コンテンツにスキップ
美術・写真

祝・還暦!音楽堂開館60周年記念「藤森照信氏に聞く音楽堂の魅力」

祝・還暦!音楽堂開館60周年記念「藤森照信氏に聞く音楽堂の魅力」

interview・text・photo:西野正将

戦後日本で初めての公共音楽ホールとして誕生した神奈川県立音楽堂も今年でなんと60周年。

前川國男による設計は市民だけでなく多くの建築家も魅了し、木材を多く使用したという特徴的な“木のホール”は開館当時「東洋一の響き」と絶賛され、その響きは国内はもちろんのこと海外からも高い評価を受けています。

マグカルでは音楽堂60周年を記念し、まだ音楽堂を訪れたことがないという方の為に建築史家、建築家である藤森照信氏に神奈川県立音楽堂の素晴らしさについてお話をお聞きしました。

写真左:開館当時の音楽堂外観 ©前川設計事務所 写真右:現在の神奈川県立音楽堂 ©青柳聡

写真左:開館当時の音楽堂外観 ©前川設計事務所

写真右:現在の神奈川県立音楽堂 ©青柳聡

神奈川県立音楽堂とは?

ー 藤森先生は神奈川県立音楽堂が主催する「音楽堂建築見学会」にも多くご出演されていますが、まだ音楽堂を訪れた事のない方に向け、改めて音楽堂についてお話をお聞かせいただけますでしょうか。

「神奈川県立音楽堂」はいわゆる戦後の建築としては初期のもので、音楽堂が建設されるまで音楽専門の公共施設というものは日本にありませんでした。

もちろん徳川頼貞が作った民間のホールはありましたが、それまでは劇場的なところで音楽、演説、集会と何でもやっていたんですね。

ところが音楽というのは”響き”の問題があるのでやはり一般の劇場とは分けないといけない。そういう問題があり、海外ではオペラや劇とジャンルによって施設を分けるのが当たり前だったのですが、「日本にも音楽専用の施設を作ろう」と当時の神奈川県知事が考案し建築にいたったわけです。

知事は他にも鎌倉に鎌倉近代美術館も作ったりと文化的施設の建築に熱心で、そこが社会的には一番大きかった。

ちなみに音楽堂を設計したのは前川國男という方で、前川さんと言えば東京の東京文化会館や丸の内の東京海上日動ビルディングなど、 戦後の公共建築をリードした方です。

その前川さんの戦後初期の代表作の一つが神奈川県立音楽堂なんですね。

11月に開催された「建築見学会特別編」の様子。

11月に開催された「建築見学会特別編」の様子。神奈川県立音楽堂では毎年「建築見学会」を開催しており、
イベントではレクチャーばかりでなく、普段は見られない場所の見学、ミニコンサートなど様々な体験ができる。写真:©青柳聡

前川國男が考えたヒューマンスケールへの工夫

ー 今、設計された前川國男さんのお話がでましたが音楽堂における前川建築の特徴のようなものはどのようなものでしょうか。

建築的な特徴としてはまず、配置とか間取など、非常にプランがうまくできています。
紅葉坂を上がって建物に向かうと左手に図書館があり、正面に音楽堂がある。
紅葉坂をあがってからふっと建物が現れる佇まいなんて非常に上手な処理をしていると思います。
それで建物の裏側もうまく導線をわけていますし、そういった処理は前川さんは本当にうまい事で知られてきた人なんです。

図書館との関係でいうと図書館とちょっとずれて音楽堂が並んでいて、建物と建物の間が空いているんですよ。

その抜かした空間を上の廊下でつなげているのですが、ああいう作り方は前川さんの得意なやり方で、非常にうまい。(※現在廊下は通行できない)

あと人が訪れたときに銀行や神殿のように威圧感がある作りではなく、やさしく来場者を迎え入れる特徴があります。僕なんかはもうちょっとガーンッと建っていてもいいと思うんだけど(笑)。

元々戦前までの公共建築はガーンッと”そびえ立つ”イメージがあったんですね。しかし彼は本気で市民社会というものを考えていた建築家なので、もっと人々を受け入れるようなイメージを大事にしていたんだと思います。

写真左:図書館と音楽堂をつなぐ廊下 ©MAGCUL 写真右:ピロティを利用した正面玄関 ©青柳聡


写真左:図書館と音楽堂をつなぐ廊下 ©MAGCUL
写真右:ピロティを利用した正面玄関 ©青柳聡

ー やはり「戦後」という意識が前川國男のもつ設計のイメージにも大きく作用していたのでしょうか。

非常にあったと思います。
戦前の公共建築の特徴は大体ガーンッとそびえ建つようなイメージが多くて、
東京都の美術館とか戦前のものは全部そうです。やはり神殿と同じ作り方の代表ですよね。
前川さんはそうはせず、柱を使って大きなピロティを作ったわけですが、柱の間からすっとすいこまれて行く作りというのはもう戦後的なやり方ですね。

もちろんピロティってものは前川さんが考えたわけじゃなくてル・コルビュジエという前川さんの先生がやっていたやり方だけれども、その方法を上手に使ってすっと入っていけるような演出をしています。また館内に入っていくと音楽堂にはホワイエという大きなスペースがありますよね。

あのホワイエが僕は一番好きなんです。 外観について言うと丹下健三さんの作る建築の方がガーンッとしていていいのですが(笑)。

ちなみに前川さんと丹下さんは師弟関係にあって前川さんは先生ですけど建築家としてはライバルでもあり、 音楽堂もコンペで丹下さんをやぶって採用された建築なんです。

ただ中のホールに進んでいくと、あのホールはあきらかに丹下さんより上手い作り方をしていますね。丹下さんの作るホールは外観が力強くていいのですが、
中に入るとどうもホールとしては力強すぎる所がある。

けど前川さんの建築にはそれがなくて、彼の建築は“ヒューマンスケール”という人間の寸法や感覚に合わせて作っているんです。

あとプランニングが非常に上手いと思ったのは彼は音楽堂のホールの床下をうまく空間利用していて、 2階テラスの天井を見てみると階段状にでこぼこしていますよね。

あれは上が客席なんです。階段で2回に上がると片側は客席の下を利用した天井があり、反対側はガラスが立ち上がって中庭から光が入ってきますよね。

あの空間の使い方は本当に上手です。

写真左:広々とした1階のホワイエ。天井が客席の下であることが伺える。©青柳聡 写真右:大きな窓から外光が差し込み、中庭の緑がコンクリートの冷たさを中和している。©MAGCUL

写真左:広々とした1階のホワイエ。天井が客席の下であることが伺える。©青柳聡

写真右:大きな窓から外光が差し込み、中庭の緑がコンクリートの冷たさを中和している。©MAGCUL

ー 確かにその場所に立っている時はそこが客席の下だと感じさせない空間になっていますね。

そうなんです。なぜ気にならないかと言えばそれば天井が中庭に向かって広がっていて光が入ってくるからですね。

あの使い方がなければ空間に包み込まれる感じにはならなかったと思います。

また彼は打ち放しコンクリートを使用していますが、打ち放しコンクリートっていうのは最初は倉庫とか地下室のような場所に使用するイメージでがあり、開発された当初は外観に使用するという手法は嫌われていたんです。そしてそれを最初に使ったのがオーギュスト・ペレというフランスの建築家で、前川さんもル・コルビュジエのところで打放しを身につけて帰ってきてはいましたが、自分自身の作品では当初使っていなかったと思います。

戦後になって使い始めるわけですけど、打ち放しはコンクリートそのままで仕上げますからちょっと印象が乱暴なんですよ。非常に人間の肌にとって優しくない。しかし優しくない仕上げなんだけれども、音楽堂くらいのスケールで光を館内にうまく取り入れ、周りに緑を配置することでそれが引き立つんですね。

あの中庭のおかげでホワイエは打放しコンクリートの持っている冷たさを相当軽減させていて、非常にヒューマンテクスチャーになっていると思います。

他にも音楽堂のホワイエの柱を見てみてください。まっすぐではなく楕円状に作られているのですがそれは柱をなるべく薄く細く見せるための工夫なんです。

あれがなかったら本当に空間が強くなってしまうと思うのですがその工夫で柱の強さをうまく消していますし、外壁にもテラカッタ焼きのブロックを使用するなどコンクリートの強さをなるべく抑えるための細かな工夫が至る所に施されていると思います。

写真左:薄く見せるために楕円上に作られた柱。木製の型枠に流し込まれているため、木目の跡が残っている。©MAGCUL 写真右:外壁に使用されているテラカッタの穴空きブロック ©MAGCUL

写真左:薄く見せるために楕円上に作られた柱。木製の型枠に流し込まれているため、木目の跡が残っている。©MAGCUL

写真右:外壁に使用されているテラカッタの穴空きブロック ©MAGCUL

考え抜かれた素材・職人の技術

ー 外観やいたるところに施された技術的な素晴らしさについてお聞きしましたが音楽堂の特徴として「木のホール」がありますね。

まず木は音の響きがいいんです。それは世界でも共通の認識ですが、わかりやすく言えばヴァイオリンが木材を使用しているように、ホール全体がヴァイオリンの中にあるようなイメージですね。そして暖かみがある。

また日本は圧倒的に木が優れているのでそれを使わない手はないので、そういった点で素材選びも成功していると言えます。

ちなみに当時のヨーロッパの劇場などは木を必ず使っているわけではなくて、漆喰や石など色々と他の素材も使用していました。

なので音楽堂のようにホール全面に木を使用しているホールというのは大変珍しいかもしれませんね。

写真左:木材を最大限に使用したホール内部。視覚的にも木材の持つ暖かみが感じられる。©青柳聡

写真左:木材を最大限に使用したホール内部。視覚的にも木材の持つ暖かみが感じられる。©青柳聡

ー なるほど。しかし戦後という状況でコスト面など経済的的な理由でのセレクトという可能性もあるのでしょうか?

たしかにそれもあると思います。ただあのホールで木を使わなかったら他に変わる資材はなかったんじゃないかと思います。

今は他に変わる素材も色々ありますけど、建物の雰囲気を柔らかくしようとする考えもあっての打放しと木の組み合わせだと思いますし、打放し建築でも人が触れる場所には木を使うのが日本建築の特徴ですからね。

ちなみにヨーロッパの打放し建築は全てコンクリートを使用していたのですがそれに木を組み込んでいったのがアントニン・レーモンドですね。 その流れで前川さんもうち放しと木の組み合わせをよく使うようになったのかもしれません。

ー さきほど藤森さんはホワイエの作りが一番好きだとおっしゃっていましたが、ホワイエのどの部分が特にお気に入りなのでしょうか?

やっぱりあの床の仕上げですね。あのテラゾー仕上げの床は本当に素晴らしいです。

ー 確かにあの床は音楽堂建築見学会でも上映していた当時の記録映像で仕上げている様子が写っていましたが、全て職人による手仕事とは思えない繊細な仕上げに大変驚かされました。

当時は職人に頼んでもそんなに高くなかったんですよ。いい時代ですね(笑)。

今ではあの仕上げができる職人が少なくなってしまったので、床を全てチタン仕上げにするより高くつくと思いますよ。

かなり大きな石を混ぜて磨きあげているのですが全て手作業ですからね。すごい仕上げですよ。

写真左:現在も輝きを失わないテラゾー仕上げの床。©MAGCUL 写真右:職人が手作業でテラゾーを仕上げている様子。©大成建築株式会社横浜支店

写真左:現在も輝きを失わないテラゾー仕上げの床。©MAGCUL

写真右:職人が手作業でテラゾーを仕上げている様子。©大成建築株式会社横浜支店

ー 技術が進んでいるのに職人がいないというのは難しい問題ですね。そういえば建物全体のコンクリートも全て手作業による手練りというのも今じゃ考えられないです。

そうですね。でもなんで手で練るかというと手で練ったほうが固くなるんです。

当時は検査の仕方も本当面白くて、作ったコンクリートを割って中に入っている石も同化して一緒に割れればOKだったんです。

いまのコンクリートではそんな割れ方はしないですね。

ー 今現在ではあえて手練りを使用した建築などはないのでしょうか?

ないですね。人件費やコンクリートの重さもありますが、あまりに固すぎて今のミキサー車には使えません。

全て流し込むのも手作業になるので、防水性や耐久性では理想なのですが、いまでは絶対考えられない手間がかかってしまいますから。

(※現在のミキサー車1台分は人力による手押し車50回分となり、ワンフロアーにはミキサー車100台分のコンクリートが必要となる)

人力でコンクリートを運んでいる様子。流し混み作業もすべて手作業で行っている。©大成建築株式会社横浜支店

人力でコンクリートを運んでいる様子。流し混み作業もすべて手作業で行っている。©大成建築株式会社横浜支店

歴史的建造物を残していくことの重要性

ー 一度神奈川県立音楽堂は建て直しの危機がありましたがその時も藤森先生は建て直しに反対の声明をだされていますね。

僕は歴史家だから古いものは残したいという基本的な路線がありましたが、

建築家は古いものは壊すべきだという考えをもった人が当時は多かったかもしれませんね。

しかし音楽堂の建て直し案が浮上した頃は「歴史的な建造物は残していくべきだ」という意識が建築家にも広まっていった時期だと思います。  

ー それに関しては賛成反対と多くの意見が出たかと思います。どちらの意見にも利はあるかと思うのですが、音楽堂だけでなくこのような歴史のある建造物を保存していくという事の重要性に関して先生はどうお考えでしょうか?

音楽堂もね、今も作ろうと思えば同じ技法で作れるんですよ。けどあの建物は何十年も建っていて、恋人と来た事がある人、小さい頃に親につれてこられた事のある人など、様々な人が訪れていると思うのですが、やはり久しぶりに来た人はしみじみするはずなんです。

歴史のある建物を訪れるとやはり人間はしみじみとした感情をいだいて「懐かしさ」を感じるわけです。

例えば自分の通っていた小学校に行くと、とても懐かしい気持ちになりますよね。そういった「懐かしい」という感情は人間固有の感情なんです。

他の動物にはありません。例えば犬が自分の昔住んでいた犬小屋を見ながらしみじみしていたら驚くでしょ(笑)。

人間の喜怒哀楽という感情はただ生きていくだけなら必要なものではありません。でもなぜ人間だけが「懐かしさ」のようにしみじみしたりする感覚を感じるのかと考えると、それはおそらく過去の自分と現在の自分がつながっているということなんです。

その場所で長く過ごした人とか、子供の頃に訪れたことのある人とかはその場所を訪れることによって過去の自分を思い出すことができる。

人間は目の前の自分と朝起きた自分が同じだということをどうやって証明しているかというと、朝起きた時の景色と今の景色が同じだからです。

朝起きた時に全然違う景色が目の前に広がっていたら本当に嫌ですよね。つまり人間は目で見たものと脳の記憶が一体化しているわけで、人間の時間の連続性への確認という感覚はとても曖昧なんです。

その不安をテーマにカフカは「変身」を書いたわけですが、そういう時間的な自分のアイデンティティを目で確認する事で「自分は60年生きてきたんだなぁ」とか古い建物は感じさせてくれるわけで…、だからしみじみするんですね。

特に公共建築は実用的にちょっと壊れたからといってすぐに壊すべきではありません。ヨーロッパはそういった部分をとても尊重していてあっちの方では公共建築を壊すなんて事はありえません。

ー 確かに日本に比べると海外ではオペラハウスなど古い公共建築が多く残っているイメージがあります。

有名なオペラハウスで築100年未満の建築なんてありませんし、ヨーロッパの人達にとって公共建築はそこに住む人々の記憶の器となるなわけです。

例えば戦争で壊された町も元の通りに再建しますからね。フランクフルトなんていってみると昔の写真と全く同じ街並が残っているのに全然文化財になった建築物がないんです。

それも大戦で崩壊してしまった町を写真を参考にしながら再現した街だからです。

それくらい建築がその都市や住む人々にとっての時間的アイデンティティであり、自分達の文化が続いているんだという証明になるものだと理解しているからだと思います。けど日本は文化的な習慣など昔から続いているものは結構ありますが建築に関してはその意識がちょっと弱い気がしますね。

ー 今日は音楽堂の素晴らしさ、公共建築を残していくという事の重要性について色々とお聞きする事ができました。

最後にちょっと番外編的な質問ですが藤森先生がご自身で音楽ホールを設計するなら、またはこんなホールがあったらと思うプランなどありますか?

そうですねぇ。音楽ホールって客席からステージに向けて沈んでいく作りになっているんですよね。

だから地上からどんどん地下に沈むように進んでいってそのまま客席に座れるってホールがあったらおもしろいかなぁ。帰りが大変ですけど(笑)。

ー それはなかなか壮大ですね(笑)。今日は本当にありがとうございました!

※神奈川県立音楽堂が CASA BRUTAS 178号「ニッポンが誇る名作モダニズム建築全リスト」に掲載されています!現在書店で取り扱われておりますのでそちらのほうも是非チェックしてみてください!

マガジン