神奈川・立ち呑み文化放談 Vol.7 「人生と冒険」
Text:井上 明子 Photo:西野 正将 2015.11.11公開
藤原ちから| Chikara FUJIWARA
編集者、批評家、BricolaQ主宰。1977年高知市生まれ。12歳で単身上京し、東京で一人暮らしを始める。以後転々とし、出版社勤務の後、フリーに。武蔵野美術大学広報誌「mauleaf」、世田谷パブリックシアター「キャロマグ」などの編集を担当。辻本力との共編著に『〈建築〉としてのブックガイド』(明月堂書店)。徳永京子との共著に『演劇最強論』(飛鳥新社)。現在は横浜在住。演劇センターFのメンバー。また、ゲームブックを手に都市や半島を遊歩する『演劇クエスト』を各地で創作している。
山内 健司|Kenji YAMAUCHI
俳優。国際基督教大学在学中に劇団青年団に参加、90年代にはじまる「現代口語演劇」の創成に大きく関わる。代表作『東京ノート』はこれまでに15カ国24都市で上演される。フランス、韓国との国際共同制作に多数参加。演劇を劇場の中だけのものとしない多彩な活動を展開。ワークショップなども積極的に行っている。平成22年度文化庁文化交流使として全編仏語一人芝居をヨーロッパ各地の小学校で単身上演。
本編収録前に野毛のまちを散歩してきました! その映像はこちらから。
「夜の野毛散歩」(出演:藤原ちから、山内健司 協力:ホッピー仙人)
藤原ちから(以下 藤原):この店の注文は、山内さんに全部お任せします!
山内健司(以下 山内):えー!
・・・じゃあ、金宮ボトルを頼んで、好きなので割る感じでいきますか。
と、いうことで・・・・
この店にも頻繁に訪れるという山内さんが、豊富なメニューの中からいつものメニューをひと通り注文。
藤原:見事な注文ぶりで(笑)
山内:いやぁ、いつも頼んでるやつばっかり頼んじゃったよ(笑)
テーブルへついたところで、とりあえず 乾杯!
2人とも黒ホッピーからスタートの様子。
取材当日はあいにくの雨。いつも混み合う店内を避け、収録は外のテーブルをお借りしたのですが・・・
山内:アウトドアだな~
藤原:今日のテーマ「人生と冒険」には、ふさわしいシチュエーションなのかなぁと…(笑)
なんで「冒険」というテーマを設定したかというと、山内さんが山登りをされるっていうのもあるんですけど、海外でも演劇をされたり、若手演出家と組んで作品をつくったりっていう、芸術的な「冒険」をされてきたと思うんですね。あとは、見知らぬ呑み屋のドアをあける、みたいな日常の些細な冒険も含めて(笑)、山内さんに対する僕の印象が、「冒険をしている人」だったからなんですよ。
山内:そんなことないよ、普通だよ(笑)
藤原:何はともあれ、今日はどこまで呑めるか、冒険してみましょう……(笑)いや、普通じゃないと思います。
平田オリザとの出会いー部室の扉をあけたら平田オリザがいた
藤原:山内さんは平田オリザさんが立ち上げた当初から青年団に所属されていますよね。オリザさんとの出会いはどんなだったんですか?
山内:僕は小学生の頃から親の影響で山登りをしていて、大学に入ったら絶対山岳部に入るんだって感じだったんだけど山岳部がなかった。そいで唯一あったワンダーフォーゲル部に入ったんですよ。入学式の翌日、部室の扉をあけたら、そこに平田オリザがいたっていう感じですね。
藤原:ワンダーフォーゲル部に??
山内:そう。ちょうど世界一周して『十六歳のオリザ』って長いタイトルの本(『十六歳のオリザの未だかつてためしのない勇気が到達した最後の点と、到達しえた極限とを明らかにして、上々の首尾にいたった世界一周自転車旅行の冒険をしるす本』)を出した直後だったんですよね。
藤原:部活の1コ上の先輩に平田オリザがいるっていう感覚を、僕は全然想像できないんですけど…実際どんな感じだったんですか?
山内:まぁ、変わった人ですよね(笑)
その頃の話はオリザの『地図を創る旅―青年団と私の履歴書』っていう本に詳しく書いてあるんだけど、学生時代は三鷹のペンギン村っていう、今でいうシェアハウスみたいなところにみんなでビールを持って集まることが多くて、そこで、「コイツさぁ、世界一周したんだよ」って別の先輩に言われたのを覚えてるなぁ。「なーに言ってんですか」って言ったら「ほんとほんと、あそこに本があるから」って言われて見てみたら、黒い本棚に赤い背表紙のその本があって、なんだこれは!って思ったのが始まりですね。
藤原:へ~!! それで大学卒業後も、この人と一緒にやっていこうと思ったのはどうしてですか?
山内:もちろんオリザに対する敬意はあったけど、この人と一緒にやっていこうっていうよりかは、大学を卒業する時に、4年間やってきたことを単なる思い出にしたくないっていう気持ちと、僕たちがやっている演劇を自分の人生の真ん中に置けないものかっていうような意識のほうが大きかったかもしれないね。
藤原:青年団の演劇は、「現代口語演劇」や「静かな演劇」と呼ばれてきましたけど、そのスタイルが確立する以前から山内さんたちはずっと一緒にやってきたわけですよね。
山内:当時は、夢の遊眠社と劇団第三舞台全盛の時代だったんだけど、僕たちが現代口語演劇ということをやりだしたのは、大学を卒業して1~2年経った頃からだったかな。野田秀樹さんや鴻上尚史さんたちとは別にどうやったらやっていけるかということで考えたのが最初だよね。この時期については、語ることはいろいろあるけど、当時は不安よりは楽しみの方が多かったです。
藤原:青年団草創期のマインドをお聞きできるのは、興奮しますね……。青年団の歴史があると思うし。
山内:オリザは19歳の時から明快でしたから(笑)
藤原:その頃からあの明快さなんですか?
山内:不条理なくらい明快でしたね(笑)
「世の中もっと複雑だろ!なんでそんなに明快なものの言い方をするんだ!」みたいに、僕よく怒ってましたね。
藤原:あはは。でも、山内さんのその闘いは、あの明快さの前には若干不利ですよね(笑)
山内:多分彼はちからさんと似ていると思うんだよね。僕はもうちょっとお坊ちゃんだから、議論は勝たなきゃいけないっていうミッションはわからないんだけどね(笑)
藤原:や、僕は単に育ちが悪いんですよ。
山内:彼もきっと、そういうような言い方をするでしょう(笑)
藤原:なるほど…(笑)
山内:でも、確かに青年団みたいに、学生時代からずっと続いている劇団って、東京では少ないかもしれないね。
ここで、皿焼きレバーが登場。
店内備え付けのバーナーで炙ってからいただきます。
若手とのコラボレーションーついに「青年」が現れた?!
藤原:僕が山内さんと初めてお話したのは、神里雄大さんが演出した2009年の『昏睡』だったと思うんですけど、あれの舞台を観た時に、「なんなんだこの人は!」と思って。その頃僕は、若い世代の演劇人とは交流があったけど、まだ批評家としての活動を本格化する前だったし、山内さんの世代の演劇人が何を考えて、どういう身体を舞台で示すか、ということについて真剣に考えたことがなかったので、とにかくギョギョっ!てなったんです。
山内:へ~(笑)
藤原:結局山内さんは、その後もマームとジプシーの藤田貴大さんとか、ままごとの柴幸男さんとか、いろんな若い世代の人と一緒にやってきたわけですけど、それは、「守りの姿勢」では到底できないことだと思うんですよ。若い人と一緒に演劇をつくっている時の山内さんを観ていて思うのは、真剣なんだけど、その機会をすごくいい意味で「遊んでる」なっていう感覚も同時に受けるんです。
山内:でもね、やっぱり歳をとって色んなスペックは落ちるよね…。
例えば女優の青柳いづみさんが、2回口ずさんだらもう台詞を覚えているとか、そういうのを目の当たりにして、スペックが落ちちゃうのは残念なことなんだけど、じゃあ、今の自分がその人たちとどうやって遊んだらいいんだろうってことはずっと考えてますよ。
藤原:山内さんは、どうして若い演劇人のことが気になるんですか?
山内:なんでですかねぇ…。
一つは、世代的に物怖じしない彼らの魅力っていうのがあると思うんだよね。
僕自身は上の世代からの圧力を物凄く感じてきたんですよ。就職しなきゃ社会の一員として認められないとかね。だって、僕らの世代は子供ができることはお芝居を辞めることと同義だと思っていましたもん。でも10個位下の後輩たちからどんどん子供をつくっていって、あれ?どういうこと?ってなって…(笑)
藤原:当時は「みんな死ぬまで一緒に行くぞ!」みたいな圧力があったんですかね。
山内:そうそう、この日本社会は絶対なんだってね。
でも、今の30歳前後の人たちは、そういう権威的なものからすごく自由になっている感じを受けるんだよね。ちょうど内田樹さんがブログに「青年の文章」というのを書かれていて、その中で、内田さんは建築家の光嶋裕介さんとの対話を通して “日本に何十年ぶりかに青年がうまれた” ということを実感されていたんだけど、僕も今の30歳前後の演劇人にそのことを感じるんだよね。僕たちがなることができなかった「青年」というものがついに現れたという感覚。その感覚が、今彼らと一緒にやっている一番の理由ですね。
藤原:でも、若い人を育てるって、口で言うのは簡単だけど実際はすごく難しいことでもあるじゃないですか。山内さんも学校で教えていらっしゃいますけど、その辺についてはどうですか。
山内:まずね、僕は俳優としての立場では、師弟関係を結んで教えることはあまりないんですよ。
歳をとればとるほど年齢・キャリア・男女差とかっていうハラスメントの前提条件になっちゃうような力関係は積み重なっていくわけでしょ。そういう中で、俳優っていうのはそれをできるだけなくさないといけないわけですよ。
藤原:あ~、すごくいい話ですね、それ……
山内:いい仕事している俳優さんっていうのは、初対面で目線を同じにできる力を持っていると思うんですね。
この競争社会でさ、100人生徒がいたとして、20代で20人、30代で10人、40代で5人が残ったとするよね。じゃあ残りの95人はどうなるの?っていうことを学校では常に意識しているんだよね。だから僕を嫌いになってもいいけど、演劇を嫌いにならないでほしい、演劇ってもっとでかいよっていうミッションがある。
平田オリザが、桜美林大学で演劇を教える時に、リベラルアーツっていうやり方がいいと言ったんだけど、僕もそれは正しいと思っていて…。
藤原:その辺り、もう少し詳しく聞きたいですね。
山内:僕は映画美学校でも教えているんだけど、そこは俳優が、なんというか圧倒的にうまくなることを目的とした場所なので、トレーニングで生徒を高めていかないといけないわけですよ。だからどうしても、僕が圧力をかけることになる。つまり、圧かけちゃうと彼らと一緒に遊べなくなっちゃうわけですよね。だってヤじゃん相手役に自分の演技に徹底的にどうこういわれた関係とか。でも、そういう力関係を甘んじて受け容れてでもやりたいことも、今の僕は持っているんだよね…。
藤原:なるほど。今のお話を聞いて、僕の中で最近もモヤモヤしていたことがちょっとクリアになった気がします。僕もそういうジレンマを抱えていて。ほんとはもっと遊びたいのに、力関係が生まれちゃうのがなあ……っていう。
山内:だからリベラルアーツって言った方がいいんですよ。
藤原:ちなみに、桜美林大学が提唱しているリベラルアーツってどういうことですか?
山内:人生を豊かにするもの。学問とか先人に対しての敬意っていうのが一番近いような気がしますね。つまり、演劇ってすげーんだぞ、と。盲信ではなくて敬意ね。
藤原:なるほど、敬意による豊かさ。
山内:俳優としては、お互いがハイパフォーマンスをするために、少なくとも力関係の強い側が、それに気付かなくてはいけない。現場でこちらが力関係を行使してしまった瞬間、生々しい人と人との遊びからは遠のいてしまうと思ってますね。
藤原:とてもよくわかりました。自分が今一番聴きたかった秘密を聴けた気がします。
山内:でも、こっちが遊んでるつもりでも、だいたい向こうは先輩扱いしてるんですよね。そういうもんですよ(笑)
山内さんと横浜ーなぜ、横浜に物や人が集積していくのか…?
藤原:象の鼻テラスで柴幸男さんたちが「シアターゾウノハナ」という企画をここ数年展開していて、「演劇とすれ違う」というコンセプトで彼らは劇場の外に出ていったわけですよね。山内さんもそのメンバーとして参加されて、「聴くだけ!3分旅行」をつくっている。まあ、実際は全然3分じゃないんだけど…(笑)
※「シアターゾウノハナ」についてはSYNODOSのこちらの記事もご参考に!
「演劇とすれ違う」その先に――劇団ままごと「シアターゾウノハナ」
山内:うん、10分ね(笑)
藤原:僕も近年「演劇クエスト」で外に出るプロジェクトをつくっているんですけど、そういう観点からすると、横浜はおもしろいところだと思うんですよね。
山内:横浜のどんなところがおもしろいと思う?
藤原:それは逆質問したいですね(笑)
山内:僕は、地形だね。
藤原:その心は?
山内:三角州。
藤原:つまり吉田新田?
※吉田新田:今の横浜市中区および南区にかかる地域に開墾された新田。この地域は北側に野毛山、南側に山手の洪積台地に挟まれた谷戸状の地形で、縄文時代に発生した海水面上昇によって溺れ谷となった入江の湾口に、横浜村、野毛村といった村落が形成されていたが、より広い田地を求めて、江戸時代に吉田勘兵衛が幕府の許可を得て新田を開墾した。
山内:うん。
横浜は日本のおもて玄関みたいな時代があったり、米軍に接収された時代があったりと遷り変わってきた街だけど、僕は、なぜここに人が集まりここで年老いていくのかということをずっと考えているんだよね。でも、こうやって野毛と山手の山に囲われているこの空間、こっち斜めに塞がれててこっち世界に開かれてる、この地形が及ぼす心理作用って大きいんじゃないかなと思っていて…。
でもさ、そうやって横浜に物や人が集積していくのはなんでなんだろうね。東京にはそんな場所ないじゃん。
藤原:なんででしょうね。
山内:自分は演劇で考えちゃうんで、どうしても「場所」「人」「劇」っていう3つが気になっちゃうから、そういうものを意識させてくれるようなところに、ふらふらっと寄って行っちゃうんだよね。
藤原:例えば今「人」だったら具体的に誰が気になりますか?
山内:あの、「人」って、同じ場所に集う人たちが、ほんと具体的にどんな人たちか、それをちゃんと感じられるかってことなんです。で、象の鼻テラスの「シアターゾウノハナ」の関係で、横浜のリサーチを結構やってきたんですけど、結局横浜って横浜大空襲と関東大震災で壊滅してしまってるので、過去に遡れないんですよ。ある種、切断された感じがある。歴史はあるんだけど切断されてるっていうのも横浜の特徴の一つだよね。
藤原:確かに開港以後の歴史に偏ってしまいますよね。
山内:そう、市立図書館や開港記念館にも、開港以前の横浜村の資料はほとんどなかったね。だから、民俗学や考現学のような方向を探ってみたり、路上観察もやっているんだけど、もう路上にもその痕跡は残っていないわけだよね。でも、地形だったら過去にアクセスできるって、これってすごくないですか。
藤原:山内さんのその「過去にアクセスしたい」っていう欲望はどこからくるんですか?
山内:場所性ですね。そこに積もった記憶とか、過去の人の感覚に想いを馳せるとかかもしれない。
物にも場所にも人が関わった痕跡があって、もちろんこのテーブルにも誰かがヤスリをかけた痕跡があるわけです。100年以上前のものが普通に現代に残っている場所もあるけど、横浜は江戸時代以前の、人が関わった痕跡が極端に少ない土地ですよね。僕、「場所」の埋め立て問題って呼んでるんですけど、演劇でいえば今の劇場は過去の痕跡が消された、埋め立てられたような場所にあることが多いんですよ。だから、ここがどこだかわからない感じになってるの。そういう埋め立てられた劇場、埋め立てられた町から私たちに出演依頼がくるわけですよ。そうした時に、自分がその場所性にどうアクセスすればいいのかっていうことを考えてしまうんだよね。
藤原:痕跡は消されますよね…。
あ、美味しい。これなんでしたっけ?
山内:リブ芯。すごいおいしいんだよね、これ。
遅い時間にいくと売り切れてしまうことも多いリブ芯
淵を越える、境界を越える、冒険する
藤原:このあいだ多摩ニュータウンに行ってきたんですけど、まさにニュータウンで、めまいがしました。
山内:あそこはこういう呑み屋が全然ないよね。
でも、橋本駅ってわかります?京王線が通って全然雰囲気は変わっちゃったんだけど、京王クラウン街の中にわざわざ立ち呑み屋をつくってるんですよね。あれには感動しちゃって。
藤原:へ~。
山内さんみたいに劇場の外にも出ていくアーティストが、多摩センターみたいなニュータウンをどうとらえるかは気になりますね。
山内:うーん…。場所にもよるけど、団地っていうのは、例えばやくざがいたり、生活保護の人がいたり、孤独死しちゃう人がいたり、団地の内部に暗部を抱えているじゃない。そのことに関して、僕は逆に希望を持ってるんだよね。
藤原:団地の暗部か……。港北ニュータウンとかはまだちょっとそれ、ある気がします。暗部がない町っていうのはキツいのかもしれませんね。僕が横浜に引っ越してきたのも、暗部があるからだったりするし。
山内:一つ仮説をたてるとすると、港北はまだ地形を残してるけど、多摩ニュータウンは極端に整地された場所ですよね。地形をとどめないくらい埋め立てられたというか。中国が遠方の異民族を南蛮とか西戎と言って極端に排除して外部をつくっていったことに少し似ているかもしれないけど、多摩ニュータウンには、はっきりと「淵」という暗部があると思うんだよね。
藤原:そういえば先日、城崎国際アートセンターで「演劇クエスト」の滞在制作をした時に、城崎の温泉街から一つ峠を越えたところにある桃島という土地に行ってみたんですよ。そこがすごかったですね。山内さんが行ったら絶対ギャーってなる(笑)
そこに、見捨てられた農民の恨みの石碑があって「後世の歴史家の批判を待つ」みたいな文言が書かれているんです。でもそのことはもうすでにかなり忘れ去られてしまっていた。淵を越える、境界を越えるということによって、別の何かが見えてくるということがあるのかも。それが「冒険」じゃないかなと。
山内:うん。多摩ニュータウンの子供たちは、自転車に乗って多分その淵にも行くと思うよ。そしてそれは素晴らしいことだよね。
藤原:うん、そうですね。淵を越えて、冒険したいってやっぱり思いますね…。
完
ここからはお店の情報です
本日いただいたメニューはこちら
そして、今回の藤原ちからさんのオススメは・・・
注意:必ずガスバーナーで炙ってから食べてください!
宮川橋もつ肉店
http://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140102/14042505/
神奈川県横浜市中区宮川町1-4
TEL:非公開
定休日:火曜と祝日の月曜
営業時間:[平日]16:00すぎ~23:00 [金・土]16:00すぎ~24:00 [日・祝]16:00すぎ~22:30
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