑)
藤原:…逆襲をくらってる。野口君を酩酊に追い込む予定だったのに…。
一同:笑
野口:俺、今日1軒目だから全然余裕! ちなみにこれって挑発だよね、完全に(笑)
藤原:うん、完全に喰われてる。ヤバい。
土屋:何この弱気な感じは(笑)
藤原:今の現状は、僕7:3で負けてますね。でも僕的には燃える。
土屋:負けてくださいよ、藤原さん。ちゃんと負けて。
気田:いや、でも藤原さんは頑張りたいタイプなんだよ。
野口:そう。受けたいし、技術として受け流したいの。でもまずは受けなきゃみたいな(笑)
藤原:・・・これが酩酊と覚醒なの。だから酩酊と覚醒が実は同時に来るんだよ。これだよ、これ。酩酊と覚醒が同時に来るじゃん!!
(話の途中ですが、これ以上収集がつかなくなったので、ここで写真撮影タイムになりました。)
気田:で? どうなったのこれ。 なんの解決にもなってないけど。
野口:…俺もよくわかってないっス。
藤原:そうだなー・・・
スタッフ:LOVEじゃないの?
藤原:いや、LOVEで片付けちゃだめだと思うんですよ。
野口:でも、手つないじゃってるからね、こっちは。
(仲良く手をつなぐ藤原さんと野口さん)
土屋:なんなの~、もう。
気田:うん、2人が仲がいいっていうのはわかった。
藤原:もうねぇ、野口君大好きなんですよ。
一同:笑!!!
そして2人は、仲良く鹿島田駅へと帰って行きました。
完
ここからはお店の情報です
今回お世話になったのは 「立ち飲み 夢中」
http://tabelog.com/kanagawa/A1405/A140503/14036023/
定休日: 日曜・祝日
住所: 神奈川県川崎市幸区鹿島田1133
電話: 非公開
アクセス: 鹿島田駅から徒歩2分
営業時間: 17:00-24:00 ※ 夜10時以降入店可
そして、今回いただいたお料理はこちら。
オススメは、
> 次回もお楽しみに!
《告知》
■ 藤原ちからさんが作・演出・編集を手がける、京浜急行線の南半分を舞台にしたロールプレイング演劇
〈このイベントは終了しました。〉
「blanClass × 演劇センターF 共催企画 遊歩演劇|BricolaQ [演劇クエスト・京急文月編]」
7.12(土)13:00開場 13:30開演
※井土ヶ谷のblanClassに集合。三浦半島各地を移動するツアー型パフォーマンス
■ 空間現代のLIVE
〈このイベントは終了しました。〉
「空間現代 × 地点」 9.1(月) 18:30開場 19:00開演 @Super Delux