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美術・写真

鴻池朋子インタビュー |「これまで」を受け止め、前進していく身体がほしい

鴻池朋子インタビュー |「これまで」を受け止め、前進していく身体がほしい

Interview&Text:内田伸一  Photo (Portrait):西野正将

幻想的な異界を往来するような表現を、多彩な手法で紡ぎ出してきた鴻池朋子。彼女にいま、大きな変化が起きている? 首都圏では6年ぶりとなる神奈川県民ホールギャラリーでの個展『根源的暴力』は、その変化を直に体感する場となる。2009年当時の集大成『インタートラベラー 神話と遊ぶ人』展から、時を経て変わったもの、変わらないものとは——。美術の外へ向かう旅のような東北でのプロジェクトや、「自分の中に何もなくなった」時期を経て辿り着いた、現在地点について聞いた。

作家の「支配力」への違和感

「インタートラベラー神話と遊ぶ人」《シラ-谷の者、野の者》/2009 /©Tomoko Konoike

「インタートラベラー神話と遊ぶ人」《シラ-谷の者、野の者》/2009 /©Tomoko Konoike

——鴻池さんはこれまで、絵画、彫刻、アニメーションなど多彩な手法で、神話的とも言える世界を見せてくれました。ただ、最新個展の事前資料からは、従来とは大きく変わった面も感じます。たとえば、かつてのように襖やキャンバスではなく、縫い合わせた牛皮に絵を描いた作品、また土を使った焼き物など。これらはどこか原初的・野性的な趣きもありますね。

鴻池:あるときを境に、すべてが変わったわけではありません。でも、2009年の大きな個展『インタートラベラー 神話と遊ぶ人』(東京オペラシティ アートギャラリー)と、2011年の東日本大震災は大きな区切りだったと感じます。あの個展をつくる過程で、自分の中で思わぬ力のようなものを自覚する体験がありました。それは、大きな展覧会をコントロールするための作家の「支配力」のようなもので、今まで体験してこなかった奇妙な感覚でした。

——作家が展示において作品と観衆の関係をある程度コントロールするのは、自然なことでは?

鴻池:もちろん、大きな個展だったので、作家としてそれをまとめ上げる力も必要なのは明らかでした。結果としてそれが展覧会の質を上げた気もします。ただ、今まで好きなように作っていた自分がそうした力を使っているのに気付いたとき、すごく違和感もあったんですね。この力は私が望めばもっと使えそうだという恐さと同時に、この先それを突き詰めても、何かつまらないことになってしまう予感もありました。ともかく、違和感も含めこの感覚に出会えたことはよかった、忘れずに覚えておこうと思ったんです。

鴻池朋子

——単にアーティストとしての成長や進化というより、大きな分岐点になったということでしょうか。

鴻池:同年、霧島アートの森での個展『インタートラベラー 12匹の詩人』が対照的な環境だったことが、さらに考える契機になりました。オペラシティのアートギャラリーは、都会の中で、美術鑑賞を通して哲学的とも言える体験に没入できる空間だと思う。対して霧島アートの森は、13ヘクタールの敷地を持つ場所です。与えられた環境は、大きな森を含む空間で、閉じていない。これをどう活かすべきか混乱したし、かなりタフな経験でした。悩む中で、屋外にロープを張って自分なりの順路を、獣道のように作り始めたり(苦笑)。でも、最終的に手応えのようなものは残りました。

——作家活動を続ける中で当たり前の存在のようになっていた「美術展」というものをとらえ直せた?

鴻池:展覧会というのは様々な意味で、作品が守られた中で設置されるものなのだなと改めて感じました。でも本来、作品の多くは日光や雨風に晒されたらひとたまりもない存在です。また、美術展はオープンすれば関係者に「おめでとう!」といった言葉を頂くことが多く、率直に批判をしてくれる人は少ない。そうした美術という「システム」の中にいる認識が自らの内にないと、いわば括弧つきで観てくださいという感じなのだなって。ただ、そんなモヤモヤのなかでも、作品はつくり続けていました。

インタートラベラー12匹の詩人 (c)Tomoko Konoike 2

「インタートラベラー12匹の詩人」展/©Tomoko Konoike

かつての営みから離れて

——もうひとつの契機、東日本震災は鴻池さんにどんな変化をもたらしたのでしょう? 震災後、人々から本の寄贈を募り、持主とその本のエピソードと共に被災地に届けるプロジェクト「ミミオ図書館」などを主宰しましたね。

鴻池:あの震災の後、私もいてもたってもいられず、何ができるわけでもなく被災地を訪ねました。当初の行動が現地にとって良いことにつながったのかどうか、確信はありません。ただそれらの体験も通じて、近しい人でも色々と考え方の違いがはっきり見える場面が増えました。震災の後はそうしたことへの洞察力が自然と鋭くなったせいもあるでしょう。そんな中で、自分がそれまでと全く同じ生活を続けていくのも何か違う感じがしてきたんです。

——この時期、アトリエを引越したり、それまで契約していたギャラリーから離れたり、ということもあったようですね。

鴻池:はい。いちど東京から距離のある場所で何かやろうという気持ちもあり、出身地でもある秋田での試みも始めました。そのひとつ「東北を開く神話」プロジェクトは、私ではなく地元の参加者が各々の作品をつくるもので、私は一対一で彼らの相談にのる形をとりました。最初、声をかけてくださった地元の担当者は私の個展を望んでいて、でも私はそれとは違う何かにしたかった。風土も状況も違うのに、やること、見せるものがいつも同じ構造でよいのかという疑問があって……。それは美術館という存在を否定するのとも違うのですが。

——そこでは、職業も年齢も様々な方々が作品をつくったとか。

鴻池:はい。絵が好きな方もいましたが、料理好きのおばちゃん、大工仕事が得意なおじさんなど様々です。現代美術とは縁遠いおかあさんが「こんな塔を作って、上から水が流れてね……」といった感じで構想を熱弁してくれる。でも皆さん実現方法までは考えていないので、それも含め私のほうで引き出し、手助けする感じです。そうして生まれたものは、一般的な美術の尺度では評価しづらいかもしれない。でも私には大きな驚きと喜び、そして興奮がありました。

ミミオ図書館石巻/美術館ロッジ壁画 ©Tomoko Konoike

写真左より:ミミオ図書館石巻/美術館ロッジ壁画 ©Tomoko Konoike

——何かを与えるだけの創作者でも、受け身の鑑賞者でもなく、という立場でしょうか。

鴻池:そうして約40人もの相談を受けるのは、まるで八百万の神々の欲望に、たった一人の人間である私がふれるような体験でした(笑)。当時、色々あって自分の中に何もない時期だったこともあり、実際は私の方が、彼らからものづくりの新しい方法を学んだとも言えます。さらに、完成作を集めた展示を見に来た人々は、とても賑やかに話し出すんですね。「これは何だべ?」と、皆さんやかましいほど手と口がよく動く(笑)。いわゆる双方向なアート体験とも違う、野性味のある何かを頂いた気がします。

——そうした期間も、サンフランシスコでの個展や、東京都心の複合施設・ワテラスでの大型パブリックアート(いずれも2013年)などがありましたね。

鴻池:ええ。そうした場では「今までの鴻池朋子」を期待されるのを感じ、自分もそれに応えるようなところがありました。ただ段々と、それだけを続けることに息苦しさも感じてきた。そこで、少しずつ手探りで変わっていった感じです。秋田では「美術館ロッジ」というプロジェクトも行いました。美術館といっても、実際は山間地の山小屋などに仲間と作品を運び込んで設置する試みです。いわゆる美術展としての成功や失敗という考え方を離れてもいいか、という実験的な気持ちで取り組みました。

——そうした試みが、やがて動物の革に描くような作品や、粘土、焼き物などの表現にもつながっていった?

鴻池:粘土は最初、自分が何もできなくなった中で、手に取ってこね始めたのがきっかけです。半年か1年くらいかな、とにかく手が喜ぶことを探してあげる時期がありました。革との出会いも近いものがあります。革は触わるとクッションのようにふかふかで、傷をつけることで線になる。その「傷つけている感じ」は、紙に描く絵にはない彫刻的な感覚もありました。

タイトル未定 2015 牛革、クレヨン、水彩 600x2400cm (c)Tomoko Konoike 2
展示予定作品《タイトル未定》/2015/牛革、クレヨン、水彩/600x2400cm/©Tomoko Konoike

——かつて生きていた動物の一部でもあり、生命力と同時に、それを用いる際には畏れを感じるような対象かとも感じます。

鴻池:絵具を塗ると水分を吸い込むのも、また生き物のようで。当然ですが表と裏で感触も違うし、伸ばしたものに触るとボヨンと弾んで、赤ちゃんがいる胎内を連想させるところもあります。さらに、日に焼けて変質することでも絵が変わっていく。美術では経年劣化とされるネガティブな要素ですが、生活がそのまま現れるようでもあります。今の自分が対峙すべき相手として不足無し——そんな気持ちも自然と抱きました。

——素材と同時に、表現するうえでの姿勢にも変化があったのですね。

鴻池:震災後、目で視ることが今までのようには信用できなくなった私にとって、触感がより大切になりました。「手で視る」「さわって描く」感じ。反面というか、だからこそなのか、私がそこで描く絵は言ってみればとても説明的です。ここに心臓が描いてあって……とかそういう感じ。それは描く支持体のほうに強い存在感あるからで、私はそこにお化粧を施すような感覚です。

——「絵画とはこういうもの」という束縛から開放される感覚もありますか?

鴻池:キャンバス上で象徴やメタファーに基づいて描かれる、西洋的な絵画のあり方も理解はしています。ただ、今の私は「絵画とは崇高なもの」という感覚もなく、ただ自分の絵を描いています。私の手は作品づくりだけでなく、日々、洗濯も料理もしている。画材を触わる営みは、そうした生活の一部としてあるものです。

——今回は秋田県立博物館の協力で、縄文時代の土器なども展示に共存させるそうですね。

鴻池:古代の土器は、博物学的には専門的な分類法などで整理・考察されます。でも、それだけでは見えないものもまだあるのではという話を彼らから伺って、なるほどと思ったんですね。それは、まさに美術でも同じだなと思った。たとえば生み出された時代順ではなく「形がいい」「手触りがいい」を手がかりに並べると、何かが起こるかもしれない。そのとき私は、観客は何を感じるのか? 今そうしたことにも興味があります。

「つくること」の暴力性を認めた先に

——個展タイトルの「根源的」に「暴力」という言葉をつないだ真意は?

鴻池:「つくる」とは、それまで世界になかった何らかの杭を立てることですよね。建築や道路など、現代の生活に必要なインフラもそう。でも杭を立てられた側=自然は、傷つくこともある。ある意味、自然に対する不自然であり、摩擦抵抗になる。それを暴力とも呼べるでしょうし、つまり、相手がいるということです。そう考えると、私がこの世界で何かつくるときも、それは必ず何かとの関係性の中で立ち上がるものだとも思えます。

12人のホイト 2015 牛革、ミクストメディア (c)Tomoko Konoike 2

展示予定作品《12人のホイト》/2015 /牛革、ミクストメディア/©Tomoko Konoike

——文明や、美術のような創造行為にもそうした暴力性がある。その上で、なぜつくるのか、何をつくるのか―—という根本的な問いに向き合いたい?

鴻池:私自身は、自分のやっていることをアートという枠組で見せることの意味を改めて考えるようになりました。ただ、建物も、本も、料理も……誰もが日々、何かをつくっています。これまで私たち人間は本当に色々なものをつくってきましたが、それで幸せになるのか?という問いも常にある。特にここ数年は、自分たちでコントロールできないものがあると思い知らされた日々だったとも思います。

——たしかに、震災と復興や、原発の問題、最近では東京オリンピックを巡る大型施設計画など……。「つくること」の意味を改めて考えさせる出来事は多いですね。

鴻池:つくられたものを視る・観る側も、変わってきたということでしょう。なのに自分を含めアーティストが変わっていかないというのは……。私が自分に感じてきた息苦しさも、そこからくるのかもしれません。それを考えるために、自己表現みたいなことはいったん取り払い、「つくること」を考えてみたい。

——作品の変化の背景には、そうした想いがあるのですね。

鴻池:美しい絵をみてうっとりする体験も、素敵なものです。それは「今」を忘れさせてくれますが、それを否定するつもりもないんです。否定すると、結局また次の何かに否定される。そうではなく、引き受けた上で前に進むこと。そしてそれは、ただ一人で一方向的にメッセージを発することとも違う気がしています。できれば多くの人と一緒に、それを考えられたらと思う。

——変化を感じる一方で、従来から継続するものも感じます。たとえば、「異界」とこちら側を行き来する感覚や、物語が宿るような世界観など。

鴻池:そうですね。でも、作品が「物語る絵画」といった評を受けるとき、それって一体どういうこと?とも思っていました。自分でもそのことを考えながら、物語の生成そのものをみることができるプロジェクトを試みたのが、「物語るテーブルランナー」です。これは、やはり秋田のおばちゃんたちに、自分たちの悲しい話、大切な話、驚いた話を聞き、テーブルランナー(食卓の一部にかける布製クロス)に描いていくもの。彼女たちの話は、端で聞くと大したことのない出来事にも思えますが、そこに「私とは何か」を問う近代より以前の野太さ、逞しさも感じました。

鴻池朋子

——それら大きな時代の流れからすれば、または美術という世界からは「周縁」かもしれませんが、立ち位置を少し変えればまた違うことになりそうです。

鴻池:こうした物語は「おとぎ話」の原点でもあると思うんですね。歴史に大きくは記されない口伝えの話、いつか作者不詳になるような……。一応どれも起承転結がありますが、実は結末はさほど重要ではない。有名な「赤ずきん」のお話にも結末はたくさんあります。大切なのは、何かと出会って、戻ってくることなのではと思う。ときには魔法のような出来事でガラッと立場や状況が変わりますが、現実にも同じようなことが起きますよね。

——個展に連動して開催されるArt Complex 2015「異界婚姻譚〜同じものではいられない」について伺います。Art Complexは、現代美術とダンスや音楽など他領域の表現が関わることで、新たな創造を試みるプロジェクト。これまでも神奈川県民ホールの現代美術展にあわせ、開催されてきた企画です。

鴻池:今回は個展の空間を使い、アーティストでホーメイ(ロシア連邦トゥバ共和国に伝わる喉歌)の歌い手でもある山川冬樹さんとご一緒します。またその監修を、おとぎ話・比較文学研究者の村井まや子さんにお願いしました。

——山川さんや村井さんの活動も、それぞれ異なる角度から鴻池さんの関心と交わる点がありそうで、楽しみです。

鴻池:展示中盤の大きな空間に建てる「つぎはぎ小屋」が舞台になります。そこで山川さんがモノになったり人間になったり、「あちら側」と「こちら側」を行き来するパフォーマンスになりそうです。そのひととき、それこそおとぎ話のような、異なる時間軸への穴があくようなことができたらいい。それは皆さんが思う「おとぎ話」とはだいぶ違うかもしれません。でも「○○とはこういうもの」という定義付けや、ハウツー的説明でもない何かをいま私は欲しています。

―—最初にお話した表現者としての「支配力」みたいな場所からは、ずいぶん遠い場所に進み出しているように感じます。

鴻池:そうですね(笑)。閉じるよりも、開いていきたい。たとえ収集がつかなくなりそうでも、それはやっていきたいです。

——今回のArt Complexのタイトルに「同じものではいられない」という言葉があります。これを鴻池さんの言葉「どこかに行き、戻ってくることが大切」と重ねるとまた興味深いですね。試行錯誤し、変化しつつも、また美術や美術展という場へ挑むことになるのでしょうか?

鴻池:私自身は、変わっていないと思える部分もあるし、一方ですべてが入れ替わっている可能性もあるように感じます。だからこそ、身体が先に反応した。これだけ大地が不安定に揺れているときですから、その上にあるものも変わっていくのは当然でしょう。皆さんも何かしら、ぎくしゃくしている部分があるのではないでしょうか? でも逆に、安定していると生じない力が、そこで生まれることもあるのかもしれません。

——最新個展は、今日伺った鴻池さんの体験を、観る側がそれぞれ受け止め、考える場にもなりそうでしょうか?

鴻池:私の中で起こったことを、割と時系列に近いかたちで展覧会に反映するつもりです。お話したような心境からも、今は結果や結論ではなく「途中」をきちんと見せる展覧会をつくれたらと考えています。そこで観客の皆さんと一緒に、考え、悩んで、そして遊びたいと願っています。「きっと、あなたもね」という感じで。

根源的暴力

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