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演劇・ダンス

<外>の千夜一夜 VOL.2 『赤レンガダンスクロッシング for Ko Murobushi』桜井圭介 大谷能生 インタビュー

<外>の千夜一夜 VOL.2 『赤レンガダンスクロッシング for Ko Murobushi』桜井圭介 大谷能生 インタビュー

Text:島貫泰介   Photo(Portrait):西野正将

2015年6月、舞台芸術の世界に衝撃が走った。舞踏家・振付家の室伏鴻が急逝したのだ。メキシコでの公演を終え、ワークショップのためにドイツを向かう途上、空港での突然の死だった。突然の別れは悲しい。けれども、人生の大半を旅に費やした室伏らしい別れのかたちだったかもしれない。
そして今年2月、室伏を追悼するイベントが開催されることとなった。タイトルは「<外>の千夜一夜 VOL.2」。室伏本人が手がけたイベントの第二弾として企画され、彼に縁のあるダンサー、オーガナイザー、批評家が参加し、5日間にわたってさまざまな企画を実施する。そのなかで、2日間のダンスイベントを開催するのが批評家の桜井圭介と、音楽家の大谷能生である。密接に室伏と関わった2人は、どのような思いをこのイベントに注いでいるのだろうか。
室伏鴻とは何者だったか? その答えを知るべく、2人にインタビューする。

本人もあの世で怒る?『赤レンガダンスクロッシング for Ko Murobushi』

昨年の6月18日、舞踏家・振付家の室伏鴻さんが旅先のメキシコで急逝されました。2月18日から始まる「<外>の千夜一夜 VOL.2」は、それを受けて開催される追悼イベントですね。

桜井:結果的にそうなってしまったけれど、もともとは室伏さん自身が「<外>の千夜一夜」の続編を赤レンガ倉庫でやる企画を進めていたんですよ。2013年の秋に室伏さんプロデュースのVOL.1を行って、今回はその第二弾だったはずなんです。

桜井さん大谷さんは、出演者としてVOL.1に関わってらっしゃいましたね。

桜井:そう。だから室伏さんの遺志を継ぐってわけじゃないですけれども、前回と同じように今回もやろうということになって。そのうちの一つのプログラムとして「赤レンガダンスクロッシング for Ko Murobushi(以下、ADX4KM)」を共同企画したんです。ですから、VOL.1に出演された方たちには公演もシンポジウムもなるべく参加していただいています。

桜井圭介さん

と、言いつつ桜井さんはTwitterなどで「あの世で室伏さんが怒るようなものにする」と呟いてましたよね(笑)。

桜井:怒る、というか、苦笑しちゃうようなものを室伏さんに見せたいんだよ(笑)。室伏さんに縁のあった人たちで故人を偲ぶ、という感じの湿っぽいダンスクロッシングにはしたくなかった。

大谷:そうですよね。VOL.1の時は音楽監督みたいな感じで室伏さんに付き合って、VOL.2も本人から既に依頼を受けてましたから、亡くなったからって急に路線変更をするんじゃなくてね。

桜井:ダンスクロッシングは今までは僕一人でキュレーションしていたけれど、今回は「for Ko Murobushi」なので、やっぱり大谷さんと一緒に企画したいなと思ったんです。

ダンスクロッシングは、2004年から13年まで続いた「吾妻橋ダンスクロッシング」のことですね。室伏さんも出演されていますし、ここから活躍の場を拡げていったコンテンポラリーダンサー、アーティストも少なくありません。いわば伝説的なダンスイベントと伝説的な舞踏家の二夜限りのクロッシング企画が今回の「ADX4KM」であると。

桜井:室伏さんの人柄と彼のダンスの本質も考えて、ってそこまで大袈裟なことじゃないけど、っていうのもサブテーマです(笑)。

室伏鴻との出会い

なるほど。ところで、室伏鴻さんはどんなアーティストだったのでしょうか。国際的にも舞踏の代表者として認知されていて、あまり詳しくない僕のような者からすると「舞踏のオーソリティー?」と勝手に思い込んでしまうのですが。

桜井:これは僕の考えですけれど、室伏さんはあんまり舞踏っていう狭いところに位置づけられることが好きじゃなかったと思うんですよね。だから僕みたいな変なヤツや若者と積極的に交流する人だった。

大谷:もちろん麿赤児さんの大駱駝艦の創立メンバーではあるんですけど、ある時からずっと自分のカンパニーを持たずにソロ状態を続けていて、ジャンルの枠の外にいる人だと思います。

桜井:そして日本を拠点にしていない。というか拠点を持たずに、一年の半分は世界中を公演して回っている。

大谷:舞踏ってけっこう、師匠弟子という感じが強いと思うんですけれど、室伏さんは直系の弟子とか秘伝を持たないようにしてきた。それが意識的な選択だったかはわからないですけど。

大谷能生さん

舞踏からスタートして独自の道を進み続けた人、ということでしょうか。お二人が室伏さんと知り合ったきっかけを教えていただけますか?

桜井:98年に土方巽13回忌のシンポジウムがあったんですよ。そこで僕は演劇批評家の鴻(英良)さんとパネラーとして登壇したんです。それで案の定、客席とケンカ的な感じになった(苦笑)。要するに僕や鴻さんは「舞踏はもうダメなんじゃないですかねー」とまでは言わなかったけれど、挑発的なことを言うわけですよ。当時の舞踏って、反近代の象徴というか、前近代的な表象、エコロジーと結びついて語られるようなことが多かったと思うんだけれど、僕は僕で「週末だけ田舎に通って畑を耕すみたいな生活がレジャー化した状況のなかで、そういう自然志向が実際の社会に効果があるのか疑問です」なんて言うもんだからさ。それで若い舞踏家や舞踏専門の評論家が「馬鹿にすんな!」って怒る。
そんな感じで客席と丁々発止する中、客席にいた室伏さんが突然大声で「だから舞踏はだめなんだ!」みたいなことを言い出して。会が終わった後にはじめてお話させていただいたんだけど、室伏さんは海外が長かったから僕自身も作品を見たことがなかった。それですぐさま送ってくれたビデオを観て衝撃を受けた。こんな舞踏は見たことがない!って。それで「日本でダンスをやってほしいです。僕もお手伝いをします!」とお伝えして、しばらく室伏さんの制作的なことをしていたんですね。

大谷:僕の場合は、それこそ桜井さん企画のイベントが初めての室伏鴻でした。

清澄白河のSNACで行われた企画ですね。桜井さんの吾妻橋ダンスクロッシングと現代美術ギャラリーの無人島プロダクションが共同で借りていたスペース。

大谷:室伏さんが帰国して2日間時間が空いているから、何か企画をやらないかという話で。ちょうど2011年で東日本大震災の後だったんですよ。直前までChim↑Pomが展示をやっていて。

桜井:「REAL TIMES」展ね。展示で使っていた仮設壁=作品を床に倒して、それを舞台にして踊ってもらった。

大谷:僕は2005年くらいからパフォーミングアーツに積極的に関わるようになっていて、作品を見たのはもうちょっと前なんですけど、一緒に話すというのはそれがはじめてで。今でも忘れないんですけど、スピーカーの配置がヒドくて、位相がぶつかっちゃって音量が出なかったんですよ(笑)。それで「これじゃあだめですよ」なんて位置を直したらいつの間にかイベントのPA担当になっちゃった。室伏さんが持ってきたCD音源を「ここのタイミングでかけろ」って指示されて。

ゆるい(笑)。

大谷:それが1日目で「じゃあ、明日はもうちょっと本格的にやりますか」って流れで、自分の機材持ってきてDJするっていうのがその場で決まったんです。古本屋で古本買ってステージに投げ入れるという演出まで担当しましたね。それで打ち上げでは楽しく喧嘩したり。

桜井:怒って思わずコップの水をぶっかけたりしてね(笑)。

大谷:その後も2014に一緒にウィーン行ったりとかして、南米にももしかして行けるかもしれなかったんですが、予算的な問題で断念したんですよね。僕はもっぱらダンサーとミュージシャンとして付き合った感じです。もっと続けたかったです。

お話をうかがっていると、お二人とも楽しい諍い、楽しいトラブルからの出会いという感じが。

大谷:舞踏の人は喧嘩っ早いですよね(笑)

桜井:室伏さんは優しいよ(笑)。舞踏やダンスには厳しいけれど、人に対しては分け隔てなくリスペクトし合えるような、ジェントルマン。

大谷:若手の作品をちゃんと見に行くんですよ。いきなりふらっと来る感じ。日本にいる時はほとんど毎日何か見てたんじゃないかな。

舞踏の外へ/室伏鴻の身体性

お二人とも、舞踏の「外」に向かった人として室伏さんを捉えてらっしゃいますが、実際に作品から受ける印象はどのようなものでしたか?

桜井:舞踏のある典型的なイメージってありますよね。白塗りで汚いボロみたいなのを着て、ゾンビみたい、あるいは日本の土俗的なもの。そういう印象が一切なくて、ただ身体一つだけあるっていう感じ。美術や衣装、物語や音楽で、おどろおどろしさ、シュルレアリスティックなイメージや、東洋の神秘とかオリエンタリズムを出すみたいなことは一切やらなかった。モダニズム的、ミニマリズム的と言ってもいい。室伏さんのダンスを見ることで、土方巽が考えていた舞踏の本質的な部分が逆にすごくわかる。

舞踏の本質とは?

桜井:土方が始めた舞踏っていうものは、やっぱり身体の現前、物質としての身体だと思うんですよ。ヨーロッパのバレエのような、物理法則に反して上方向に向かおうとするイリュージョン的なダンス概念とは違う、あくまでも重たい身体の物質性、存在を現前させる。そこには、舞踏の現代芸術としての側面もある。

大谷:僕も同意見で、室伏さんはモダンな人でしたね。僕の出自は即興演奏で、テーマ系が完全に同じなんですよ。物語がなくても作品を成立するためにはどうしたらいいか。手駒がほぼない状態で作品を成立させるためにはどこまで切り落とせばいいのか。そしてそこからどんな可能性があるのか。そうやって熟考していた結果、1960年代後半にインプロビゼーションの人々が辿り着いたのが、何にも頼らないまま演奏できることが一番遠くまで行ける演奏であるという論理。室伏さんは舞踏をモダンアートの文脈で捉えて、かたや僕は音楽でそれをしている。20世紀の現代美術の一潮流のテーマを引き受けているっていう意識はお互いはっきりありましたから対話も作品もすぐに共有できました。それに加えて、二人でいろいろ喋っていたのは音楽の話で、ソウルミュージック、ブラックミュージックの時間性や空間性について。ブラックミュージックの時空間をコンテンポラリーダンスにもう一回取り戻せないか、みたいな話をよくしていましたね。

桜井:ADX4KMの広報用に、鼻にティッシュを詰めた室伏さんの写真を使っているんだけど、すごくナンセンスでしょ。でもダンスもとてもかっこいい……というか両方ともかっこいいんだけど(笑)。ダンサーって自分に対して陶酔するような、ナルシスティックなキャラクターが多いけれど、室伏さんは自分の身体を客体視しようという意識がはっきりしていて、瞬間的にいろんなものをどんどん切断していくタイプの踊り方をしていた。

鼻にティッシュを詰めた室伏さんの写真

大谷:自分のメソッドを自ら打ち消すわけではないけれど、加速させつつ意識的に止めるような方向性がありましたね。僕はそれを「散文的」だと思っていて、ある種の分裂状態を常に抱えているから、ナルシスティックにならない。わかりやすく統合されていないから、ダンスを見ていても何が起こっているのか把握しきれない。

桜井:ガーッと踊っているのに、いきなり客席を向いて「べつに(ダンス中でも)しゃべったっていいんですよ〜」とぼやいたり(笑)。舞踏を現代思想に置き換えて語ることが時々あるじゃない。例えばジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの「生成変化」ってあるけれど、それをまさに実体化したのが室伏さんなんですよ。大抵のダンサーは型にハマった踊りをするのが普通だし、分裂的に見えても、それは単にでたらめ踊りしているだけで、陶酔している点では変わらない。

大谷:そうなんですよね。

桜井:室伏さんのダンスを目で追っていると、例えば即興演奏のフレージングに似ているわけ。落語の話法や、相撲の取り組みにも似たところがあると思うんだけど、スッと外す手腕が巧み。そこにグルーヴが生まれる。

桜井圭介さん

大谷:グルーヴってあるフレーズを反復的に回転させれば発生すると思われがちだけど、そのままではグルーヴにならないんですよね。

桜井:それだと単に盆踊りになっちゃう。

大谷:イメージとしては回転するギアが何個も同時に動いていて、それが見えないところで噛み合って、最終的には全然読めない複雑な動きとして現れる。僕は音楽家だからやろうとしているのが読み取れて、その難易度の高さに驚かされるんですが……かといって難解ではないのがまた凄いところで。

桜井:単純に、見てておもしろいんだよね。

大谷:おもしろいんだけど、技術的にはめちゃくちゃ高度(笑)。自分でやってみればわかるけれど、ポリリズムを作るだけでも難しい。そもそも自分の中にそういう世界観がないと絶対できない。よいダンサーは無意識的にやっているんですけれどね。

室伏鴻と過去に遭遇せよ

「ADX4KMは室伏さんが苦笑してしまうようなものにしたい」とおっしゃっていましたが、具体的にはどんな内容になりそうですか?

大谷:現在形でものを作っている人、常にトライアルしているタイプの人を集めたことは確かです。全員が違う方向を向いて作っているので、それこそ室伏さんじゃないですけれども、バラバラな状態のものを一つの全体として体験してほしいですね。

桜井:全部で19人の参加者がいて、それを組み合わせて2日間で7組の演目を組んでいるんだけど、今回は異質なものの出会わせ方を大事にしている。マルセル・デュシャンのミシンとコウモリ傘じゃないですけど(笑)。室伏さんはそういうことにすごく敏感な人だったから、予想がつかないっていうことも面白がってくれるんじゃないでしょうか。過去の吾妻橋ダンスクロッシングと違う点を挙げるなら、今回はよりハードコアになっているんじゃないかな。「お祭りだ!」って感じにはならないと思います。

大谷:シリアスな人たちばかりじゃないけれど、全体としてシリアスに寄っていく気がします。

大谷能生さん

桜井:吾妻橋ダンスクロッシングは、その全体をショーとして完成度を高めるようにして作っていたんだよね。この演目の次はやっぱこれでしょ、とか、「ここは5秒開ける」とか「ここは詰める」とか、ミックステープを編集している感覚があった。ダラダラしているのが耐えられなかったので。でも僕も歳をとって、穏やかになったというか、気にならなくなったというか(笑)。全体の流れよりも、演目一つひとつの質、あるいは異質性をちゃんと伝えたいと思っている。そういう意味でハードコアなんです。

「ADX4KM」だけでなく、トークセッション、70年代から近年までの室伏さんの記録映像、そしてVOL.1で上演された『墓場で踊られる熱狂的なダンス』『DEAD 1』の再演もありますね。

桜井:その全体で、室伏さんがやりたかった「<外>の千夜一夜」なんですよ。ダンスに特化したフェスティバルじゃなくて、ダンス以外のことに触れて、議論するというものがやりたかったんだと思う。僕もVOL.1ではダンスについてじゃなくて、三田格さんと「デモンストレーションとしての表現」というタイトルで、デモ行為についてトークしてたし。

大谷:僕はニコニコ動画の「踊ってみた」とか初音ミクを見て、木村覚さんと話しましたね。それで客席から「長い!」とか言われて「うるせー!」ってまた喧嘩になる(笑)。

桜井:ダンスの外のことを扱う、あるいはダンスが外へ向かって拡張していくためのプログラム。VOL.2もその意識を持っているし、同時にふざけたことをやる。それが結果的には室伏さんへの追悼になると思っています。惜しい人を亡くしましたね、と言って偲ぶようなレトロスペクティブにはしないです。

現在志向、未来志向というか。

大谷:いや、未来のことなんて考えないですよ。過去からの連続性の延長に現在があって、さらにその先に未来があるのは当然のことであって、それが素晴らしいものになるかダメダメなものになるかなんて予想できません、としか言い様がない。むしろ、みんな過去のことを忘れすぎですよね。過去の営為や蓄積を使い切ってないのに未来とか言う人が多すぎる。室伏さんの活動の中にある可能性はまだ全然使い潰されてなくて、だからこそVOL.2をやるわけですから。20世紀はレコードと映画の時代で、記録されて常に残り続けるものとどう付き合うかっていうことが近現代の大きなテーマですよ。

映像や音楽の登場・流通によって、知ることのできる過去が圧倒的に増えたわけですからね。

大谷:だから未来よりも過去について考えることで、思考が活性化し始める。「ダンスの過去はどうなりますか?」って聞かれた方が圧倒的に楽しい。

桜井:僕もそれはいくらでも考えられるな。

大谷:例えば「年末のシルヴィ・ギエムはどうだったんですか?」って話になると、猛烈に頭が回るわけ(笑)。室伏さんが亡くなっちゃって、当然彼の作品や活動は過去になっていくわけだけれど、室伏さんの今までやってきたことは今も未来に向かっているはずで、過去と付き合うことは未来に付き合うこととイコールなんだと思います。

室伏鴻との遭遇、過去との遭遇ですね。それに対して、桜井さん、大谷さん、そしてアーティスト、批評家たち生者が、亡くなった室伏さんを挑発していく。

桜井:ucnvに室伏さんのパフォーマンス映像をズタズタにグリッチングしてもらおうと思っているんですよ。変容した室伏と音楽家が一緒にセッションするっていうのが20日の「ucnv×スガダイロー×パードン木村」、21日の「ucnv×空間現代」なんですよ。普通の映像上映をダンスクロッシングの中でする気は全然なかったけれど、そこだけは室伏鴻をズタズタにして甦らせる(笑)。解体と分析、そしてビルドみたいな。

大谷:そこまで行きたいですよね。

<外>の千夜一夜 VOL.2 『赤レンガダンスクロッシング for Ko Murobushi』桜井圭介 大谷能生 インタビュー

室伏鴻 プロフィール
(1947~2015)土方巽に師事、麿赤児らと「大駱駝艦」旗揚げに参画。その後、自身のグループ「背火」と女性舞踏集団「アリアドーネの会」を率いて、ヨーロッパを中心に活躍。近年は、比類なきソロ・パフォーマンスと「Ko & Edge」を始めとする若い世代を起用した作品で、国内外において精力的に活動を展開。2015年6月18日、メキシコにて死去。

桜井圭介 プロフィール
音楽家・ダンス批評。「吾妻橋ダンスクロッシング」オーガナイナイザー。

大谷能生 プロフィール
1972年生まれ。音楽(サックス・エレクトロニクス・作編曲・トラックメイキング)/批評(ジャズ史・20世紀音楽史・音楽理論)。菊地成孔との共著『憂鬱と官能を教えた学校』や、単著『貧しい音楽』『散文世界の散漫な散策 二〇世紀の批評を読む』『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』など著作多数。音楽家としてはsim、mas、JazzDommunisters、呑むズ(美川俊治/HIKO/大谷)、蓮沼執太フィル、「吉田アミ、か、大谷能生」など多くのグループやセッションに参加。ソロ・アルバム『「河岸忘日抄」より』、『舞台のための音楽2』をHEADZから、『Jazz Abstractions』をBlackSmokerからリリース。映画『乱暴と待機』の音楽および「相対性理論と大谷能生」名義で主題歌を担当。東京デスロック、中野茂樹+フランケンズ、岩渕貞太、鈴木ユキオ、室伏鴻、大橋可也+ダンサーズほか、演劇やダンス作品への参加も多い。近作は『マームとジプシーと大谷能生』(CD+DVD)、入江陽『仕事』(CD)のプロデュース、『海底で履く靴には紐がない』(山縣太一作・演出・振付作品)に主演など。

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