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美術・写真

グレゴール・シュナイダー インタビュー

グレゴール・シュナイダー インタビュー

Interview : 小林 晴夫     Text : 井上 明子     Photo : 西野 正将

ヨコハマトリエンナーレ2014で賑わう横浜美術館。その駐車場スペースに、今、新たな異空間が出現している。「部屋」をつくることで知られるドイツのアーティスト グレゴール・シュナイダーが、横浜の地に初めて訪れてつくった作品《ジャーマン・アンクスト》だ。

12歳で作品をつくり始め、16歳で初個展を開催、第49回ヴェネチア・ビエンナーレでは最高賞である金獅子賞を受賞するなど輝かしい経歴を持つ彼の作品には、しばしば「死」「暗闇」「影」という黒いイメージが漂っている。そして、空間そのものをつくるという独特の手法や、不可視のものへの特異なまでのこだわりが、彼の作品を特徴づけていることは注目すべき点だ。

今回MAGCUL.NETでは、ヨコトリ2014のために来日していた彼にインタビューをおこない、最初の作品であり生涯をかけてつくり続けていくだろうと言われている《家 u r 1985-today》(ハウス ウーア 1985-today)(※1) について、また世界各地で発表されてきた大規模なプロジェクト、そして横浜での作品制作についてなど、作品の根底に流れるアイデアやインスピレーションに触れる貴重な機会に恵まれた。聞き手はblanClass代表であり、アーティストの小林晴夫さん。

― あなたの作品を実際に拝見するのは今回が初めてなのですが、WEBや雑誌などの資料では拝見していました。さっそく、ヨコトリ2014出品作品の印象も含めて、いろいろお聞きしたいと思います。

炭坑の町で生まれ育って…

― まず、僕とグレゴールさんは同世代なんです。もちろん育ってきた文化圏は違いますが、あなたの「部屋」に対するアプローチに何らかの共感を持ちました。あなたが生きた時代が、あなたの部屋に対する捉え方に影響を与えているように想像したのですがいかがでしょうか。

グレゴール・シュナイダー(以下G):私がドイツのライトという炭鉱の町で生まれ育ったことは、もちろん影響を与えています。ライトは失業者が多く、空き家がたくさんあるような町だったため、ある意味私にとっては町全体がアトリエであり、作品制作の場だったと言えます。そしてそのような、少しデトロイトにも似た環境や雰囲気をもつ町の中から、最初の作品《家 u r 1985-today》が生まれたのです。

ライトには、採掘のために毎年たくさんの人が訪れ、巨大な機械で町を掘り起こしました。そのことによって、町はめまぐるしく変わり続けてきたのです。ライトの町の90%は戦後に破壊されたと言えるでしょう。つまり、過去のどの戦争よりも採掘による破壊が大きかったのです。

私の家族は5世代にわたって鉛工場を経営してきましたが、長い年月の間に使われなくなった建物がいくつかありました。それを取り壊すことができないという状況がきっかけになり、《家 u r》をつくり始めました。このように、自分の環境が何かを始めるきっかけになるというのは、誰にとっても同様だと思います。

― 例えば都市や町の中で、何かを区切るものとして家があると思うのですが、グレゴールさんは、その家からさらに入れ子状に部屋として区切られた空間をつくるということをされていますよね。まず、そういった部屋へのアプローチそのものについてお聞かせください。

G:私が作品をつくる上での最も重要な手法は、もともと存在している部屋を、その部屋の中に、あるいは隣に複製することです。家の中のスペース、寝室、キッチン、小部屋…などの中に、もう一つ同じ部屋をつくるのです。このような作業を、私は今日まで続けています。

Gregor Schneider

《家 u r》のいくつかの部屋をみてみましょう。

《家 u r》について

家ur
ur1
u24 玄関ホール
u30 階段室
u25 大きな白い扉

G:これらは建築空間ではなく、実際に存在する部屋の中につくった作品としての空間です。私にとって芸術的に最も重要なことは、部屋の中に完全な部屋をつくるということです。単に部屋を分割するのではなく、壁、床、天井を含め部屋全体を複製しています。それは、例えるならタマネギのように、皮をむけばその下にまた皮があるという状態なのです。そして、このことを鑑賞者が認識する必要はないのです。

― 今おっしゃったことはつまり、概念的に部屋だけが部屋として自立するということですか?

G:作品にもよりますが、私のつくる部屋は実際に使うことができ、生活の場として機能しています。私は、その形体と機能両方を複製しているのです。《家 u r》には水道もあり、寝泊まりができる部屋もあって、実際に生活をすることができます。

《家 u r》の中に《コーヒーを飲む部屋》 (u r10)という部屋があるのですが、この部屋には、中に入って座り、コーヒーを飲んでいる間に、部屋が一回転して元に戻るという仕掛けが施されています。しかし、とてもゆっくり回転しているので、訪れた人は部屋を出る時、それまでその部屋が回転していたということには気づかないのです。

ur10 コーヒーを飲む部屋

…また同じように、天井がとてもゆっくり上下するという仕掛けを施した部屋もあります。(45分間かけて5cm上がり、また次の45分間かけて5cm下がる)

私の中で最も重要なコンセプトは、部屋の中にもう一つの部屋、そしてその部屋の中にさらにもう一つの部屋という具合に、タマネギ状に部屋をつくることで、実際に存在していた部屋を見えなくするということなのです。こうなると、そこにいる人はもはや部屋について考えなくなります。

― そのタマネギのような感覚というものは、見ている人の頭の中で起こるということですか?

G:人によって感じ方は違うと思うので一概には言えないけれど、《家 u r》は、外からは普通の家のようにみえるので、ある時は、保険のセールスマンが尋ねてきたことなどもありました。また、何も知らない人がきて、僕と一緒にコーヒーとケーキを食べ、何も気づかずに去っていったこともあります。しかし実際は、彼らは部屋の中で作品に取り囲まれた時間を過ごしていたのです。

そして、同じことが自分にも言えます。私は《家 u r》の隔絶された部屋の中で普通の生活を送りながらも改築や変化を加えていったので、自分自身でさえも、もはやその部屋の原型がわからなくなってしまっているのです。例えばどこかの壁に、黒い石、赤い石、青い石を埋めこむとします。一日経って「どこに埋めたかな…」と考えた時に、一つの壁の前にまた同じ壁があるという状況の中で、事態はますます混乱を極めていくのです。

ur12 完全に独立した客間

目に見えるもの/見えないもの 認識できるもの/できないもの

Gregor Schneider

G:例えばこの部屋の後ろ側には、はしごをかけています。しかしそれは目には見えません。自分が部屋の外側につくっているものなのだけれども、見ることはできないのです。

核心

― 例えその部屋が作品として認識されないとしても、鑑賞者に対してあなたが「仕掛けている」ことはあるのだと思います。それは何なのでしょうか。

G:そう、ここで問題となっているのは見える/見えない、認識できる/認識できない ということです。部屋の中につくられた部屋は、「見える」けれども「認識」はされません。つまり、普通の部屋として「見える」けれども、作品としてつくられたという「認識」はされないのです。ここに違いがあります。このように私の作品は複雑に入り組んでいます。そして、訪れる人のシチュエーションは様々だし、それぞれの部屋に関する考えというのもまた多様なのです。ただ言えるのは、訪れた人はその中を歩き回りながら「これはもはや芸術作品といえるのだろうか?」と自問することになるでしょう。そして最終的には “芸術”とは何であるのかという問い自体が消え去ります。つまるところ、生活(life)と芸術(art)の境界がなくなるのです。

― あなたは、作品としての「部屋」をどのように捉えていますか。

G:例えば、絵画を鑑賞する時は作品の前に立ちます。彫刻を観る時はその周囲を歩きまわります。しかし「部屋」の場合は、あなた自身が作品に取り囲まれていて、背後にも常に何かがあるのだけれど、それはあなたの目には見えない。そういう違いがあるのです。また、部屋の中に部屋をつくると、元の部屋の壁と新しくつくった部屋の壁の間には影ができます。そしてその隙間が狭ければ狭いほど、影の部分は暗い空間になります。私はこうした作業、つまり二重の壁、二重の部屋をつくるということを、1985年に《家 u r》を造り始めて以来ずっと続けてきました。

そして、2001年のヴェネチア・ビエンナーレ (※2)では、この生まれ故郷ライトにつくった《家 u r》の一部を解体し、ヴェネツィアという別の都市に持ち出し、再構成しました。

― 見えるもの/見えないもの、認識できるもの/認識できないもの、というあなたの作品における仕掛けや、作品のあり方については理解できました。それでは、それぞれの作品ごとに込められた意味合いに違いはあるのでしょうか?

G:最初の作品《家 u r》は、部屋に住むという個人的な行為に始まったものですが、ヴェネチア・ビエンナーレ以降は、社会的・政治的な側面も帯びてきたと感じています。

“死”について

― あなたは「死」をどのように捉えていますか。

G:私は、死を自然科学上の問題として捉えています。
《死の部屋》という作品がありますが、そのタイトルは、建築上の表現で“隠された場所”という意味合いを含んでいます。Totというのはドイツ語で「死」ですが、ここでいう“Toter Raum”には“立ち入れない場所”とか、“出口の無い”“デッドエンド”という意味が含まれているのです。

死の部屋 東京 2010

私は、この作品で、寝室やキッチンや浴室をつくるのと同じように「死の部屋」をつくったわけです。そして死の部屋は私にとって特別な場所ではなく、寝室やキッチンと同じようにごく当たり前に存在する部屋の一つなのです。

つまり何が言いたいかというと、私にとっては生活と芸術作品を隔てるものはないということなのです。部屋の中では生きていくこと、つまり生活することもできるし、死ぬこともできるのです。そして死にゆくということは、生きることの一部でもあります。私にとって死ぬことというのは、彫刻的な営みなのです。そしてそれは私たち一人一人が必然的に成す課題でもあります。

― あなたの作品はあなた自身の世界ということですか。

G:世界というわけではありません。私の作品は建築作品であり、3次元の立体という具体的なものです。そして私にとって芸術作品というものは、建築されることなしには存在し得ないものです。つまり「世界」という概念ではなくて、具体的に建築し、つくりあげたものでなければ作品とは呼べないのです。

建築することは、未知なるものに近づいていくこと

《白い拷問》という作品があります。

廊下 NO.1
厳戒警備と独房 No.3

この作品は厳しい警備のため、世間の目から隔絶されたグアンタナモ収容所 (※3) .のキャンプ#5を、ネット上の資料をもとに再現した作品なのですが、このように私は、自分にとって説明不可能だったり、足を踏み入れることのできない部屋を、作品化するということもしています。

この作業をすることで、それがどうやってつくられたのかを知ることができるのです。そして2回目につくる時には、最初に自分がしたことの理由がわかってくるのです。

グアンタナモ収容所の拷問部屋をネット上で見ることはできても、自分がそこに行くことはできませんよね。だから、彫刻家である私が、その場所に近づく唯一の方法は、自分に与えられた情報をもとにそれを建築することなのです。

― あなたにとって建築するということは、思考することと同じですか。

G:私にとって建築することは、自己を完成させるための手段の一つであり、物事を理解しようとするプロセスです。黒石(※4) を用いてつくられたカアバ神殿 (※5) の建物にインスパイアされた《キューブ》という作品があります。この作品をつくったことで、イスラム教徒でない私には本来許されない、黒石の前に立つというフィジカルな体験を実現することができたのです。こうすることが、完全に未知なるもの・理解できないものへ近づいていく私なりの方法なのです。この作品の場合は、建築物を模造することで、対象となるものに向き合うことができます。

CUBE HAMBURG 2007

― そのようになぜ、ある種隠された場所をインスタレーションにするのですか。あるいは、なぜ、わざと状況を隠して見えないものを展示するのですか。人はどのみち全てを見ることは不可能だからということですか?

G:作品ごとにそれぞれ違いはあるので一概には言えないけれど、私にとってはそこにその作品がある、ただそれだけなのです。

ヨコハマトリエンナーレ2014 出品作品について

― 今回ヨコトリ2014で駐車場スペースに設置したあなたの作品は、より“閉じた”感覚を感じました。

G:自分にとっても今回の作品は、これまでのものとは違う新しいものになっています。

― ヨコトリ2014のアーティスティック・ディレクター 森村泰昌さんが提示している一つのキーワードに「忘却」という言葉があると思うのですが、今回あなたが駐車場スペースにつくった作品《ジャーマン・アンクスト》と、このキーワードにはどのような関係性があると思いますか。

G:今回の作品が「忘却」と何か関わりがあるかどうかについては、自分にはわかりません。なぜなら、今回の作品は自分にとっても新しいものだからです。また、いつもそうですが、常に作品が作品そのものを飲み込んでいくものですし、何かものごとを始めるというのは直感的なプロセスなので、自分でも分からないことが多いのです。言い換えれば、私は自分では分からないことをやっているということなのです。ここ横浜に来て、再び抽象的なものづくりをしているということは、自分にとっても興味深いことです。

ジャーマン・アンクスト

以前、美術館に通常の出入口とは別の出入口をつくり、24時間出入り可能な空間をつくったことがあります。そもそも美術館というのは絵画や写真を展示するためにつくられている公共施設なので、そういう空間をつくることは非常に難しいことですが、それを実現することで生じる軋轢もまた、私にとって興味深いものなのです。

今回の作品に関して言えば、美術館という公共施設の白い展示空間の一部として、下にいくと暗くて泥だらけな空間があり、さらにその中を歩くことができるということは、鑑賞者にとって面白い体験になるのではないかと思います。(※)

Gregor Schneider

【注釈】
※1《家 u r》は1985年に最初の部屋(u r1)を両親の所有する建物の中につくり、彼自身が実際にその家に住みながら、改築を重ねていった。

※2 彼はこの作品で、ヴェネチア・ビエンナーレ最高賞である金獅子賞を受賞した。

※3 グァンタナモ米軍基地。キューバ東南部のグァンタナモ湾に位置するアメリカ海軍の基地。ブッシュ政権下の2002年1月からは「テロリスト容疑者」の第一団が収容され、アフガニスタンやイラクで拘束された人の収容所としても使用されている。残虐な拷問がおこなわれていることで知られ、人権問題にもなっている。

※4 イスラム教における最高の聖地とみなされている聖殿

※5 カアバ神殿の東隅に据えられた要石。世界のムスリムがその方角を向いて祈る古代の聖なる石造建築


※10/1現在、同作品の中を歩く体験は施設の管理上行っていません

翻訳:市村貴絵

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