【日常/オフレコ展連動企画】 青田 真也 × 八木 良太 クロスインタビュー
Text by : akiko inoue Photography by : Masanobu Nishino
2014.1.11(土)~1.30(木)にKAAT神奈川芸術劇場 中スタジオにて開催の「日常/オフレコ」展参加作家によるクロスインタビュー。今回は、あらゆるモノの表面を削り、アート作品に変容させる美術作家・青田真也さんと、サウンド・映像を巧に駆使したインスタレーションで評価が高い八木良太さんのお二人に、展覧会をきっかけにお互いに気になっていることを質問しあっていただきました。
■八木良太から青田真也への質問
八木良太(以下Y):僕が青田さんに質問してみたいのは、版画表現のうちの一つとして、作品をつくられている感覚があるかどうかなんですけど。
青田真也(以下A):そんなに意識はしてないです。でも、版画っぽいねって言われることはすごく多い。大量につくられたものとか、イメージが定着しているものを使うっていうのは自分の中で重要なのかなと思っています。
Y:それって、版画っていうものの一つの特徴ですよね。
A:そうですね。小さいころはキャラクターものとかがすごい好きで集めてて、今でも割とそういうの好きだったりします。
Y:じゃあ家にもフィギュアとかがいっぱいあるんですか?
A:いや、そうでもないんですけど、そういうののイメージを引用して使ったりとかはあります。
Y:青田さんの作品において、”イメージ”とか”表面”というワードがすごく印象的なんですけど ”中身”についてはどう思いますか?削りだした物の表面以外の部分。
A:そっちにも興味はあります。まだ全然言葉にならないんですけど、なんかボテっとした感じが好みなんです。そういうのって自分では結構感覚でやってるところで…。以前、美術手帳にジブリの特集があったんですが、そこに「ジブリはデロリ感(デロっとした感じ)」っていうのが書いてあって、僕の作品がもってるそういう部分とはちょっと違うかもしれないんですけど、ナウシカの巨神兵のとことか、そういうデロリとした感じに惹かれたりします。
Y:言ってるイメージよくわかる気がします。デロリ感。青田さんの中で平行して走ってる二つの層があって、表面は割とコンセプチャルで、中はすごくデロっとしている感覚的なフォルムだってことですね。
A:そうですね、両方あるというか…。でも、作品をつくる上で感覚的につくるっていう部分は継続していて、どういう風にそれを見せるかとか、どういう物をもってくるかとかは、場所に応じて変えたりすることがあります。
Y:僕は、作品つくるときに、自分自身が驚きとか発見があることを楽しみに制作してるところはあるんですよ。青田さんは、削ってて発見する面白みとかってありますか?
A:結構地味な作業なんで、苦痛は苦痛なんですよ(笑)
Y:そっか、変化自体が急激に現れるわけじゃなくて徐々に出てくるから。
A:そうなんです。でも、その作業がマラソンに似てて、しんどいのに気持ちよくなってくる瞬間とかがあって(笑)。例えば、流れ作業のバイトをしたときに、考えなくても作業できるようになったときに、すごい変な感覚を味わったりするのにも似ています。
Y:うーん、なんて言うんだろうね、ランナーズハイじゃなくて…
A:笑
Y:でも多分青田さんは、身体を使っていると思うんですよ。今も、オフレコ展に出品予定のグランドピアノを削っているじゃないですか。ある種の脳内麻薬のようなものが出てきますよね…すごくよくわかります。僕は段ボール切る時がそうなんです。美術をやってるとやたら段ボールが増えるじゃないですか。うちは古紙回収がこないので、燃えるゴミの日にまとめてそれを切るんです。ちなみに、家ではそれを”薪割り”って言ってるんですけど、ひたすらカッターナイフである程度の小さいサイズに段ボールを切っていって、それをどんどん積み重ねてゴミ袋にいれる。その作業をしている時は割と夢中に、何も考えずにやってます。
A:制作している時には、そういう気持ちになったりしますか?
Y:僕は制作している時にそういう欲求がおこらないんです。”薪割り”とかもそうだけど、淡々と何も考えずに行為だけをするっていうのは美しいなって思うところはあるんですよね。頭に何も考えずに運転するっていう意味ではドライブも似てるよね。
A:あー、確かに。僕も、何か考え事するときは自転車で走ったりします。
Y:うんうん。僕の場合には身体性が作品には結びつかないところがあって、「作品作るぞ」っていうときには、買い物か、図面ひくとかのパソコン作業が多いです
A:買い物とかはアイデアがおりてきますか?
Y:買い物自体が目的になる場合と、素材探しが目的になる場合の2種類があって、以前にホームセンターによく行くって話をしてましたけど、僕も小さい頃からよく行っています。ホームセンターのような雑多な空間の中でモノを観てるとアイデアが湧くていうのはありますよね。
A:八木さんの作品によく使われているレコードはどこで手に入れるんですか?
Y:京都の中古レコード屋さんです。ひたすらレコードを引っ張りだして、中身を出してレーベルの色を確認するんです。そして家に帰って、それをジャケットはジャケット、レコードはレコードっていう感じで素材として分類するんです。あとあと、レコードを聴いてみたら「あ、こんないい曲だったんだ!」っていうのはありますね。レコードの探し方も完全に目が素材探しになってしまっているので、価値があるとかないとかよりも、レーベルの色が何色かという感じで観てしまって…
A:笑!その時って、レコード屋ではこのレコードをどうしようっていう目的をもって観ているんですか?
Y:あ、それはやっぱりさっきの買い物ですよね。考え事しにレコード屋に行くんじゃなくて、
A:目的があって行く。
Y:うん。でも、考え事しに買いものに行ったところでアイデア自体が出て来ることってほとんどないんですけど。それこそ段ボール切ってる時とか、ドライブしてる時とか、人としゃべってる時とか、全然関係ないことをしている時に「あ、こないだのあそこのホームセンターで観たあれとこれとがくっついたら面白そうだな…」っていうのがふって思いついたりとか。買い物は必要な作業ではあるけど、その時には何も生まないというか…
A:なるほど。
Y:青田さんは作品に使っている素材はどうやって入手してるんですか?
A:僕は、貰ったりとかもよくしてて。木彫りの熊とかも三体ぐらいもらってます(笑)。でも一度作品にしているので同じ作業はやりたくないなっていうのはあるんですけど。
Y:常に別のモチーフでやるほうがいいですか。
A:そうですね。作業なのでやっぱり、しんどくなっちゃうから。
Y:洗剤のボトルであったりとか、熊であったりとか、素材を選ぶ基準は何かありますか?
A:単純に、アイコンがしっかりしているものですね。あと、さっきも言っていた、感覚でもっていくほうにのっかるのか、のっからないのかっていうのももちろんあります。余談ですが、洗剤ボトルは商品として売られるものだから、ものすごいしっかり作られていますね。海外に遊びに行った友達が何本も買って来てくれたり、自分でも買ったりで、すごく集まってきます。
Y:人からもらったもので作品を作ることに対しては抵抗ってありますか?
A:あ、全然大丈夫です。
Y:人によって多分違うと思うんですけど、金氏さんが横浜美術館で展示していた時に、学芸室の前に”作品の制作に使えそうな物があったら入れてください”っていう素材ボックスを置いていたんです。でも全然ほしいものが集まらないっていうのは言っていましたね。僕らが金氏さんにはこれが合うんだろうなって思っていた物が、本人にしてみたら全然違う。つまりそれは、同じ事をやろうとしても、その人のルールはわかるけどその人自身にはなれないっていうことのような気もして。だから多分その辺の判断っていうのは、青田さん自身が厳密にジャッジしてるんじゃないかなって思ったりしてるんですよ。
A:あ、そっか、そういわれるとそうかもしれない。
Y:今回グランドピアノを削る新作を発表するとのことですが、ピアノっていうモチーフはどこからきたんですか?
A:一番はじめのきっかけとしては、開催場所がKAAT神奈川芸術劇場ということに決まって(注:神奈川県民ホールギャラリーの企画展だが建物の改修工事と重なったため、今回はKAAT神奈川芸術劇場に会場を移して開催する)、スタジオの写真を観た時が、ちょうどプランを考えようと思ってた時だったんです。劇場空間にもともとピアノがあるのに、そこに別の物をもってきても仕方ないなって思ったのが最初のきっかけで、あとは、どういう風になるんだろうなっていうのが想像できないところも、おもしろいなって思って。
Y:実際に音をならしてみるのは、展覧会はじまる直前までできないんですよね?
A:できないんですよ。。。笑 でも、正直自分でプラン出したものの、渋ってたところもあったんですよね。作業的にも予算的にも厳しいんじゃないかっていうのもあるし…。
Y:でも、気乗りしないくらいの方がいいものができるような気がするんですよね。感覚的に抵抗があるものを受け入れられるかっていうのは、制作においてすごく大事な気がしていて。人から言われて「じゃあ、まぁやってみるか」みたいな感覚でつくったほうがいい物ができる気がするんですよね。モチーフを選ぶっていう行為も、ある種自分の一つの作家性みたいなものがそこで生まれては来るんですけど、続けることによってそれだけだと広がりがなくなってくるところもあると思うんです。
A:そうなんです、そうなんです!だから中野さん(注:神奈川県民ホールギャラリーキュレーター 中野仁詞さん)に「ピアノを使いたい」って言ったら結構食いついて、「やろうよ!」って言ってくれたので、単純に作り終わった後の保管場所の問題とかもありますけど、例えば県民ホールの芸術総監督でもある一柳慧さんとが弾いてくれたりしたらそれはそれで嬉しいなと思ったり…。ピアノっていうモチーフは、そういう風にいろんな人が関われたりするんじゃないかなっていうのをしっかり考え直したときに、これで今回がんばってみようと思えたんです。
■青田真也から八木良太への質問
A:今度は僕から八木さんに聞いてみたいんですけど、作品のコンセプトみたいなものについて、八木さんが「物としてきれいなもの」っていう話をしてたじゃないですか。
Y:そうですね。音は関わるにしても、最初にやっぱりビジュアルイメージとして出来上がることの方が多いので、その点で僕は音楽家ではないと思うんですね。だから、例えばターンテーブルを使ってろくろをするっていう作品(《Portamento》2006年)にしても、最初にあのイメージがバーンってあるんですね。レコードの中心に陶器があって、それができるまでのプロセスが見えたら面白いだろうなっていうところからはじまるんですね。そのときには正直なところコンセプトも何もないんですけど、あとからできたものについて考えるっていうのが僕は正しいやり方だと思っているんです。最初から道筋をたてるってことは、道すじから逃れられなくなってしまうということと同じなので、できるだけ変化に柔軟に対応できるようにするには、やっぱり手を動かすっていうのがいいんでしょうね、きっと。手を動かしていたら思いもよらない予想外のことが起こったりして、そっちに流れていっちゃったりすることもできるんで。逆に、計画たててたら、そっちの理想に近づいて行かなきゃいけない気がして。
A:今回のオフレコ展に出品予定の新作で、ソノシート(注:フランスのS.A.I.P.というメーカーで開発された、きわめて薄いレコード盤)のスライドにしたやつとかもそうですけど、八木さんの作品は物としてもすごくきれいだと思えるし、そもそもスライドになってるのがすごいかっこいいなぁと思って。
Y:それはその物自体の美しさがあるので、要はチョイスの問題なんですよね。何と何を組み合わせるかというだけのことで、実はあまり物に手を加えている訳ではないじゃないですか。
A:なんか、八木さんのそこ、やっぱり僕の話ともちょっとリンクするのかなと思うんですけど、すごいこだわりが見えるというか。
Y:普通のビデオプロジェクターじゃだめで、なんでスライドがいいのかっていうのは、僕もすごく言葉にしづらいところで、難しい質問ですね…。
A:テープの作品(注:《sound sphere》2011年)も物としてすごいキレイですよね。
Y:かといって自分が形をつくりあげた訳じゃなく、球体は球体じゃないですか。多分ボーリングの玉と二つならべてもそんなに違いがわからないと思うんですよ。それがきれいと受け取れるかという話になってくると、結局やってる行為と結びつかないとあまり意味がないのかなという気がして。さっき、単純にビジュアルがいいっていうのは、あくまでもできあがったものがこういう仕組みの上で成り立って、この形ならきれいだという意味合いのことだったので、そういう機能性を抜きにして形だけで勝負するっていうのは多分無理なんだろうという気がします。
A:なんか、僕はすごい結びついてる気がして…。
Y:もしかしたら、デザイン的な編集の視点なんじゃないですか?例えば、間隔の取り方とか余白をどれだけ取り込むか…とかの見せ方の問題であって、出している物はすごくそれ単体で観ると・・・。
例えば傘の柄を使ってる作品(注:《rainyday music》2005年)だって、傘の柄はとりたてて特別なものではないけど、なんかすごく形が美しく見えたりするっていう…。
A:だから作品をどういう風につくっているのかと結びついて、そういうふうに見えるんですかね。
Y:そうですね、僕は、最終的な仕上げの部分に結構気をつかってるところはありますね。例えば玉の装置のプレーヤーの見え方とか、端に出てるアルミニウム以外の木枠の部分が何ミリ出てるかとか。作品をつくるときに、額装ってすごく大事じゃないですか。どっちかっていうと僕は中身よりも額の方が気になってて、フレームがどれだけの厚みがあって奥行きがどれだけあるかっていうことを考えているほうが、作品それ自体をつくることよりも楽しいし、作品そのものじゃなくって、それを演出とか編集することの方が好きなんだろうなと思います。それは多分自分が勉強してきた上で成り立っていると思うんですけど。
■最後に、オフレコ展を観に来てくれるお客さんに対してメッセージをお願いします
Y:それってすごく難しいですよね…。もちろんたくさんの人に観てもらいたいし…でもそれって割と政治的な理由だったり経済的な理由だったりするのかもしれない…。作家は作品を観てもらいたいから制作してるのかって言われたら、僕はそうでもない気がしてるんですね。
A:笑!
Y:主催者側からしたら、展覧会の動員ってすごい大事なことじゃないですか。でも、作家って人に観にきてもらいたい欲求ってすごく少なくないですか?僕は、知り合いにも自分が作ったものを観られるのはすごく恥ずかしいっていうのがあって…。
A:でもその気持ち、すごいあります。
Y:だから、「展覧会観に行けなくてごめん」とか言われても「いいよ、いいよ」ってなっちゃうんです。そこで、「なんで観に来てくれんかった」っていう風には言えないですね。そのくせ、呑み会をすっぽかされたときには怒るくせに…。
A:でも、僕は半々くらいですね。まぁ恥ずかしいっていう気持ちもありますし、でも、自分が観たいっていうのが一番先にあるというか…。
Y:そうですよね。それで、やっぱり一緒にやっている人に喜んでもらいたいっていうのがあって…。
A:そうですね。
Y:だから、僕の中での社会は、まだそれより外に広がっていないっていうところにあるのが、まだまだなんだと思うんですけど。
A:でも八木さんがさっき言ったように、「展覧会きてくださいね」っていうのはなんとなく言っちゃうというか…(笑)
Y:でも、やっぱりやるからには面白い物を見せたいという気持ちはあるし、来て、観て、喜んでもらいたいという気持ちももちろんあります。展覧会にきてくれるお客さんに対して僕からの要求で言うと、展覧会に来て、自分の生活に照らし合わせて、とにかく何かを考えてもらいたい。美術っていうのは役に立たないものではないと思うんですよね。日常生活でも役に立つことになり得ると思う。でも、ちゃんと考えないとうまく使えないのが美術のような気がしていて。だから、観て楽しい、とかその瞬間だけで帰るのではなくて、展示を観た後に、しっかりとそれがなんであったかをつくった人以上に考えることが大事だと思います。だから美術は勉強です。
A:展示以外にも、リーディングとか音楽とか、パフォーマンスがたくさんあるみたいなので、そういうところも僕も楽しみにしています。あと、カタログもいい物ができるみたいだし…。そういうのもセットで楽しんでもらえたら嬉しいです。
Y:カタログは残るものとしてあるけど、展覧会は会期が終わったらもう観れないものなので、そういう意味ではおもしろい展示が観れるということを逃さないで欲しいなと思います。