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文化・歴史

鎌倉殿とゆかりの地―大江広元と安達盛長のゆかりの地をめぐる

鎌倉殿とゆかりの地―大江広元と安達盛長のゆかりの地をめぐる

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も後半に差し掛かり、ここから権謀術数渦巻く苛烈な権力闘争が始まっていきます。その権力闘争の中で、北条義時が権力を集約していく様が
どのように描かれるのか今後の展開から益々目が離せません。
今回は13人のうち、大江氏(大江広元)と安達氏(安達盛長)のゆかりの地をご紹介します。

〈大江広元ゆかりの地〉
大江広元は、元々は京都の下級貴族でしたが、同じく13人の宿老の一人である兄の中原
親能の縁で、鎌倉に下向しました。行政を司る政所の別当(長官)に就任し、朝廷との交渉や政治機構の構築に大きな功績があったと言われています。なかでも、「全国への守護・地頭の設置」、「承久の乱に際し、様子見の意見が多い中で、京都への速やかな派兵・乱の鎮圧を主張」の功が際立っていていたようです。そんなところからも、大江広元が時流を読む能力に優れ、先見性がある人物であることが伺えます。

スポット1 大江広元の墓


鶴岡八幡宮から約200メートルほど東、近くには源頼朝の墓や、北条義時の墓(法華堂跡)があり、義時の墓の奥にある急な階段を上ったところに大江広元の墓があります。大江広元は1225年に78歳で没したといわれていますが、当時多くの有力御家人が滅亡していく中で、天寿を全うし、鎌倉殿や2代執権の墓所の至近に葬られていることからも、当時の大江広元の権勢が伺えます。
大江広元の墓 📍神奈川県鎌倉市西御門2丁目7−9

スポット2 大江稲荷社


鶴岡八幡宮から金沢街道を2.5キロほど東に行った十二所に、大江稲荷社はあります。近隣にあった大江広元邸に祀っていた稲荷に大江広元自身も祀ったことから大江稲荷と呼ばれるようになったといわれていますが、その由来は正確にわかっていません。ご神体は、大江広元像であり、普段は同じ十二所にある明王院に保管されています。
大江稲荷社 📍神奈川県鎌倉市十二所114

大江広元は、知識やノウハウはもちろん、潮流を読むことにも長けていた人物であったようです。その知識と慧眼で幾度も鎌倉幕府を救いながら、権謀術数渦巻く鎌倉幕府初期を生き抜きました。

〈安達盛長ゆかりの地〉
安達盛長は、源頼朝の流人時代から側近として仕えていました。生涯無官ではありましたが、「源頼朝一の忠臣」といえば、安達盛長をおいて他にいないのではないでしょうか。
公私ともに源頼朝を支え、北条政子との縁を取り持ったのも安達盛長だとも言われています。鎌倉に移ってからも、源頼朝は、度々安達盛長邸を私用で訪れていると記載もされており、時には家臣として、時には友として、源頼朝を支え、比類ない信頼を得た人物だったことがうかがえます。

スポット3 甘縄神明神社

鶴岡八幡宮から約2キロ、長谷寺のほど近くにあります。鎌倉最古の神社といわれており、源氏から篤い尊崇を受けたといわれています。境内には安達盛長邸碑もあり、安達盛長の
屋敷があったとも考えられています。
甘縄神明神社 📍神奈川県鎌倉市長谷1丁目12−1

スポット4 金剛寺(厚木市)


神奈川県央の厚木市、飯山温泉郷の入り口付近にあります。その歴史は大変古く、810年ごろに弘法大師空海によって開山されたといわれています。(その後、曹洞宗に改宗)こちらには、安達盛長の墓と伝わる塔があります。
金剛寺 📍神奈川県厚木市飯山5456

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で源頼朝が薨去の際、「(その死を)悲しんでいるのは、お身内を除けばごく僅か」というセリフがありました。その真偽は定かではありませんが、「ごく僅か」の中に安達盛長は必ず入るのではないでしょうか。安達盛長は、御恩と奉公という利害関係で源頼朝に仕えていたのではなく、人として尊敬し、友として側にいたのかもしれませんね。

次回をお楽しみに。

※記載しているコラムの内容には、諸説あることを申し添えます。

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