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【対談】山城大督×小林晴夫「BゼミのこれまでとblanClassのこれから」
美術・写真
2013.07.05

【対談】山城大督×小林晴夫「BゼミのこれまでとblanClassのこれから」

Bゼミ」という言葉をきいてピンとこない人も、

そこに関わった作家の名前を目にすれば、60年代以降、日本の現代美術を牽引した作家達たちが集う

実験的で先進的な場であったということを想像するに難くないのではないでしょうか。

そして、その歴史を継承するように、同じ場所にたちあがった「blanClass」。

同時代のアーティストの作品制作と発表の場が育まれているその場所を、多くの人に知ってもらい、できればそこに立ち会ってもらいたいという想いから、

「Bゼミ」産みの親である小林昭夫さんのご子息であり、現在blanClassを運営するディレクターでもある小林晴夫さんにお話を伺いました。

聞き手は、blanClassゆかりの作家でもある山城大督さん。BゼミのこれまでとblanClassのこれからを、

様々なエピソードを交えてうかがいました。(場所:blanClass)

Interview: Daisuke Yamashiro  Photo:Masanobu Nishino text:Akiko Inoue

- Bゼミが立ち上がるまで -

『ある朝起きて階段から上を見上げたら、2階がなくて青空だった』

山城大督(以下Y):僕の素朴な質問からまずはじめていこうかなと思うんですが、初めてblanClasにくるまで、前身が「Bゼミ」だったということを実は知らなかったんです。なので、すごくびっくりしました。ここはBゼミ(現在はblanClass)でもあり、小林さんの自宅でもあるということですが、Bゼミができた時からご自宅だったんですか?
小林晴夫(以下K):Bゼミができた時には、ここは小林家の家でした。1967年にBゼミは横浜の富士見町で立上がったので、現在の井土ケ谷に移って来たのは1971年、僕が3歳の時でした。

Y:blanClassがBゼミであるということを知って、小林さんが編集されたBゼミ本(「Bゼミ〈新しい表現の学習〉の歴史」2005・BankART1929発行)を改めて読んだんです。その中で、小林さんが3歳の時に自分の家が井土ケ谷に引っ越して来て、階段から見上げたら空がみえたという話を書かれていて…

K:そうそう、ある朝起きて階段から上を見上げたら、2階がなくて青空だったんだよね、それが記憶に残ってる。普通の木造の民家だったんですけど、2階を壊して、そこに鉄骨をはかせて、プレハブを乗っけているって感じなんだよね。

1992 Bゼミ外観 ©B-seni Learning System

1992 Bゼミ外観 ©B-seni Learning System
2013 blanClass室内風景

2013年現在のblanClass
Y:BゼミのBってなんですか?
K:これは、後づけでいうとBacic・Seminar(ベーシック・ゼミナール)の“B”なんです。

当初、富士見町アトリエで勉強会みたいな形ではじめた時には、「誰にでも親しめる洋画基礎クラス」、「児童のための美術クラス」みたいにA~Eまでのコースがあったんです。それで、Aが「斎藤義重現代美術専門ゼミナール」と言って、大学をでた半ば作家みたいな人たちが、作品をもちよって合評会をするようなゼミ、Bが「現代美術ベーシック・ゼミナール」といって現代美術の基礎コースみたいなゼミだったんです。

簡単にいうと他のコースがほとんどなくなって、Bのコースだけになったので、Bゼミっていうのを名前にしたという感じですね。
Y:テープとかレコードとかでもA面はポップな曲が入っているけど、B面はちょっとマニアックな曲が入っていることが多いじゃないですか。Bっていう響きが、現代美術のイメージと合っていておもしろいなぁと思います。
K:AでもなくCでもなく、たまたまBが残ったというのは必然性があって、それを父(小林昭夫氏)は気に入ったんじゃないんですかね。
Y:Bゼミが参考にしていた学校やコースの設計モデルは当時の日本にあったんですか?
K:日本でのものは参考にしていないと思います。1957年頃から、父はサンフランシスコのアートインスティテュート・オブ・ファインアートというところに留学していたんですが、そのときの校長先生が新しいタイプの美術教育をしはじめていたみたいで、そこが、その後の美術教育を模索していく一つの拠点になったと思うんです。

バークリーでの学生紛争とかはちょうど父が帰って来たあとに起こるんですが、サンフランシスコ自体もそういうデモクラティックなムーブメントが起こる前夜という雰囲気で、面白い絵描きとかも出てきていたと思うんですよ。なので、父はそういう全体的な空気にすごく影響を受けたと思うんです。

Bゼミが始まるもう一つの理由に日本の学生紛争があったんです。というのも、多摩美術大学の校舎が横浜から近い上野毛にあって、当時教えていた斎藤義重さんが、学生紛争の際学生側についてしまうものだから、学校側から追い出されてしまうという出来事があって。
学校は全然機能していないから、学生たちも自主的に色々なところでゼミをしていた状況の中、父みたいな人たちと出会っていったという流れがあるみたいです。

だから最初のAゼミ(斎藤義重現代美術専門ゼミナール)に参加した人は、多摩美出身の斎藤先生の教え子さんが多かったようですね。
それが誰かというと、小清水 漸さん、吉田克朗さん、菅 木志雄さん、小林はくどうさんのような人たちで、関根信夫さんもその周辺にいたので、初期の講師に名を連ねていらっしゃるんです。
Y:自分も現代美術を勉強していく中で、Bゼミという存在を知ったんですね。教育のプログラムについては詳しくは知らなかったんですが、伝説的な場所として勝手なイメージを持っていました。とにかくそうそうたるメンバーが関わっていたんだなとびっくりしました。
小林さんは、いつごろからBゼミに関わり始めたんですか?

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K:ちゃんと関わり始めたのは16歳くらいです。その頃、僕は学校を休学したんですけど、その休学中に「どうせ暇なら手伝わないか?」という感じで手伝い始めたんです。
休学するのと同時に、美術を専門にしようかなと思っていたこともあって、Bゼミに来ている作家さん達たちとは、そこから本格的に関わりが始まっていきました。
Y岡崎乾二郎さんとか原口典之さんとかは、当時からもう活躍されている作家さんだったんですよね。
K:岡崎さんは最初学生として参加していたから、当初からというわけではないですね。岡崎さんが学生の頃、僕は記憶がないんですよ。岡崎さんの方は記憶があるみたいで、後から聞いた話だと僕は1日岡崎さんに面倒をみてもらったことがあるみたいですよ。
Y:それはいいですねえ!!小林はくどうさんの授業だったかな、結構映像を使った授業なんかもあったみたいですね。
K:かなり早い段階から映像を使った授業はあったんです。オープンリールのビデオポータパックとかを使って。それこそ小林さん、堀浩哉さん、和田守弘さんあたりがビデオ作品をつくり始めた頃に、割とすぐゲストや講師に呼んでいたので、多分1974~5年にはビデオを使った授業をやっていましたね。

みんなその辺の人たちは、カナダ出身のマイケル・ゴールドバーグに影響を受けていたような人たちですね。

Y:日本にビデオポータパックが紹介されたのが72年なので、ほんとに早いですね。作家同士のコミュニティや交流はあったんですか?

K:年代によっても全然違うと思うけど、縦とのつながりはほとんどないかわりに横のつながりはそこそこあったかもしれないですね。
一年間に所属している学生が40~50人っていう、塾みたいな規模でやってたので。
1975 原口典之ゼミより ©B-seni Learning System

1975 原口典之ゼミより ©B-seni Learning System
1973 小林はくどうゼミより ©B-seni Learning System

1973 小林はくどうゼミより ©B-seni Learning System
Y:89年ころから小林さんもアメリカに行かれていたと思うんですが、帰って来て、Bゼミはその後どんなふうになっていったんですか。
K:僕は92年に帰国したんですが、それに際して、「本格的にBゼミを手伝ってほしい」と言われました。その時は姉も手伝っていて、最初は助手みたいな形で始めたんです。

そのころは講師に、僕より一回り上くらいの世代の割とフォーマリスティックなアーティストが多くいて、そこから90年代のアートシーンが変化していく中で、僕はおもしろいゲストをさがして呼ぶ担当として関わっていました。年間のスケジュールをやりはじめるにはもう少し時間がかかったけど、割とすごいピッチでどんどん仕事が増えていったというのはありました。父がもう年で体が悪かったからそれもあって手伝っていたんですけど、彼が元気だったら手伝わなかったかもしれないですね。
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Y:お父さんである昭夫さんが亡くなられたと同時に、Bゼミも終えられたんですか?
K:「自分に何かあった後、Bゼミを潰さなきゃいけないことがあったとしても、そこに在籍している人たちの、当初の約束通りの年数だけは終えてくれ」という父との約束もあって、2004年くらいまでは続けました。親父が亡くなってすぐにたたもうと思ったわけではないんだけど、経営がどんどん困難になっていき、みるみるうちに人がこなくなったので…。
Y:やっぱり先代の吸引力や時代の流れも影響しているんでしょうか。
K:ちょうど現代美術が非常に厳しい時代と重なったことも影響していると思います。状況があれよあれよと変わっていって、

現代美術っていう言葉もそのころから死語になっていくというか…
Y:そうですね。ネットがちょうど一般化してくる頃と重なっていますよね。情報が上からおりてくるというよりも、“自分で得ることができる時代”に入っていったというのもあるのかもしれないですね。
K:あとは、一つの起業の寿命だったのかな…とも思っています。37年間だから、もう限界かなっていうのもあったんじゃないかな…。

 

- BゼミからblanClassへ -

『「本当に必要なもの」とか言いながら片付けているうちに、「じゃあ手元に残ったもので何ができるか」っていう話だったの』

Y:Bゼミを閉じたあと、小林さんはblanClassをはじめる訳ですが、5~6年たたずにblanClassをはじめるというのも、かなり体力のいることだと思います。

blanClassをはじめることになった経緯を聞かせてください。

K:Bゼミをたたんでから一年後の2005年にBゼミ本を出版して、その後2006~2008年の三年間ずっと片付けをしていたんです(笑)。本をつくるのにいっぱい資料をひっぱりだしたりしたこともあって、そこから片付ける欲求がエスカレートして、いらないものは全部捨てて、本当に必要なものだけにしようと思って3年かけて片付けました。
そうするともうそろそろやることがないし…というタイミングで、2009年にBankARTで開催された原口典之さんの展覧会のお手伝いをする機会に恵まれたんです。そのことがblanClassを立ち上げる良いきっかけになりました。

それまで、Bゼミだったこの場所を利用して何かをしようと準備をはじめてはいたんだけど、原口さんの展覧会に資料を提供したり、シンポジウムをやろうとか企画をしているうちに、結局僕には、アートそのものを問題にすることくらいしかできないなぁと思えてきたんです。

それで、「アートを手がかりに何かをはじめよう」と、一緒にこの場所で会合をしはじめていた若い人たちに話したんです。

中身についてはいろいろと悩んでいたんだけど、ふと、「週末にパフォーマンス観ながらお酒飲むっていいなぁ」と思って、見切り発車した感じですかね(笑)。そして、その年の10月から毎週末やることにしたんです。
Y: 2009年10月から毎週末!? 最初はパフォーマンスアーティストだけを呼んでいたんですね。
K:そうそう、まわりにパフォーマンスアーティストが何人かいて、できるかなって思ったんだよね。立ち上げの体力とかもそんなに使ってないし、それほどリスクを背負ってはじめたという感覚もないんです。
Y:そうですよね、もともとここでBゼミが行われていて、場所はあるし、Bゼミ時代に小林さんは一日レクチャーのコーディネートもしてたわけですからノウハウもあるし、なんら無理のない形ですよね。
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K:そう、だから自分が「本当に必要なもの」とか言いながら片付けているうちに、「じゃあ手元に残ったもので何ができるか」っていう話だったの。あとの細かなことはやりながらちょっとずつ変えていけばいいかなという感じだったんです。
Y:ちなみにblanClassって言う名前はどういうふうに決まったんですか。
K:毎週月曜日に若い人たちと集まっていろいろ話し合っていたんだけど、その中で、「あまり意味のない言葉がいいね」って話してたら、そのうちの一人が「ブランク」ってどうですかって言ったの。それで、意味を調べたら「白」という意味があったのと、実際にブランク(Bゼミを終えてからの空白の時間)もあったので、壁も白いし、いいかなと思ったんです。それと、教室という意味のクラスをあわせてblanClassにしました。
Y:ここのイメージとよくあいます。Bだし(笑)

- 横浜からベネチアへ -

『僕も含めて多くの作家たちが、そのことによって開花したんです。それを、今大きな声で言いたいと僕は思っています。』

Y:仕組みや、作家の集まり方も含めて、blanClassにはBゼミの血液が流れていると思います。だから、僕自身もblanClassに参加したいと思っているんですよね。ここ数年の間でblanClassでは、ライブアートという言葉を使うようになりましたよね。
K新港村でやったときに初めてライブアートって言いはじめたんですよね…。
Y:僕も初めてblanClassに出演させてもらった時、何したらいいか全然わからなくて実は困ったんです(笑)。

blanClassに初めて出演した2010年当時の状況で言うと、作家もお客さんもblanClassも「いったい何をすればいいのかわからない」という感じだったように思います。それまで、展覧会場で絵画とか彫刻とかインスタレーションとか、 “鑑賞者がいつでも観ることのできる状態のもの”をつくっている人たちが、

1Dayイベントという、制限された時間の中で、鑑賞者に直にみせなくてはいけない状態を急に振られて、もちろんそれは展示でもいいんだけど、一日しかないんだったら一日で成立することをみんなしたくなりますよね。だから、何を求められているのかわからないという気持ちがすごくありました(笑)。
でも実際、僕も含めて多くの作家たちが、そのことによって開花したんです。

それを、今大きな声で言いたいと僕は思っています。僕の例をとって言うと、今までは映像を撮ったり、それを展示するみたいなことしか発想がなかったんですが、一日だけだったらそもそも「出来事を起こしちゃおう」という感じで、フィクションのパーティみたいなものを企画したりしました。僕以外の作家の例もいくつかあがってくると思うんですけど、そういう良いマッチングみたいなものが、blanClassでここ数年起こったなと実感しています。それについてはどうですか?
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2012.12.22 山城 大督 Presents クリスマス・パーティー[Picture in Picture in The Party in Picture.]

©2012 blanClass HatanoKosuke
K:最初は、いわゆるパフォーマンスアートや音楽のようにパフォーマンスの場を必要としている人がいるのかな…と思ってはじめたんだけど、そういう人だけを呼ぶっていうルールにすぐに飽きてしまって、今度はパフォーマンスに限らず、僕が気になる人に手当たり次第声をかけるっていう形に変わっていったんです。

制限をつけるのは一方で嫌だけど、何事も条件があるのは仕方がないことなので、条件を話し合って、そこから先はできるだけ自由にやってくれないかという形でお願いしていました。場所も場所だし、来るのも便利のいいところではないから、他でやってないことをやってほしいということをお願いしていました。

加えて、1 Nightで完結する何かをやってほしいということ、そしてできれば、作品でなくてもいいから、これまで考えていることのアウトプットを模索してくれるような実験をしてもらえると嬉しいと言って頼んでいたんですね。

ただ、Bゼミが母体でやっているっていうのを知ってる人もいたから、何も言わなくても「実験的なやつでしょ」っていうのが合い言葉にはなっていたかもしれないですね。もちろん自由に何かやれっていうのがどれだけむちゃくちゃなお願いかわかって言っているんですけど。だから、「良いマッチングが生まれた」ということも、僕としては、意図してやったわけではないんです。僕も出てきたものをみてびっくりしたうちの一人なんです。

さっき原口さんの手伝いをしたときに目覚めたと言いましたが、原口さんに「何もするな」といわれたんです。作為していくことの浅はかさって確かにあって、簡単な場でもいいしシステムでもいいけど、確実に他人と共有できるものがあれば、あとは何も手を出さない方がいい。
もちろん倒れて来たら支えるとかそういうことは必ず必要だけど、こちらがなにかをこねくり回してつくるのってろくでもない。先にいろいろ考えるのではなく、現象の中に身を委ねながら考えるということの方が大事だと思うんです。

それが僕にとってのアートの本当の姿かなぁと思っています。そして、blanClassが週末にやっていることが終着地点ではなく、これからもみんなで何かをつくっていきたいと思っています。
Y:blanClassで小林さんがつくった“ブランク”な場所に、みんなが呼ばれて、なんとか柱をつくろうとしたり、時間を埋めようとしたりしてできてきた“仕組み”みたいなものは、外部からみた時に、評価され始めていると僕は思っています。
その一つが、僕も参加した東京都現代美術館の「風が吹けば桶屋が儲かる」展だと思うんです。

すべてとはいいきれないけれども、blanClassがつくった柱も入っていると思うんです。

K田中功起君の影響とかも強いし、僕も、森田浩彰君と佐々瞬君は特にblanClassに関係が深い作品だったかなと思います。
Y:今回の田中さんのベネチア・ビエンナーレの作品も、blanClassでイベントとして撮影した作品ですよね。
K:ベネチアに持っていった作品はblanClassでつくったものですね。参加者と一緒に本当に曖昧なタスクをみんなで実践するっていう、それもビデオで記録するのではなくて、いくつかのそこでうまれたものと、写真の記録を持っていっているはずなんですけど…。
Y:それは、おもしろいですね。もちろん田中さんのオリジナリティなんだけど、田中さんもblanClassでならできるって思ったはずなんですよね。いきなりどこかの大学で大学生が集まってみんなで同じことをやっても、あんなに多様な場にはならないと思うんです。つまり、blanClassでみんながつくったコンセプトと、田中さんの発案がすごく合致して生まれている作品なんじゃないでしょうか。
K:人と一緒に何か作品づくりをしていったときに、実際には不安定なことが起こるじゃない。その、不安定さとか決まらなさとか、予定していたことと全然違う方向にいってしまうこととかを、試してみたいという欲求がつのっていたんだと思うんだよね。横浜トリエンナーレの展示でもそういうところがあったけど。でもそれはFIXされていかないといけないじゃない。だからそのもっとずっと手前のことを、blanClassで実験してみたかったんだと思うんですよね。
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Y:横浜のこの井土ケ谷でつくられた作品が、ベネチア・ビエンナーレで特別表彰を受賞しているっていう事実は、僕もここに関わって作品をつくっている作家として、すごい嬉しいことです。しかもその流れがまだ発展していくのではないかな、と思っています。

- blanClassでの企画「参院選へGO!」について -

『どんな状況でも必要なことをやりたい、どんな状況でも必要なことってなんだろう?って考えていたい。』

Y:今回のイベントシリーズで参議院選というテーマを掲げていることも、新しいblanClassの実験の一つなのかなと思っているんですがいかがですか。

K:そうですね、前回の衆議院選挙のあとに、いろんなアーティストと交流していく中で、いわゆる政治が一つの方向に邁進していくんだ…という実感があったんです。そんな中、アートが政治的なことを扱うことが、リスキーであるという一方で、政治をリアルタイムにテーマにするという、他の場所では難しいだろうことを、うちみたいな規模のところでならやってもいいんじゃないかなと思うところがあったんです。

だから今回の企画の目的は、参院選をコントロールしたいということではなくて、どちらかというと選挙の後に慌てないためにという意味でやっておきたかったんです。blanClassの一つの理念の中に、どんな状況でも必要なことをやりたい、あるいはどんな状況でも必要なことってなんだろう?って考えていたい、というのがあるんです。本当はそうではないと思うんですけど、アートってそういうところがナイーブだと思われてきたような気がするんです。よく、外国のアーティストに「日本のアーティストはポリティカルなことを全然抱えないのはなぜですか?」と言われるんですけど、そういうときに僕は「それは、あなたたちが日本のアートの読み方がまだよくわからないんですね」「俳句みたいなもので読み方がちょっと難しいから、わかりやすいポリティカルなものは見つからないでしょうね」というふうに言っているんですね。
Y:それは面白いですね。オブラートに包んでいること自体を自覚していない作家も多いですね。
K:何もかもそういうふうな仕掛けで日本のものってできちゃっているから、それが文法になっちゃてるんだよね。サブカルチャーもそういうところがあって、日本のサブカルを外国の人が読めるようになったのはごく最近だもの。それと同じようにアートでも、ポリティカルなものは昔からあったけどわかりにくい。でもそれをみんなが読めるようになれば、全然話が違う。遠目から観てもポリティカルだなってわかるものもそれはそれで面白いけど、わざわざそれをみんながやる必要はないし…。
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Y:今回参院選のテーマをもらったときに、僕は参院選について何か言うことはできないと思ったので、ビデオレターという手法を使ってイベントをやってみたいと思っているんです。成功するかはわからないんですけど、今回僕自身がパフォーマーになろうかなと思っているんですよ。
今日の話にもあったように、よくわからないけどやってみるというところから初めないとなぁと思うので。

それで、これから時間をかけてつくっていく予定の《ビデオレターズ》という作品のベースになるような映像ソースがとれればいいなと思っています。だから、7/6(土)の僕のイベントは、“《ビデオレターズ》という作品をつくろうと思っていることをビデオレターに撮る”みたいなイベントになると思います。ビデオって撮ったものが未来に残るという要素がありますよね。

撮ったものが記録されて後から観ることができるとか、撮ったものをその場で観ることができるとか…。
K:その場で観ることができるって言うのが結構ビデオはいいんだよね。フィルムと一番そこが違うんだよね。
Y:己をみさせられるというか、己を誰かに見せるということが行われるメディアだと思うんです。

僕はこの場所から未来に何かメッセージを残したいわけではないんだけど、でも、今残したいものがあるはずだと思っていて、

それを、blanClassでの今度のイベントを機会に始めて見みたいなと思っています。

 

- アーティストとしての小林晴夫さん -

『一人一人が考えている個別なもの、それがアートだから、それは何ですかって聞き続けないといけない』

Y:小林さんの作家としての部分というのをお伺いしたいと思います。僕の勝手なイメージでいうと、blanClassの活動自体が小林さんの作品なんじゃないかなという気がするんですがいかがですか。

K: blanClassは作品ではもちろんないですが、blanClassの“Class”に、“教室”という意味以外にもう一つ込めているものがあります。 “階層”としての“Class”です。それは自分の立ち位置(例えば、アーティストとしての立ち位置とか)を考える、という意味が込められているんです。僕自身のアイデンティティはアーティストであり続けたいから、他の肩書きにアイデンティファイしようとは思ってはいないんですが、作品を自分の名前でつくっていくということには、もともとあまり積極的でないところがあります。

だから、若い頃から作品をつくるときにはずっとコラボレーションしてきたところがあるんです。だからって、匿名がいいとも思ってなかったんですけどね。若い頃PHスタジオダムタイプとも交流があった関係でそういうものにも随分と影響を受けています。

個人は個人として居続けるけど、だからって作家の名前と作品が直結するそのあり方には馴染めないところがあるので、僕自身はそういうことに積極的になれないんです。だから、みんなと一緒に何かを立ち上げたり、そこに立ち会うっていう今のこの立ち位置はすごくナチュラルなんです。アーティストっていうアイデンティティを持った人が、作品をつくること以外にもやることがあると思うんです。それで僕はそっちのほうばっかりやりたいんです(笑)

それもBゼミ時代に手伝いをしていたのが結構影響していて、通常こういう仕事はアーティストの仕事じゃないってところを担った人たちは結構いるんですよ。

でもその人たちってほぼアーティストなんですよね。僕の父もそうだし、安斎重夫さんとか、東野芳明さんとかね、ああいう人たちが一人一人おもしろいなって思うのって、アウトプットは作品とは言い切れないものがあるけど、その人自身は結構アーティストだよねというところだと思うんです。
そうあるべきだと思うし、みんながそのへんを考えていかないと、やっぱり「既存にあるものの中でどう振る舞うか」みたいなことにどうしてもなってしまう。
Y:そうですよね、ホワイトキューブに展示したものだけしか作品と呼ばれないというのはおもしろくない。
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K:作品至上主義っていのうのも嫌いじゃないんですけど、アーティストが考えていること、そっちも本体だと思うんです。それから、この制度でいいんだろうか…とか、別の方法があったり、別のシステムを作つくれるのならば、積極的に探した方がいいと思うんです。アートっていう概念そのものが極端に不安定なので、それがなんだっていうのは常に考え続けないといけない。一人一人が考えている個別なもの、それがアートだから、それは何ですかって聞き続けないといけないし、考え続けないといけないし、それをのっけるシステムそのものを考え続けないといけないということです。

- アーカイブすることについて -

『実際に起こったことに対してそれは何なんだったんだ!って考えなきゃいけないと思う。』

Y:BゼミにしてもblanClassにしても、webや本といった記録物を意識的に残していると思うんですけど、形がないからこそ、保存しておいて後から考えられるようにしておくということでしょうか。
K:Bゼミの本をつくっておいて言うのも変ですけど、歴史だと思って鵜呑みにしてはまずい。実際に起こったことに対してそれは何なんだったんだ!って考えなきゃいけないと思うんですよ。もちろん現在進行形の今を考えるのが一番ビビットなんですけど、過去のものだって今の問題として考えるべきだとも思うんです。
だからアーカイブとかコンテンツとかっていうのは、できるだけ積極的に今後考えたいと思っています。
それは単に情報としてアーカイブすることで安心したいわけではなくて、どうせみんな立ち会えっこないから、それを残すべきだと思うんです。

Y:現場に立ち会える人は、限られている人たちで、それをなんとか動かさないとなかったことになってしまいますし…。
K:あるいは象徴化されたり、より強い意味に取り替えられたりね。
Y:このBゼミの本も本当にすごいものだと思います。一人の人が証言者という形でいろんな人の文章がはいっているし、生徒も先生も含めて事実にもよく触れているし。そしてそのBゼミからblanClassへの道とこれまでの活動が、今後もっと見えていくといいなぁと思っています。
K:今、YouTubeとかでもいろんなものが観られるようになったし、そういう形でも発信したいと思っているんです。また、3年半以上やってきて、結構な人数のアーティストたちと関係性をつくることができてきたので、その人たちともっと発展的に次にできることを相談していきたいと思っていて、例えば次何をしかけようかとか、それをどういうふうに運営しようかというところまで、作家達たちと細かくガラス張りに共有できないかなと思いはじめているところです。

Y:そうですね、別のタームに行くタイミングになっていると思います。美術館やギャラリーとは違う形で、作家と場所(企画者)との新しい関係性を見つけて
いけるかもしれないと思います。

K:一つの例として、今電子書籍をやりたいと思っています。拡張計画っていうレクチャーやトークのシリーズを眞島竜男君とかとやっているんですが、それを電子書籍で発信できないかなと思って…。映像のアーカイブとかも今まで出してきたけど、Ustreamなんかも時代が一巡りして珍しくもなくなってきたから、もう一つ違うものとしてテキストでできることがないかなと思ってました。
新しくて、しかも作家たちにとってお金にもなるっていうものがいくつかつくれたらなと思っています。
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横浜という地に根をはって育まれて来たBゼミとblanClass。
今回の対談を通して、時代の流れとともに形をかえつつも、変わらないものも同時にみつけることができたような気がします。
そして、blanClassは現在進行形です。
現在は必ず過去になり、歴史は過去の集積によってつくられていきます。
だから、今まさに生まれている何かをその目で確かめてみてほしいと思うのです。
「参院選へGO! 2013年 参院選ビフォアー&アフター」開催予定の全企画はこちらから

小林晴夫さんが作家たちとよく訪れるという井土ケ谷のおすすめ立ち飲みやさん

〈このイベントは終了しました。〉
「ニューイドガヤ」

京浜急行線 井土ケ谷駅 徒歩約2分
blanClassに向かう途中の交差点を渡った左手にあります。(お店の都合により住所・連絡先の掲載は控えさせていただきます。)

ニューイドガヤ1

ニューイドガヤ2

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