黄金町バザール出品作家 ライヤー・ベン インタビュー
Interview & text:井上明子 photo:西野正将
黄金町バザール2014参加作家 ライヤー・ベンは、スプレー缶での壁画、映像・コンピューターデザイン作品、キャラクター制作などをおこなうベトナム人アーティスト。今回、ある進行中のプロジェクトが紹介されるとのことで、オープンしたばかりの8月上旬に彼の作品が展示されている1の1スタジオを訪ねた。
東南アジアを旅するとよく目にする“シュガーケイン(さとうきび)ジュース”の屋台。今回彼が黄金町で展開するプロジェクトは、かつてその屋台に描かれていた女性の絵に端を発した“シュガーケインレディー・プロジェクト”というものだ。フィールドワークとリサーチに基づくこのプロジェクトは、国民的女性像とも言えるキャラクターの陰に潜む歴史的・文化的背景を、人々のパーソナルな記憶を通して探ろうとする試み。
歴史の騒音にかき消された小さな記憶を集めるジャーナリスティックな好奇心とは裏腹に、屈託のない笑顔とおおらかな面持ちが印象的なベンに、彼のプロジェクトについてインタビューをおこなった。
シュガーケインレディー・プロジェクトとは
ー まず、プロジェクトについてお聞きする前に、ベトネムでのシュガーケインジュースにまつわる現状についてお聞きしたいと思います。
シュガーケインジュースを販売する屋台は、ベトナムの至る所でみることができるものですか?そしてそこには必ずシュガーケインレディの絵が描かれているのですか?
ベトナムでのシュガーケインジューススタンドは、戦争(ベトナム戦争)集結の1975年を期に、実際に女性が立って販売するスタイルから、女性の絵を屋台に描いて販売するスタイルに変わっていきました。というのも、アメリカの影響で、ベトナムに広告という概念がもたらされ、それ以降シュガーケインレディ同様、果物や、さとうきびなどの派手なモチーフが、屋台に盛り込まれるようになっていきました。
でも現在のベトナムではこの旧式の屋台はあまり見なくなり、今はオートマティックな機械を使っての販売が一般的です。
ー では、ベンはどこで最初にこの絵を発見したんですか? “シュガーケインレディ・プロジェクト”を始めるきっかけについて教えてください。
一番最初にみつけたのはどこだか忘れてしまったけど、田舎に行った時に見つけました。田舎にはまだ旧式の屋台がたくさん残っているんです。いくつもの似たような絵があるけど、この女性はいったい誰なんだろう…と興味を持ったのがこのプロジェクトの始まりです。
ー “シュガーケインレディプロジェクト”では具体的にどのようなことをおこなっているんですか?
実際のシュガーケインレディーのイメージを写真で撮影したドキュメントとシュガーケインレディにまつわるストーリーを収集しています。
本当はこの女性の絵を誰が最初に描いたのかを調べようと思ったんですが、当時生きていた人たちはみな年老いてしまっていて、本人に話を聞くことが難しかったんです。だから代わりに、その世代の人たちにFacebookなどを使って、「シュガーケインレディーのイメージを教えてください」という質問を投げかけ、その人たちの中にあるシュガーケインレディーにまつわるストーリーを集めていくことにしました。
ー 調査の対象はシュガーケインレディーが描かれていた70年代頃に生きていた人々ということですね。このプロジェクトはどのくらいの期間やっていて、何人の人から返答をもらえましたか。
プロジェクトをはじめてから一年くらい経ちます。今10人の方に質問に応えてもらい、それぞれのストーリーを聞くことができました。
調査の途中ででてきたベトナムの国民的歌姫タン・ラン ー 日本との関係とは?!
ー どんなストーリーがありましたか?
例えば、「このシュガーケインレディーはアメリカの将軍の娘で、彼女はとても美しかったからベトナム人ではないんだ。」という話や、「フランスの将校と最終的に結婚し、田舎から都会に移り住んだ」という話や…。
中でも、ファン・タイ・タン・ランという1960-75年頃に活躍した歌姫にまつわる話は、日本にも関係する興味深いものです。リサーチを進める中で、その国民的歌姫の写真を送ってくれた人がいたんです。それを見て、僕はシュガーケインレディとタン・ランのもつイメージが、ベトナム人にとっての理想の女性像にとても近しいのではないかと気付きました。だから今はその関連性を探っているところです。
ー 彼女はベトナム戦争の時期に活躍していた歌姫ということですね。今はどうしているんですか?
そしてその日本との関係性とはどのようなものですか。
彼女は亡命して今はアメリカにいます。(※注:タン・ランは当時のベトナムNo1女優にして歌姫。戦争終結後、ボートピープルとして幾度となくベトナム脱出を図り、アメリカ亡命に成功したそう。)
ちなみにこれが彼女の歌です。
ー え!日本語なんですか?!
一般的には1990年代以降に日本とベトナムの親交が深まったと言われていますが、僕は1975年以前にも親交があったと思っています。というのも、その頃に日本人のプロデューサーたちがベトナムに行って、アーティストたちをたくさんプロデュースしていたからです。この映像がそのことの証明でもあると思います。
ー ある人のパーソナルな記憶から、ある歴史の小さな一部分が浮き彫りになってきたということですね。とても興味深い話です。
シュガーケインレディーの絵と、そのイメージにまつわるストーリーの収集を通じて、ベンが追求していることはなんですか。また、このプロジェクトのゴールは現段階でみえてきていますか?
僕は、このプロジェクトを通して、単に女性のイメージを追求するだけではなく、ベトナムの歴史の記憶(History memory)を集めることに重点を置いています。それは僕が住んでいるベトナムという国の歴史の記録にもなるからです。
このプロジェクトを始めて一年くらいが経ちますが、終着点はまだまだ自分でもわかりません。でも、もしも自分が満足のいくところまでできたり、このプロジェクトによって何かいい効果が生まれて、そのことを自分が実感できたら、それがこのプロジェクトのゴールなのかもしれないとは思います。今の時点ではどこが終着点なのかは僕にもわかりません。
黄金町バザール2014 出品作品について
ー 黄金町バザール2014では、これまでベンが一年間かけて探求してきたことの、現時点での到達点をみてもらうということになりそうですね。今回の展示・実演について詳しく教えてください。
黄金町では、1の1スタジオでシュガーケインジュースの屋台の写真や、これまで収集した様々なシュガーケインレディーの展示を行っています。その中には、僕が描いたシュガーケインレディーも一部含まれています。そして、かいだん広場では、実際に屋台を出して、沖縄から取り寄せたさとうきびを使ったシュガーケインジュースをみなさんに提供しています。
ー 屋台もベンが作った手作りのものですよね。この屋台のこだわりはなんですか?
展示室の写真にもあるんですけど、ベトナムで販売されているシュガーケインジュースの屋台にはいくつかのバリエーションがあって、中でも中国式の屋台というのは、装飾に中国の歴史を取り入れ、売る時に彼らの歴史も一緒に語るというスタイルをとっています。僕も今回はそのスタイルを真似て、ベトナムの歴史や文化がわかる装飾を屋台に描いています。
かいだん広場でベンを見つけたら、是非声をかけてベンの作るシュガーケインジュースを味わってみてください。シュガーケインジュースは、想像よりもはるかにすっきりとした、ちょっとスイカジュースのような夏にぴったりな味わいです。
そして、今回ベンは黄金町バザールの一環で、京急キッズランド黄金町のこどもたちと一緒に壁画を描くワークショップをおこないました。その様子はこちらです。ちなみにここで描かれた絵は、「バザール バザール」前の鋼板に展示されます。
ストリートアーティストとしてのライヤー・ベン
最後に、今回の記事のために、ベンのストリート・アーティストとしての作品写真をいくつか送ってもらいました。ライヤー・ベンのもう一つの一面も要チェックです!