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岡田利規・金氏徹平インタビュー|子どもだからこそ伝わる感覚がある
演劇・ダンス
2015.07.17

岡田利規・金氏徹平インタビュー|子どもだからこそ伝わる感覚がある

Text:島貫泰介     Photo:西野正将      2015.7.17

今夏、KAAT神奈川芸術劇場がおくる「KAATキッズプログラム」。そのなかにちょっと懐かしい気持ちにさせるタイトルがある。「わかったさんのクッキー」。なんでも「わかったわかった」で済ませてしまうお気楽なクリーニング屋の女の子が、いろんな不思議体験をする人気絵本を演劇化した作品だ。演出にチェルフィッチュの岡田利規さん、舞台美術に現代美術家の金氏徹平さん、音楽にシンガーソングライターの前野健太さんを起用し、「わかったさん」のファンタジックな世界を舞台にリアライズする。今回、稽古中の岡田さんと金氏さんにインタビューする機会を得た。奇妙な登場人物が次々と現れ、部屋の鍵が人間のことばで喋って歌う同作を、彼らはどのようにかたちにするのだろうか?

KAATキッズ・プログラム2015おいしいおかしいおしばい『わかったさんの クッキー』

岡田利規 (Toshiki Okada)
演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰・1973年横浜市生まれ。
熊本市在住。ユニークな身体性と言語表現で、岡田以前以後で語られるほど高い評価を得る。97年演劇カンパニー チェルフィッチュを旗揚げ。05年『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。07年クンステン・フェスティバル・デザールにて海外進出を果たし、世界70都市で上演。08年『わたしたちに許された特別な時間の終わり』で第2回大江健三郎賞受賞。小説家としても注目を集める。KAATとは 11 年『ゾウガメのソニックライフ』、12年『現在地』、13年『地面と床』、14 年『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』をチェルフィッチュとして発表。http://chelfitsch.net/

金氏徹平 (Teppei Kaneuji)
現代美術家・1978京都府生まれ 京都府在住。
2001年ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(ロンドン)留学。2003年京都市立芸術大学大学院彫刻専攻修了。プラスチック製品やキャラクターフィギュアなどのおもちゃ、雑誌の切り抜き、シールなど身の回りにあるものを素材に、コラージュ的手法で制作を行う。2009年横浜美術館で、同館での史上最年少個展作家となる「溶け出す都市、空白の森」など国内での発表のほか、海外での個展や企画展も多数。近年では、シンガポールビエンナーレ2011、エルミタージュ美術館での企画展「Mono No Aware. Beauty of Things. Japanese Contemporary Art」(2013-14)参加、北京での個展「Towering Something」(2013、ユーレンス現代美術センター)など。また、2011 年『家電のように解り合えない』(作・演出:岡田利規、出演:森山開次)、2013 年、ARICA+ 金氏徹平『しあわせな日々』(あいちトリエンナーレ2013 にて初演)にて舞台美術を手がける。http://www.teppeikaneuji.com/

岡田さんの初挑戦

──子ども向けの演劇作品は、岡田さんにとって初の試みですね。絵本『わかったさんのクッキー』を題材に選んだのはなぜですか?

岡田:子どもが図書館から借りてきてたのを一緒に読んでいて、ピンと来たんですね。

── その理由はなんでしょうか?『わかったさん』シリーズはとても不思議な話です。突然鍵が話しかけてくるような異世界ものでもありつつ、後半ではクッキー作りのガイド本になったりします。

岡田:子ども向けの作品を作るにあたって、アンデルセン童話みたいに西洋の意匠のものは、やりたくなかった。あと、教訓的なものも、やりたくなかった。『わかったさん〜』はストーリーがはちゃめちゃで面白いうえ、この2つの条件を満たしてるんです。あと、どうしたらこの原作を演劇化できるか、想像もつかなかったんですよ、だからやってみようと思ったというのもあります。チャレンジしたかった。

── 金氏さんに舞台美術を依頼した理由は?

岡田:金氏さんがいればきっとこの話を演劇化できるだろうという確信があったんで。

金氏:僕は『わかったさん〜』を読んだことがなかったんです。それで読んでみたら、最初は教訓めいた話かなと思わせつつ、どんどんすり抜けていく変な話で。絵本の体裁自体もどんどん変わっていくのがすごく面白いと思いました。

岡田利規・金氏徹平

──稽古が始まって、金氏さんから大量の物品が届いたそうですね。先ほど見せていただいたリハーサルでは、おもちゃ、金属の筒、ホースなどがそこらじゅうに転がっていて、それを俳優が動かすことでストーリーが進んでいきました。

岡田:最初にいくつか、「○○に見えるものが欲しい」っていうリクエストを金氏さんに出したんですよ。車と、洗濯物と、鍵、の3つだったかな。

金氏:美術プランが決まっていない段階でのワークショップに何回か参加させてもらったんですが、そこで、空間や動きの意味しているものを、どんどん変えていく実験を岡田さんたちがやっていて「僕に求めているのは、見え方が変わったり、何にでも見えるものなのかな?」と自分なりに解釈したんです。それで、車や洗濯物に見えそうなものをいくつか送りました。で、それとは逆に、何に使うかわからないけど面白そうなものを追加して送ってみたりして。実際に稽古に行くと、予想もしない使われ方や組み合わせ方になっていて楽しかったですね。

──今日もクリケット(イギリス発祥の野球のようなスポーツ)の平たいバットを持ち込んでいましたよね。

金氏:これも前回の稽古を見て、使えるかもと思ったんですよ。

岡田:でももうじゅうぶん事足りてるんですけどね、どうしようかなあれ(笑)。

演劇と彫刻は近いもの

──お二人は、2011年の『家電のように解り合えない』でも協働していますね。その経験も大きいですか?

岡田:もちろん大きいです。でも、たぶんそれ以上に大きいのは、『家電のように〜』をきっかけに金氏さんが演劇に関心を持った、ということだと思います。そしてその関心の持ち方が、きわめて本質を掴んでると思う。それは演劇を長くやっているからというだけでは容易に掴めるものではないんじゃないかな。

── 金氏さんが演劇で掴んだものとは?

金氏:ものの意味が変わるとか、見え方が変わるとか、そういうことが舞台の上では当たり前に起こっているのに気づいたのが大きなポイントでした。それは僕が現代美術でやろうとしていることに近いのですが、美術館やギャラリーではなかなか実現できなかったんです。

岡田:ある彫刻家から、現代において彫刻をやるということは、彫ったりすることというよりも、彫刻的な思考を用いることだっていう話を聞いたんですが、聞いていてなるほどと思いました。ということは、彫刻を学んだ人が、演劇をかじれば、演劇的な思考を用いるということだってできることになる。

『家電のように解り合えない』

写真左:『家電のように解り合えない』2011

──たしかに今日の稽古はとても彫刻的でしたね。空間と俳優のからだを組み合わせ、何かを足したり、逆に省いていく。あるいは1つの出来事を複数に分割していくような試みもあります。例えばオーブンでクッキーを焼くシーン。トロッコみたいな車輪のついた箱は、オーブンの外側を意味していて、ちょっと離れたところにある円形の筒は、オーブンの内側をイメージしているように見えました。本来は同じであるものが、機能や働きで分割された状態で舞台上に置かれている。彫刻にも、ある方向からだと人に見えるのに、別の方向からは船に見えたりする作品があります。

金氏:まさにそうですね。舞台の上では、どんどん足し引きが行われて変化してきますからね。動き続ける彫刻作品としても見られると思います。

岡田:子ども向けと言いながら、『わかったさん〜』では表象をオーバーラップさせたりとか、いろんな技を駆使してるんですよ。

金氏:かなり複雑ですよね。

岡田:大人ってなまじ難しい言葉を知ってるから、たとえばあるものを見たときに「具象的」か「抽象的」か、という分類をしたりするでしょ? その意味では『わかったさん〜』はまあ抽象的と言えると思うんですよ。でもね、そんなことどうでもいい。大事なのは、経験としてやってくる表現であるか否かということですよ。今回、ここまでに何度か試演会をやったんです。それで子どもに見てもらったんですが、つくづく思ったのは、子どもはとてもよい観客だなあということ。難しい言葉なんて知らなくても、ダイレクトに経験を受け止めてくれる。

金氏:僕も一度試演会に立ち会いましたが、僕らが大事にしているところを的確に見てくれましたね。

岡田:(おもむろにプラスチック製のフライ返しみたいなものを取り出しながら)ちなみに、これ何か分かります?

── うーん、洗濯機の部品ですか?

岡田:これは草刈り機の刈る長さを調節するアタッチメントなんですよ。パッと見ても、わからないじゃないですか。

金氏:見慣れないかたちのために用途が想像つかないものもあれば、ある国では当たり前に使われているものだけど、文化圏が違えば抽象的なものになっちゃったりしますよね。そんな風にいろんなルールを同じ空間に混ぜてみて、それでも同居してしまっている状態を僕は目指しているんです。

──大人だと、正体不明のものでも自分の知識内に近いものを見つけて「これは○○だろう」と理解したり、言葉で納得してしまいがちですね。でも、一般的に子どもは知識の有無で対象を認識しないですから、そういった異なるルールが同居する空間も、疑問なく受け入れることができるのかもしれませんね。

「まほう」にかかるのは誰?

──『わかったさん〜』のチラシで岡田さんは「まほう(魔法)」という言葉を使っていますね。

岡田:「まほう」って子どもにも伝わる言葉だけど、僕らがやっていることを的確に言い表している言葉でもあるんです。チェルフィッチュの過去の作品(『私たちは無傷な別人である』)のなかでは「コンセプション」という概念を考えたこともあったけど、「まほう」というのはその言い換えだとも言えます。

── 著書『遡行 変形していくための演劇論』では、「受精」という言葉でも言い換えていますね。

岡田:演劇の舞台上には、俳優がいたり、セットがあったりする。でも、それらの人や物は、いくら具象的な見映えをさせても、それそのものをリアライズすることはできなくて、それがそれそのものになるためには、絶対に「まほう」が必要。それってすごく演劇にとって本質的なことなんです。

──『遡行』のなかで岡田さんはこんな風に書いていますね。「演劇とは何か、的なことに関する自分の見解の中で、観客が締める割合がどんどん増してきている」「舞台上のパフォーマンスの出来を(中略)パフォーマンスが観客に与える波及力の如何で判断するようにした」「役者が表象を担うのではなく、観客の中で表象が結ばれることの幇助をすることだけ」。つまり、観客の内になんらかのイメージを起こすことが「コンセプション」であると。

岡田:だから『わかったさん〜』は、すごく美学的な作品だと思っています。テーマとか教訓とかで作品が担保されていないぶん、今までに僕が作ったもののなかでももしかしたら一番美学的かもしれない。

金氏:舞台と違って、作品単体を見せる美術では、観客の反応から何かを感じるということはほとんどないし、観客と同じ場所に僕が常にいることもまずありえない。そこがずっと僕がもやもやしていたことなんですが、岡田さんの「魔法は作品の中にではなくて、観客の中にある。観客の中に魔法を起こす」っていう、言葉ですっきりしたんですよね。繰り返しになりますけど、僕が美術でやろうとしていたことはそういうことだったんだなと思って。

岡田:とはいえ魔法=コンセプションにも色々あって、長い時間や熟考を求めることは、さすがに子どもには難しいかなと思ってます。ロバート・ウィルソンの演劇とか、ミケランジェロ・アントニオーニの映画みたいな、退屈を通り過ぎたその先にやってくる何か、みたいのはね。

──瞑想的な時間を経て、実際の体験や見たものとは異なる、別種の時間感覚やイメージを喚起させる作品を作ってきたアーティストたちですね。

岡田:そうですね。今回それをやろうとは、さすがに思ってないです。はっきりとした、すぐに効き目が出る魔法をかけるのが、今回のモットーです。

──金氏さんは、今回上演期間中にパフォーマンス作品も発表されますね。『スカルプチャーのオバケのレクチャー』というタイトルで、7月26日に無料で行います。

金氏:2014年に京都芸術センターで発表した『レクチャーのオバケ』を元に、そこから彫刻的な要素を抽出したものになります。

『レクチャーのオバケ』

写真左:『レクチャーのオバケ』2014

── 『レクチャーのオバケ』はどんな作品だったんでしょうか?

金氏:京都の時は、「琳派」っていうテーマがまずあって、そこから自分が連想するもの……図版のトレースだとか、歴史のフィクション性を抽出していったんですね。さらにとある評論家の方に依頼して、琳派と僕の作品の関係性というテーマで無理矢理レクチャーをしてもらい、その内容を俳優に全部覚えてもらって喋ってもらう。さらに同時に、普段の僕の作品の作り方の手順を全部教えて、その場で彫刻を作ってもらうということをやったんです。

──レクチャーの内容や、作品を作る上での身振りを全部俳優に振り付けとしてインストールするということですね。とても複雑で難しそうです。

金氏:でも、俳優さんのパフォーマンス能力ってすごくて、舞台上で完全に同じものができちゃうんです。つまり、自動的に複製されていく彫刻作品としてのパフォーマンス。今回はそれを彫刻だけにして、僕と岡田さん、そして『わかったさん〜』で音楽を担当している前野健太さんに作ってもらうんです。違う役割を持った人が、別の役割を演じるということにすごく興味があるんです。

演劇は「経験する力」を再獲得させる

──金氏さんのパフォーマンスに「オバケ」という言葉が使われていますが、岡田さんの近作にも死者や幽霊のイメージが多く登場しますね。

岡田:幽霊的なものって、表象と物質の重なるようで決して重なることのないズレのことだと思うんです。たとえば、役者と役の間に生じるもの。そういう意味で演劇って、すごく幽霊的なんです。

──『わかったさん〜』では、役者だけじゃなく、舞台美術にも幽霊的なズレがはらんでいるわけですね。シーンによってものの役割が変わったり、かたちが変形したり。

岡田:とはいえ、ここまでした話って、結局「ままごと」って言葉で片付けることもできちゃうんですけどね(笑)。技術的に高度なことをやっているとか言いながら、子どもが普通にやってることとなんら違いがない。なんら違いがないということを、僕は、喜びたいなと思います。

金氏:僕たちが追求できるところまで行ったら、じつは子どもと同じことをしていた、みたいなね。

岡田利規・金氏徹平

──『家電のように解かり合えない』と相対させてみると、それは子どもたちと「わかりあえる」ってことでしょうか?

岡田:そうかもしれないですね。『わかったさん〜』を作りながら、子どもと大人の違いをときどき考えるんです。試演会をすると、子どもはこっちが経験してもらいたいものをすっと経験してくれる。対して大人は必ずしもそれができなかったりする。こういう社会に生きてると、大人になる過程は経験を経験としてつかむ力を失う過程でもあったりする。だから大人が子どものようにそれを掴むには、その力を再獲得する必要があるのかなって、最近思います。

──つまり、経験する力を再獲得するプロセスが「ままごと」であって、岡田さんや金氏さんの作品を通じて、それを再獲得することができるかもしれない?

金氏:獲得する時の状態は体験できるかもしれないですね。経験だけがピンポイントで観客の中に入ってくるというか。

岡田:たぶん、子どもたちと場を共有して、彼らと一緒に見るということは、再獲得の助けに大いになってくれるんじゃないかと思います。彼らがガイドしてくれますよ。社会的なテーマを扱うとかそういうのならばともかく、美学的なことを提示するのは子どもに向けてやるほうが、コストパフォーマンスが高いというか、子どもに向けた演劇をつくるのは、ほんとうに楽しいです。

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