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美術・写真演劇・ダンス

ヨコハマトリエンナーレ2014 高山明 インタビュー 前編

ヨコハマトリエンナーレ2014 高山明 インタビュー 前編

Interview :小林 晴夫(blanClass)
Text:井上 明子  
Photo:西野 正将

これまでに《完全避難マニュアル》《国民投票プロジェクト》《光のないⅡ》《東京ヘテロトピア》など従来の演劇から一線を画するツアー型という独自のスタイルで演劇作品を発表してきたPort Bの高山明さんが、ヨコハマトリエンナーレ2014に《横浜コミューン》と題した新作を発表予定だ。今回の作品は、10月30日から11月3日にnitehiworksを会場に上演される予定だが、先日まで、作品のイントロダクションとなる一部が、ヨコトリ2014会場の横浜美術館に展示されていた。この2つの要素によって構成される今作には、いったいどのような仕掛けが施されるのか…。作品制作途中の9月中旬、直接高山さんにお話をお聞きすることができた。過去の作品も踏まえつつ、今回の高山さんの作品制作についてインタビューするのは、blanClass代表の小林晴夫さん。

《横浜コミューン》とは

小林:はじめまして。よろしくお願いします。先日、ヨコトリで横浜美術館に展示されている高山さんの作品を拝見しました。
過去の作品タイトルに、「ヘテロトピア※1」というキーワードがあると思うんですが、今作はそれにも少し繋がるようなものを感じました。つまり今回の美術館に展示されている作品は、“ある地域の中でマイノリティとされている人々”に注目した作品ですよね。逆に言うと、マジョリティ側からみたマイノリティのあり方、もしくはその関係自体が安定しているものではないというような感覚を受け取ったんですが、まずは、今回の美術館に展示されている作品について、それからそれが今後展開されるnitehiworksでの《横浜コミューン》にどのように繋がっていくのかをお聞かせください。

高山:横浜美術館に展示されている作品は、主にベトナム、ラオス、カンボジアなどといったアジアの人たちが日本語で話す声と字幕で構成された映像モニターの作品なんですが、それらは、これからnitehiworksで展開する《横浜コミューン》のためのプロフィール紹介のような導入として機能しているんです。

高山明 / Port B ヨコハマトリエンナーレ2014作品展示風景

高山明 / Port B ヨコハマトリエンナーレ2014作品展示風景
撮影:山本真人 写真提供:横浜トリエンナーレ組織委員会

今は声と字幕だけですが、その人たちがある瞬間から肉体をもってモニターごと黄金町に引っ越して、身体を伴ったパフォーマンス作品になるというのが作品の大枠なんです。

小林:つまり、美術館に展示されている黒いモニターから聴こえてくる声の持ち主が、パフォーマンス作品に出演するということですね。

高山:そうです。彼らは全部で6人いるんですが、パフォーマンス作品になる時には新たにもう6人を招いて総勢12人になる予定です。

設定としては、1対1の日本語学校のようなものにしようと思っています。
つまり、6人の日本語を母語としない生徒と、6人の先生が、10月30日~11月3日の毎日3時間(16:00~19:00 ※11/3のみ15:00~18:00)nitehiworksに現れるということになります。ちなみに先生になる人たちは、横浜の寿町※2にいる方々にお願いしようと思っています。今回は「移動」がテーマなんですが、生徒となる6人はアジアの各国から、様々な手段で、例えばボートにのったり、歩いたりしながら移動してきた人たちで、一方先生となる寿町の人たちも、かなり移動した果てに寿という町にたどり着いている方が多いと思うんですね。その12人が黄金町のnitehiworksで出会うというものです。そこでどういう授業が繰り広げられるのかは今考えているところなんです。

高山明

小林:寿町の人も、紆余曲折して寿町に流れ着いた人ってことですよね。その、流れ着いた、あるいは辿り着いたというのは、今回の大きなキーワードということになりそうですね。

高山:はい。もしかしたら一時的にかもわからないんですが、漂流した末に今横浜に滞在していて、その人たちが出会って日本語学校を開く。本当は先生も生徒も曖昧で境がなくなってしまうっていうところがポイントなんですけど、建前としては日本語を母語としている人が先生で、アジアの人が生徒ということになると思います。実際は先生よりも生徒の方が日本語ができるということも充分考えられるし、その境はかなり曖昧なところですが、その人たちが一緒のテキストを読んで、そのテキストについてお互い話すということを永遠と5日間展開します。

小林:5日間のうちパフォーマンスが展開されるのが3時間。結構長いですよね。お客さんはどこでどのようにそれを観ることになるんですか。

高山:nitehiworksってちょうど中2階みたいになっているので、そこから覗き込むように観ることになります。教室といっても、一対一のタンデム※3みたいなものになる予定で、そのままでは何を話しているのかわからないと思いますが、各テーブルで繰り広げられている会話を聴くために、ラジオを用意して、お客さんが自分でチューニングをあわせて会話を聴けるようにします。テーブルの数は6つです。

会場となるnitehiworks(設営前)

写真:会場となるnitehiworks(設営前)

小林:空席のテーブルをセットとして象徴的に配置するわけではなく、そういったファンクションを持たせるんですね。
高山さんは今回のようにトランスミッター※4とラジオのセットで音声を飛ばす手法を何度か使っていらっしゃいますよね。閉じた部屋の空間であれば、別の方法もあると思うんですけど、ラジオっていうのは特別な意味があるんですか?

高山:個人的なものなんですけど、震災以降ラジオをよく聴くようになったというのもあって…。ラジオってラジエーションっていうくらいだから、見えないけど広がるっていう性質がありますよね。放射能も同じように見えなくて広がるものだけど、一方は人体に悪影響を及ぼして、もう一方は声に変換されるっていうのはなかなかいいなぁと思って。あとは電池なので電源もいらないし、いろんな意味で自由度が高いことも理由の一つです。

小林:観客がインタラクティブに操作することもできますしね。要するに、観る人が考える装置ということですね。

高山:はい。ツールとしても機能していて、あとはチューニングする作業も単純に身振りとしておもしろいというのもあります。

小林:お客さん同士もその身振りを観ることになるんですか?

高山:そうなりますね。パフォーマンスを観るための席があるわけではないので、もちろんしゃべったりお茶をのみながらでも観てもらえるような自由なスペースにしたいと思ってます。だからお客さん同士の交流は多分あるんじゃないかな。っていうかあったらいいな。

都市を切り取る時の“視点”について

小林:都市を捕まえようとするときに、どういう着眼点で、都市の何を切り取るかということがすごくポイントだと思うんです。写真や映画は切り取る作業を象徴するメディアですが、都市を演劇として切り取るということをされている高山さんが留意している点や切り口って何なんでしょうか。

高山:それは作品によるということもありますが、実はどういう風に自分が都市をみているんだろうっていうのは、自分でもあまりよくわかってないんですね。

小林:建築だったり、写真だったり、映画だったりっていうメディアの問題のようでもあるけど、同時にそれぞれの形式が持っている概念の問題でもあるというか…。つまり高山さんは演劇という概念を拠点として都市を切り取る、そしてそれは、社会学者が都市に発見した演劇とは逆のことをしているとおっしゃていますよね。僕からみて特徴的に感じるのは、声とか、繋がっているようで切り離されているようにも見える振る舞いみたいなもので…。それが高山さんの目によって、あるところで重なった瞬間を捉えて反応しているような気がするんです。それはなんなんだろう…というのがすごく知りたいと思って…。

高山:それが何かっていうのはあんまりわかっていないっていうのが正直なところで…。
とにかくリサーチのときに町をよく歩くのは確かで、歩いているうちにいろいろと思いつく。それでやってみようってなるのがほとんどなんですね。都市をこう観ようという意志がほとんどなくやっているということは間違いないですね。

小林:ただ、観た上で、それを都市に戻すということをされていますよね。

高山:そうなんです。演劇は僕の立ち位置ということもあり、なんとなく演劇的に都市を観ているのは間違いないんですね。でも、演劇をどう都市の中に落としこむかという時に、まず確実に言えるのは、演劇は隠した方がいいということなんです。だから、「演劇的なことがあまりあからさまに起こらないようにやろう」という意識はかなりあります。もう一方で、例えばそれが写真の時もあるし、今回のように語学学校の時もあるんですが、演劇以外の分野と結びつこうという傾向も、僕の中には強くあります。

小林:写真と言えば、2011年の《光のないⅡ》※5では、土屋紳一さんと一緒に仕事されていましたね。実は彼は僕の友人なんですよ(笑)

高山:そうでしたか。あの時はすごくいいコラボレーションができました。

<img alt="《光のないⅡ》2011 撮影:蓮沼昌宏

《光のないⅡ》2011 撮影:蓮沼昌宏

高山:この時は、福島の報道写真とか避難区域で撮られた写真を、何千枚って集めて、それを観る作業を土屋さんに一緒にやってもらったんですよ。彼が、「だからこれは報道写真なんだ」とか「これは報道写真ぽくない、なぜかというと…」というように説明してくれて、「じゃあ報道写真ってなんだろう」とかいう議論をひたすらやることで、どうやって写真を使えばいいかという精度をひたすらあげていったんです。そういうふうに写真を作品の中に取り入れているんだけど、いわゆる土屋さんに撮ってもらうというのではない関わり方を一緒に模索しました。そのような他メディアとの結びつき方は好きです。

小林:高山さんが、いろいろなメディアと接続するのはそういう意味があるんですね。

高山:演劇を揺さぶってもらうために写真に登場してもらって、
でもやっているうちに今度は写真の方も演劇に干渉されるというような関係性がおもしろいなと思って。

小林:なんかこう、入り口と出口が逆転しているっていうか、リサーチしたりものをつくる考え方そのものは演劇を手がかりにしているけども、アウトプットする時にはできるだけそれを変換しているということなんですね。入り口があくまでも演劇であるのは、つまり姿勢みたいなものなんですか。

高山:それはありますね。そこからはじめないと何でもないものになってしまう。どこが基準になっているのかということはよく考えるんですけど、僕は演劇をやっている人間なので、演劇からみて僕の作品が普通じゃないっていうのはわかるんです。でも問題はお客さんはそれを演劇と思って観るわけじゃないし、演劇として観てちょっとズラされているからおもしろいという見方では、「だからどうしたの?」って言われちゃうんですよね。

小林:リテラシーそのものが、全く共有されてないっていうか。

高山:されてないですね。これは多分大きく分かれるところなんですけど、限られたお客さんを相手にして、わかる人にしかわからないものをつくるというやり方ももちろんあるんですよ。それはそれで、ここまでやっちゃったらすごいなって思う側面はあるんです。ただ、僕はそっちにはいかないで、演劇はむしろ消してしまって、演劇がわからなくてもそこでどういう楽しみやおもしろさが得られるか、というところで勝負したいなと思っているので、自分の作品がお客さんに受容された時に本当におもしろいかどうかということだけが、僕の場合本当の意味で重要なことになるんです。

小林:都市にでて何かをつくる時に、例えば社会学的な網のはり方や、政治的に読み取る方法など様々あると思うんですが、高山さんが関心をもたれているところって、もしかしたら経済的な営みが生み出していったものなんじゃないかなと直感的に感じたんです。その辺りはいかがですか。

高山:あまり意識していなかったんですが、実はそうかもしれないですね。なぜかというと、僕が都市を相手にしなきゃいけないと考えたのは「都市」という抽象的なものではなくて、「東京」という具体的な対象にもう少し向き合わないとうまくないなって思ったことがきっかけなんです。今から10年くらい前かな。それが少しずつ違う都市にも広がって今に至るんですよ。

東京をみてみると、実は政治がつくった都市ではなくて、例えば戦後の闇市からはじまり、下からでてきた雑草のようなものが、勝手放題生えてきてつくられた、つまり、お金やモノが流れているところが町になり自然にできていった都市だと思うんです。例えばそういうネットワークが今の山手線のラインになっていたりとかもするし。だから経済活動なんですよね。

高山明

小林:横浜で言えば、京浜急行線沿線がまさにそうですね。黄金町にあった「ちょんの間」※6<とかもその一つだけど、京急のガード下にはりつくように小さな町工場やらがたくさんあって…。今はもうなくなってしまいましたけどね。

高山:なんか惹かれますね。

小林:『都市の政治学』で多木浩二さんは、“東京は自らを廃墟化していくんだ。だからキラキラしているのにどこを切り取っても朽ちていくようなイメージがある”というような言い方をしているんだけど、渋谷とか新宿とかはそういうイメージが特に強くありますよね。

僕は、高山さんは都市を経済で読み直す作業をしてるんじゃないかなぁって思いました。

高山:経済って言ってしまうと大きい「経済」みたいですけど、もう少し下の方のことですよね。

小林:そうそう。実際におこっている営みというか…。すごく複雑なレイヤーになってはいますけど。

高山:「どうやって食べていこうか」とか「どうやっていきていけばいいんだろう」って悩んでいる人の振る舞いやサヴァイヴの仕方っていうのはすごく興味があって、戦後の闇市とかもそうだったんじゃないかなと思うんですよ。

小林:黄金町はまさにそういう町だと思いますけど、黄金町の場合は政治がすごく影響してもいるんですよね。無理矢理あそこに全部押し込めちゃったので。

高山:あれは戦後ですか?

小林:戦後に米軍が接収しちゃったところから都合良く黄金町から真金町のエリアにギュっと押し込めちゃった。だからマイノリティがすごく多くて。
柳美里※7がその辺りの話を書いていますよね。あれはだいぶファンタジーですけど。

高山:いや、おもしろいなと思って。確かに僕が経済に興味があるというのはその通りかもしれないですね。ある深み高みの一点からオーガナイズされた町や、都市計画家がデザインする都市みたいなものには興味を持てなくて、それよりも自然発生的に、自分たちが自分たちをオーガナイズしながらこんな風になりました、みたいな町の姿の方に凄く惹かれるんですよね。だからその傾向はものすごい強いと思います。

劇場か都市か — 新しい時代の演劇空間とは —

小林:イデオロギーが色んな形でいろんな地域で変化していく中で、マクロとミクロで完結しているような経済だったものが、今はグローバルにも説明しきれないし、ネット社会だけともちょっと言い切れないようなところがありますよね。

高山:そうですね。町がもつ質感というか皮膚感覚の確実な違いみたいなところを取り上げたいと思っていて、もちろんそれは写真や映画や美術でも表現できると思うんですけど、自分はそれを演劇的にすくいとるためにはどうすればいいかということを考えてきたんだなということは、今お話を聞いていて思いました。そうした時に舞台上にそれを持ってくるのは難しいだろうと直感していたんだと思います。

小林:それは、何かが損なわれるということですか?

高山:はい。何かがなくなってしまう気がして。

小林:今、演劇人の中でも、劇場を活かすのか、或は捨てるのかという二極化が迫られていると思うんですね。

高山:劇場でやる演劇って、すごく好きなんですよ。やっぱり何千年も続いてきただけあって、お客さんは動いちゃいけないとか、そうやって集中した環境をつくることも効果的なんですよ。だから劇場でしかできないことってすごくあるとは思うんです。ただ、僕がやりたいことを劇場でやろうとすると、無理がでてきちゃうんですよ。強度や求心力というのは、舞台をつくる上ではプラスな側面もあるんですけど、ある時期からそういったものに対する疑いがでてきてしまって…。

高山明

小林:舞台では同じものを同じように経験しているということも、プラスに捉えられますよね。

高山:だから昔は特に、どこから観ても同じように観ることのできる舞台というのがよいとされていて、見切り席は安くなったりするような世界だったんですが、そういうような価値の置き方が、結構どうでもいいなと思うようになってしまって。それよりも都市の中で自然とでてきてしまったものにどういう風に向き合えばいいかを考えたとき、明らかに舞台よりも現場である都市へ行ってしまった方が早い、或はそこに行かないまでも、都市にでてちょっとした仕掛けでその環境を改めて見直すことをした方が、効果的だなと思うようになったんです。

小林:高山さんが都市を観る時の目線が経済的営みに向いているということも言えますけど、その目線でみたものを作品に再統合しようとした時にも、やっぱり経済的な仕組みに近いものをつくり出してますよね。よく「観光」って言葉を使ってらっしゃると思うんですが、観光って飛行機とか電車とか、つまりどうやって人を移動させるかっていう仕掛けですよね。それで出版とかマスメディアとかが絡んでいって、国ごとで強化したりとかしているわけで。

高山:確かに。仕組みというかモデルは作りだしてるかも知れません。でも残念ながらこれって自分がお金を稼ぐという話とは全然違うんですよね。

そういう発想ってまったくなくて、ほんとに困ったものなんですけども…(笑)

小林:いや、それは僕も同じです…(笑)
さっき劇場の話をしていましたけど、僕もスペースを運営しているんですが、自分でコントロールしようとしたときに、美術館みたいな大きな制度の中でやっていくことよりも、お店一軒運営するとか、そういう経済のほうが計画しやすい。

高山:そうですよね。ちょっと話が大きくなりますけど、東京オリンピックが7年後にくるわけじゃないですか。これだけの国家プロジェクトに対して、別のモデルを示すとしたら、いかに小さいもので大きな効果をうむかという方に価値の基準を反転させないと、とてもじゃないけど適わないんですよね。全てが前座になってしまうというか…。

小林:東京、大変そうですよね。バブルもおきそうですもん…(笑)

高山:起きると思いますよ。これからどんどん大きくなって、それに乗っちゃうアーティストもいると思うんですよね。僕は絶対のらない…っていうかのせてももらえないと思うんですけど、でも注意しながらやらないとと思っています。

小林:でも、乗ってるつもりがなくても、みんなどこか無関係ではいられないと思いますね。

高山:いられないでしょうね。僕がそこに乗っかるとしたら、例えばスマートフォン用のアプリをつくって、実はその小さなアプリが町の見え方を変えてしまうというような、こういうモデルもあるんですよっていうことを示して行きたいですね。

小林:本題から少しずれるかもしれないですけど、高山さんの初期の作品「ミュージアム・ゼロアワー」は劇場での作品でしたよね。初期には舞台作品もいくつかつくっていると思うんですが、その頃の作品と今されていることと、逆に共通しているところはありますか。

高山:結構あるんですよね、実は。僕、Port Bをつくった直後にブレヒトの作品をやってるんです。その時から今とあんまり変わっていないんですよ。その劇は3部構成で、1部と2部にブレヒトの詩集の上演をして、3部にお客さんがアウトプットするという構成にしていたんです。客席に何名かプロを仕込んでおいたんですけど、つまりその作品ではお客さんの受容の仕方を問うているんですね。具体的には、客席に小説家・映像作家・音響作家・ダンサーという4つの異なるメディアを持ったプロをあらかじめ仕込んでおいて、第3部になったら彼らが舞台上でアウトプットするんです。例えば音響だったら1部2部を録音した音をDJみたいにミックスするとか、ダンサーだったら踊るとか…。この初期の作品からもわかるように、お客さんが演劇作品をどういうふうに受容し、受容したものをアウトプットできるかということが、実は僕が演劇でやりたいことの核の部分なんです。つまり、主人公はどっちなんだっていうことです。僕は、お客さんが主人公の作品をつくりたいと思ったので、今のような形に自然となっていったんですよね。でも、なんでかはわからないんですけど、今回のヨコトリの場合はちょっと違って、お客さんが覗き見するような感じのものになったんです。

小林:なるほど。舞台だと図式化されているから、ある意味楽ですよね。

高山:そうなんです。でもそれをやってもそんなにおもしろい体験はうまれず、単純に白と黒をひっくり返しただけみたいな形になってしまったので、都市にでてしまおうと思ったんです。

小林:でもそうするととたんに複雑化する(笑)

高山:複雑な方が自分の刺激にもなるし、やっていておもしろいっていうのもあるので(笑)

小林:高山さんの作品は、もちろんラベルとしては高山さんの名前が入るけど、主体的に参加するお客さんがいればいるほど、その作品が誰のものかというのはわからなくなりますよね。そのあたりの立ち位置はどのように考えていますか。

高山:「完全避難マニュアル」を2010年にやった時に、山手線29駅の各駅に29の避難所をつくるという最初の枠組だけをつくってしまうと、最後のほうはお客さんが自立してしまって、自分たちで自分たちの避難所をつくり始めていったんです。それは僕にとって凄く理想だった。だから最初のフレームはつくるけど、お客さんがそれを超えていく、というか自分たちのものにしていってしまうようなことが起きたら、そっちのほうがおもしろいなと思っています。

小林:例えばiPhoneがでてきたときに一瞬でパッと売れたけど、iPhoneがなんなのかをあらかじめわかって買った人ってほとんどいないと思うんですね。ソフトを開発している人たちでさえもなんだかわからないままやっていたという話で(笑)だからジョブズが仕掛けたことはとんでもないなぁと思うんですが、そういった不完全なものを「iPhone」というワンキャッチコピーのようなプレゼンで売ってしまったんですよね。それであんなに使いにくいものをみんなが狂ったように買った。でもそれはジョブズのものなのかというとそうではなくて、自分のものだとそれぞれが思っている。だからiPhoneは凄く珍しくて、すごくいい現象だったと思ってるんです。でも、そのくせ多くの人がわからないものをすごく怒るじゃないですか。高山さんの仕事を怒る人もいるかもしれないし。

高山:演劇やってる人のなかには怒っちゃう人もいます。全然それかあまり相手にしてもらえない…

小林:でも一方では、なんだかわからないものにも平気でお金を出すみたいな(笑)不思議な社会ですよね。

高山:ほんとですね。
不完全なものっていうのは本当にそうかもしれなくて、そっちの方がいいって思う時があるんですよね。特にここ5年くらいは、自動生成していってもらえるようなベースだけつくればいいかなって、考えてるんです。完成度の高いものをつくろうと思えばそれこそ劇場のほうがやりやすいんですよ。

小林:ちなみに今後の展開として劇場での作品発表はあり得るんですか?《横浜コミューン》はある意味劇場に近いものがあるのかな。
なんかこう…新しいタイプの劇場があるんじゃないかっていうことをどこかでおっしゃっていましたよね。

高山:そうなんです。僕がやっているのは、演劇づくりということよりも、都市にでて劇場じゃないところに一時的・仮説的なものかもしれないけど「劇場」を生み出していくシステムをつくれれば、というのがあって、むしろ演劇よりもそっちなのかな…と思っています。

小林:映画も演劇をやっていた劇場を間借りして興ったので、いびつな形で成長したメディアだと思うんですけど、使い方を変えて映画館になったわけですよね。演劇でいうと江戸でいうところの河原みたいな、今の時代に見合った空間があるのかもしれないですよね。

高山:それが実質的な空間でもいいんですけど、日本でそういうのを持つって凄く難しいじゃないですか。場所は魅力的ではあるけど、今のところはそういうところには行かないで、もう少しレイヤーとしての劇場みたいなことを考えています。

高山明

小林:インフラなのかもしれないけど、東京にしても横浜にしても宗教的土壌っていったらいいのか、なんかしみ込んでいて、そもそも開かれている土地柄なのかもしれないですね。

高山:そうですね。しかもそういったものは、年をとればとるほど魅力的になっていきますね。

小林:行政主導の駅前の開発とかであまり座ったりできなくなっちゃってますけど、今後、まちづくり自体も変わっていくといいんだけど…。

高山:魅力的なのはむしろそっちかな。そもそもおもしろいものがあるんだけど、いろんな目隠しで見えなくしてしまっている。そういうものを、「あ、そこにあったんだ」って気付かせるほうに関心がある。要するに何かをつくるんじゃなくて、そこにあるもの或は僕らの中にある幾重にも重なっている覆いを、何かのシステムではがしていって、隠れているものを見えるようにしていくみたいなことをやっていきたいですね。何かを新たにつくってその強度を問うのではなく、例えば何かちょっとしたものを置いた時に、周りの環境との関係はどうかわるのか、とかそういったことを考えていきたい。

小林:舞台の経験も、そこまでわざわざ観に行っているっていうこと自体がやっぱり関係で成り立っていますよね。

高山:そうですよね。僕が最初にみたすごく好きな舞台で、舞台で起こっていることだけじゃなく周りのお客さんのことも知覚できて、今こういう状況で自分はこういうふうに舞台を観てるんだなってことを充分知覚しても楽しめちゃうっていう経験をしたんですね。それで、こういうものだったらやりたいなって思って演劇をはじめたんですよ。

小林:僕はピナ・バウシュの舞台がすごくそういう感じがします。

高山:彼女は一方的な舞台をつくらないですよね。僕も好きだなーって思います。

小林:お客さんの反応もすごく見えて、舞台と客席全部がインスタレートされたものっていう感じがする。

高山:ピナ・バウシュの舞台は本当にそうですね。

小林:そんなところで、そろそろ時間も迫ってきてしまったんですが、聞きたいことは全部聞けた気がします。今日はどうもありがとうございました。
この続きは《横浜コミューン》を実際に観て、またお話できればと思っています。

▶「高山明インタビュー(後編)《横浜コミューン》を終えて」はこちらから。


《脚注》
※1:ヘテロトピア:現実の枠組の中で日常から断絶した異他なる場所という意味。高山明の作品「東京ヘテロトピア」は2013年のF/T出品作品で、東京の中にある異郷に出会うツアー型演劇作品。

※2:寿町:横浜市中区の町名。松影町や扇町も含め寿地区と言われることも多い。日雇労働者が宿泊するための「ドヤ」という簡易宿泊所が100軒以上立ち並び「ドヤ街」と呼ばれる。東京の山谷、大阪の釜ヶ崎とならび日本三大ドヤ街といわれる。

※3:タンデム:語学エクスチェンジのことで、母国語の異なる二人が、それぞれの言葉を教え合い、学び合う方法。

※4:トランスミッター:信号を送り出す電気的、電子的機器。送信器。送話器。

※5《光のない》:エルフリーデ・イェリネクが3.11に応答して書いた戯曲をもとに、高山明が、東京の都市空間を福島に見立てる手法でフィクショナルな「福島ツアー」を組織するという演劇作品。

※6:ちょんの間:元赤線・青線で営業している性的なサービスをする風俗店およびその地区

※7:柳美里:※日韓国人の小説家・劇作家 黄金町周辺に住んでいた。私小説が多く無頼派の系譜を継ぐ作家と評されることがある。

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